「…………宜しいですね? 盟主殿」
「ふぁーい……」
「ふぁーい、ではなくて」
「……はーい…」
──シュウが、傍目にも判る程、表情をきつくして暫し。
如何なセツナと云えども、天才軍師と誉れ高いシュウが、その頭脳をフル回転させて捲し立てた説教には適わなかったのか。
漸く、軍師の表情は、同盟軍の人々が見慣れた、無表情極まりない物へと戻り。
飄々とした態度を崩さずにいたセツナは、心底疲れ果てたように、項垂れた。
「本当に……。私は時々、盟主殿が判らなくなります……」
げんなりと、さも、『ヤられた』、と云わんばかりのセツナの態度に、やっと小言の鉾先を収めたシュウは、溜息を零して、傍らの茶器へと手を伸ばした。
……こうやって、散々盟主相手に説教をした後、自ら茶を淹れて、『小さな』セツナへ振る舞ってやるのが、軍師の常だ。
労り故に、と云うよりは、子供に云うことを聞かせる為には飴と鞭に限る、と云った発想より、なされる行為ではあるが。
「あ、お茶だー」
こぽこぽと、心地よい音と、清々しい香りを立てて淹れられる茶と、それに必ず添えられる茶菓に、項垂れていたセツナが、少しばかり嬉しそうな声を上げて、若干、機嫌の回復を見せるから、シュウのこの行為をなす発端が何処にあろうとも、構わないのかも知れない。
ほくほくと茶を啜り、ほくほくと茶菓を食む盟主の姿に、シュウとて、まあ、こんな時間も悪くもないか、と、心の何処かで思わない訳ではないから。
「処で、盟主殿?」
「なあに? シュウさん」
「又、何で急に、トランよりの帰り道に、バナーで釣りなぞしようと思われたのです」
だから、今日のお小言が終わった後も、漸く訪れた沈黙の中、何時も通り始まった憩いのひとときの最中。
己の為の茶碗を取り上げながら、ふ……と、シュウが口を開いた。
「何で……って。僕、さっき云わなかった? 気持ち良かったからだよ」
すればセツナは、あれ、さっきの説明、聞き漏らした? と小首を傾げた。
「いえ、それは伺いましたが。……本当に、それだけですか? 寄り道をすれば、私やナナミ殿や、他の皆にも小言を寄せられると判っていて?」
が、聞きたいのはそこではない、と、シュウは言葉を重ねる。
「ああ……。どうしてわざわざ、バナーの村を選んだか、って云う意味? どうして……って云われると、困っちゃうんだけど。唯、通り掛かった時に、ふっと思ったんだもん。今、ここで釣りしたら気持ちいいだろうなあ……って」
少しばかり噛み砕かれたシュウの問いに、そう云う意味か、と少年は会得を見せて、が、答え辛い、と眉根を寄せ。
「……はあ」
「マクドールさんにも、聞いたんだよ? 今、ここで釣りしたら、きっと気持ちいいですよねえ、って。そうしたらマクドールさんも、ああ、そうだね、って云うし。ほら、今回忙しい中、結構無理無理、トランまで行ったでしょ? 皆も、疲れてるかなー、って思って。じゃ、少し休憩、って。唯、それだけのつもりだったんだけどね。最初は。あんまり気持ち良かったからねー。夢中になって、気付いたら、夜になってた」
バナーの村に立ち寄った経緯を、少々詳しく語ってセツナは、ケラケラと声を立てて笑った。
「…………成程……」
それはそれは気楽そうな盟主の笑い声に、胃が痛みそうになるのを覚えて、眉間を押さえ、シュウは瞑目する。
「以後、お気を付け下さい……」
そうして、瞳を閉ざしたまま、渋い顔をわざと作って、ボソリ、シュウは云った。
「うん、判ってるよ。気を付けるね、シュウさん。皆も、心配してくれてるんだろうしね。……でもね、僕、又やっちゃうかも知れない。だって、ねえ? 仕方ないじゃない。僕は、僕を取り巻いてくれる『皆』が大切みたいに、世界中にある『全部』、が好きなんだもん。ここにいたいな、好きだな、気持ちいいな、って思ったら、又、寄り道しちゃうかも」
けれど、セツナは。
シュウの胃の痛みなど、気付きもしない風に、にこにこと微笑みを拵え、ほんわりと、そう言い放った。
「どうか、程々に……」
嬉しそうに、楽しそうに云う、セツナの訴え……否、宣言、を、聞き留め。
内心で、シュウは溜息を零す。
本当に時々、この少年のことが、良く判らなくなる、と感じながらの溜息、を。
──セツナは時折、そんなことを、臆面もなく云ってのける。
己を取り巻く人々も大切。
世界を取り巻く『全て』が大切……と。
セツナの云う、己を取り巻く全ての人々、と云う括りの中には、義姉や、今は『遠い』彼の親友や、この城の住人達や、未だ見果てぬ大地に住まう人々、挙げ句の果ては、敵国・ハイランドの人間まで含まれている節がある。
世界を取り巻く全て、と云う括りの中には、国や、生き物の営みや、自然や、決して目に見えぬ物、手に取れぬ物、そんな物まで含まれている。
だから、何処か頼り無げに見える笑みを浮かべつつ、そんなことを云い募る少年は、多分、底はかとなく、優しい存在、なのだろうけれど。
ジョウストン都市同盟の跡を継ぐ、この軍の盟主としてはどうなのだろう、と、シュウは思い煩うことがある。
セツナの云うことは、優し過ぎる。
様々な意味合いを含む、己を取り巻く全ての人々、世界を取り巻く全ての存在、とは、裏を返せば、この世にある、ありとあらゆる全て、と云う意味だ。
その全てを。
セツナは愛して止まないと云う。
嫌うモノなど、何一つとしてないと云う。
けれど、それは。
一軍を率いる統率者、としては、どうなのだろう。
優し過ぎはしないか。
三年程前にトランで起こった、解放戦争に関わった者達が、カナタ・マクドールにそれを見たように。
否、今でも、見続けているだろうように。
セツナ、と云う存在に、『夢』を見続ける者は多い。
故にシュウは、セツナの『優しさ』に、時折溜息を零したくなる。
人々に『夢』を見せ続ける存在が、それ程までに優し過ぎたら、傷付くのは、セツナだから、と。
「……シュウさん。お茶、もう一杯ちょうだい?」
──にこにこと笑みながら、優し過ぎる言葉を吐いたセツナに、時折覚える煩いを、又、シュウが浮かべたことを知らず。
二つ目の茶菓を手に取りながら、少年は、ずいっとシュウへ、茶碗を差し出した。
「茶も茶菓も、召し上がられるのは一向に構いませんが。この後、マクドール殿とお昼になさるのではありませんか?」
一応は、盟主の意志に添うべく、二杯目の茶を淹れる支度の手は止めず、耽っていた物思いから戻って来たシュウは、そんなに食べてしまって良いのかと、疑問を投げ掛けた。
「あっっ。そうだ、マクドールさんっっ。つい、お菓子に釣られちゃったっっ! 御免、シュウさん、又今度、お茶しようねっっ!!」
すれば、あっ……と。
目の前の餌の為に、うっかり失念していたことを思い出し、がたり、セツナは立ち上がる。
「慌てなくとも、マクドール殿は逃げませんよ……」
どたどたと立ち上がり、わたわた歩き出し、マクドールさーん、と『大きな独り言』を放った彼に、呆れたような声を、シュウは出した。
「うん、そうなんだけどっっ。そうなんだけどおおっっ。でも、これ以上マクドールさん待たせちゃ悪いしっっ!」
さも、落ち着きがない、と言いたげなシュウの声音に、一応は立ち止まり、振り返り。
セツナは満面の笑みを湛える。
「…………本当に、お好きですね、マクドール殿のことが」
だからシュウは、目の前の盟主と、寄ると触ると碌なことを仕出かさない、今はこの場にいないカナタとを、心の中で見比べて、一層、呆れたようなトーンで呟いた。
「え? そりゃあそうだよ。マクドールさんは、僕の一等だもんっ。じゃね、シュウさんっ! ──あ、そうそう、シュウさん」
しかしセツナは、呆れた風なシュウの様子にもめげず、カナタは『特別』、と言い放ち。
ふっと、浮かべ続ける笑みの質を変え。
「何です?」
「心配してくれて、有り難うね。あ、それからね、もしかしたら、だけど。ルカさん借りることになるかも知れないから、そしたら、貸してねーー」
呼び掛けに、ふん? と首を傾げたシュウに、セツナは、まるで、軍師の思い煩いを読み取っていたかのような言葉と、余計な一言を告げると、タタっと廊下へ駆けて行った。
「……あれは、私のものではありませんので…………」
消えてしまった、『小さな』少年の背へ。
ぽつりとシュウは、その言葉だけを追い掛けさせた。