「………………んーーー。やっぱり、どう考えても変ですよねえ……」

曰く『お散歩』の途中。

中庭の片隅で、恋人の無事を案じていた難民の女性の話を聞き終えた後、セツナは。

その足で、本棟最上階にある己が自室へと戻って、ばっさばっさ、部屋の片隅の、『小さな』彼には不釣り合いな程大きな執務机の上に積まれた、書類の束を掻き回し始めた。

「そうだね。変、と言うか……有り得ない、かな」

引っ掻き回せる程、盟主の決済待ちの書類が積まれている現実には、これっぽっちも目をくれず。

あー、そんなに引っ掻き回したら、後片付けが大変なのに、と、それだけを気にしてカナタは、セツナの呟きを肯定した。

「マクドールさんが、さっき言ったみたいに。えーーと? グリンヒル奪還のあれがあってから、もう……一ヶ月近くは経ってますよねえ……」

「ああ。あの後直ぐ、ミューズに向ったから、その期間を差し引いても、二週間程度、は」

部屋に戻った彼等の話題はやはり、先程聞いた、難民の女性が抱えた、憂いのことであるらしく。

二人は、セツナが掻き回した書類と、執務机上の、小さな暦を見比べた。

「マクドールさんしかいませんから、真っ向勝負で言っちゃいますけど。あの女の人の恋人さんが、もしも、グリンヒルかミューズの戦いで戦死してたら、戦死者名簿に載ってなきゃおかしいんです。……えっと……間者、でしたっけ? 間者がどうたらこうたらだからーって、シュウさんが、一般の兵士さんのも、傭兵さん達のだって、どっからともなく身元調べてきて、名簿拵えてますし」

「うん。それは僕も知ってる。僕の時も、そういうことはしてたしね。……シュウのやることだからねえ、その辺の、手抜かりはないだろうね」

「……ええ。そういうことに関するシュウさんの手配りって、抜群ですから。だから、この軍に参加してくれてる人全員の名簿はありますし、戦死者名簿や、負傷者名簿も、信頼出来る筈なんですよねー……。そりゃ、どうしても、そのぅ……、『判らなくなっちゃった』、ってことはありますけど。……でも…………」

「…………でも、その名簿に、件の彼の名はない、か……。──戦でのことだから、どうしたって、絶対に確実、とは言えないけど」

「はい。何処も間違ってません、とは言えませんけど、信じられはするんです。あの女の人も、その辺は判ってるみたいで、グリンヒルとミューズの戦いの後に出た、戦死者名簿の中に、恋人さんの名前がなかったから、怪我はしてるかも知れないけど、無事ではいてくれる筈だ、って思ってると思うんですよね」

「……そうだね。あの名簿の中に、彼の名がなかったのなら、そう信じるだろうね。…………行方不明者の名簿の中には? 彼の名はないの?」

「えーーーーーと。……それを確かめようと思って、今、書類ひっくり返してみたんですけど……。──あ、あった。……んと…………。……んー……、ないですねえ……。おっかしいなあ……。このお城から戦争に行った人が、このお城に帰って来なかったら、何かの名簿には、載る筈なんだけどなあ……。どの名簿にも名前がない、だなんて、マクドールさんが言ったみたいに、有り得ないのにーーっ」

書類と暦を見比べて。

うんうんと、セツナは唸り。

ふむ……、とカナタは、思案気になったが。

「…………ああ。そうだ、セツナ。あの時の戦で、その彼が、どの部隊に配属されてたかは、判るよね?」

そうか、簡単な話だと、紙面へと落としていた視線を、彼は持ち上げた。

「え? ええ、判りますよ。えっとですね……、えーと。……この人は、んと……。…………グリンヒルの作戦の時、ハウザーさんが率いてた方の部隊にいた……、あー……、ハンナさんだ。ハンナさんが頭領の、歩兵隊が所属だったみたいです。今でも、ハンナさんの部下扱いみたいですよ」

「なら、ハンナと、あの時ハンナの部隊だった兵達に尋ねてみれば、誰か、彼のことを覚えているかも知れない。……気になるんだろう? 彼女と、行方不明の彼女の恋人のこと。君の気が済むまで、付き合ってあげるから。『人探し』、してみようか」

「そですね。取り敢えず、ハンナさん捜し行きましょっか、マクドールさん。多分、ハイ・ヨーさんのレストランにいるか、さもなきゃ、オウランさんと一緒に、体術の訓練してると思いますから、直ぐに見つかりますよ」

「じゃ、先ずレストランへ行ってみて、いなかったら、訓練場へ行ってみよう」

「はーーーい」

すいっと流れて来たカナタの視線を受けて。

ああ、『遡れない』なら、『下れば』いいのかと、セツナも又、ポン、と手を叩いて。

掻き回したままの書類を、至極適当に片付けて、彼等は、本拠地東棟へと先ずは向った。

カナタとセツナが盟主の部屋を後にしたのは、丁度午前のお茶の頃合いで、なら、無名諸国出身の、大柄で無口な流浪の女戦士もレストランにいるかと、そう思ったのだが。

生憎、レストランの何処にもハンナの姿はなく、ならば、と向った西棟の訓練所で、彼等は無事に彼女を見付けた。

セツナが思った通り、ハンナはオウランと二人、体術の訓練をしていて、逞しい女性二人が励んでいるそれが終わるのを大人しく待ち、彼等はハンナに、件の彼のことを尋ねてみた。

「…………え……?」

すればハンナは、そんなことを尋ねられるのは、さも意外だ、という風な顔付きになって、やけに不思議そうに首を傾げた。

「……? 僕、そんなに変なこと、ハンナさんに訊いた……?」

「いや、変なこと、と言うか……。……その彼のことなら憶えている。自分が頭領を任された部隊の一員だったし。私は、何時も何時も同じ部隊を率いている訳じゃないが、大抵は変わらないしな。……だから、自分の部下に当る兵士が行き方知れずなら、私とて気にはするが……。そんな話は聞いていない。それに……」

「…………それに?」

「グリンヒルの戦いの後、直ぐにミューズに向かうとなったろう? その時に彼は、確か……ジェスだったかハウザー殿だったから渡された、命令書を私の所まで持って来て。急な遠征で、部隊編成を少し変えなくてはならないから、別の隊に加わってくれと言われた、と報告してきたんだ。だから、それっきり彼は、新しい所属の方に行ったものだとばかり思っていた。……確かに言われてみれば、ここ暫く顔を見掛けていないけれど、部屋が近い訳でもないし、人の多いこの城では、誰かと行き会わないことなど良くある話だから、別に気にも止めなかった。グリンヒルとミューズの戦いの後に出た、戦死者や負傷者や行方不明者の名簿の何処にも、彼の名前はなかったし」

「ふうん……。その人、ハンナさんの所から、部隊変わったんだ……。……有り難う、ハンナさん! 鍛錬の邪魔して御免ね。オウランさんも! 又ね! 今度、お茶しようねーーー」

何故、そんなことを訊かれるのか判らない、と首を捻ったハンナの話に耳を貸してみれば、グリンヒルとミューズの戦いの時の裏話の一つが彼女の口より出てきて。

んー……? と内心で思いはしたものの、セツナはそれをお首にも出さず、ぶんぶんと、ハンナとオウランに手を振り、カナタと共に、本棟へと戻り始めた。

「…………変、ですよね。マクドールさん、そう思いません?」

「ああ。かなりおかしな話だ。セツナの所に届いてる部隊編成名簿では、例の彼、今でもハンナの下にいることになってるんだろう? でも、ハンナは違うと言う。ハンナの話が嘘の筈はないし、嘘を吐く必要もないから、間違いがあるならば、部隊編成名簿、ということになるけれど……。…………今、あれを管理してるのは?」

「アップルさんですよ。何時も通り。でも、例の人がハンナさんに見せた命令書が、ジェスさんかハウザーさんのだったって言うなら、ジェスさんとハウザーさんに訊いた方が早いかもですね」

「……そうだね。取り敢えず、アップルの所に行って、最新の編成名簿を見せて貰って、それから、ジェスとハウザー、探してみようか」

「はーーーい」

何時も通り、ふざけつつの世間話をしていると、傍目には映る風情で、訓練所から本棟へと続く廊下を歩きながら,何となく、風向きがおかしくなってきた、と。

セツナもカナタも、渋い顔付きになった。

これは、本腰を入れて、きちんと調べた方が良いかも、と。

それ故彼等は、取り敢えず、そろそろやって来る昼餉の時間のことはひと度忘れて、アップルの部屋を訪ね、一寸名簿見せてー、と、事情を誤摩化し書類を覗き。

セツナの持っている部隊編成名簿とアップルのそれに、相違がないことを確かめてから、今度は、ハウザーの所へ行った。

兵舎の方にある、同盟軍の大将軍の一室を、ひょっこり覗いてみればそこには、ジェスの姿もあって。

丁度良かった、とセツナはいそいそ、彼等に近付いた。