「こんにちはー、ハウザーさん、ジェスさん」

えへへー、と笑って、トコトコ、ハウザーの部屋にセツナが入れば。

「これは、盟主殿。マクドール殿も」

「……何か、御用ですか」

真っ最中だった打ち合わせの手を止めて、ハウザーは朗らかに、ジェスは何処となく及び腰で、セツナと、後に続いたカナタを迎えた。

「うん。一寸」

若干、挙動不審な感じのジェスの方へ、スススス……と、わざとセツナが近付けば、ジェスは益々、及び腰になって。

ティントから帰って来て直ぐに仕掛けた、ちょびっと盛大な悪戯、ジェスさん、未だ堪えてるのかなー、と、クスクスセツナは忍び笑う。

……この彼も、多少は、ジェスに対して思うことがあったようで、恨みっこなしがいいですからー、と、同盟軍に与したジェスを捕まえ彼がやらかした、ジェスが苦手としている『虫』を使っての、中々盛大な悪戯を、今でも『悪戯の被害者』は、時折夢に見るらしい。

その事実を、セツナは知らぬままで来ているけれど、悪夢を見る当人であるジェスは、以来、セツナの姿を見掛けると、若干、及び腰になるのだ。

「何ですか? 盟主殿の御用は」

だから、ほえほえと笑いながら、けれど明確な意図を持って己へ近付いて来たセツナに、益々ジェスは身構えたが。

「訊きたいことがあるの」

あんまり苛めても可哀想だと、セツナは本題を切り出した。

「……訊きたいこと?」

「うん、あのね。この間僕達、グリンヒル取り返したでしょ? その時のことなんだけど。ジェスさんかハウザーさんのどっちか、ハンナさんの部隊にいた人に、所属替えの命令、出さなかった?」

「所属替えの命令、ですか……? 私には、憶えがありませんが……」

あのねー、と。

そんな風に尋ねてきたセツナへ、黙って話を聞いていた、ハウザーが首を傾げた。

「そっかあ……。じゃあ、ジェスさんは? 何か、心当たりない?」

「……一寸、お待ち下さい」

ジェスは、ハウザーの机の上に広げていた書類の束を漁って、暫しの時を掛け、やがて、ああ……、との顔付きになった。

「判る?」

「確かに、命令は出しています。ハンナの部隊の者だけではなくて、他の部隊の何名かにも。記録によれば……、あー……。……ああ、シュウ軍師の命令ですね。奪還したばかりのグリンヒルに残さなくてはならない人員が、少し足りない、とかで。あの辺りの地理に詳しい者を何名か、各部隊から選んで、グリンヒルに残した、との記録があります。アップル殿は、ミューズの進軍部隊の手配に掛かっていましたから、この件は、シュウ殿に命じられて、私が」

「ああ、そうだったんだ。……じゃあやっぱり、向こうの名簿が間違ってるのかなあ…………」

セツナの質問に答えるに足る部分が記載されている書類を開いて、ジェスが読み上げた事実と事情を聞き、おーやー? と今度はセツナが首を捻った。

「…………ジェス。シュウに言われて、ハンナの部隊の者に貴方が出した命令書。それは、あの部隊の、誰宛?」

と、それまでは黙っていたカナタが、ふと、何かを思い付いたように言い出した。

「命令を出した者ですか? ハンナの部隊では……、…………──という名の者でしたが」

すれば、何でそんなことを、との気配を窺わせつつ、ジェスは該当者の名を読み上げて。

彼が読み上げた名に、セツナとカナタは、顔を見合わせた。

「……………………名前が違う……」

「……だね」

──自分達が探している彼だと思しき人物の話を、ジェスはしている。

でも、彼がたった今告げた名は、件の彼の名ではない。

だからセツナは、眉間に深い皺を寄せ、カナタは再び、ジェスへと向き直った。

「その彼は、今、何処に?」

「その者、は…………。…………おや……?」

「どうした?」

「…………その者は、グリンヒルの戦いで、戦死しています。戦死者名簿に、記載が……。…………でも、だとすると、あの命令書を受け取ったのは、一体誰なんだ……? おかしいな、連絡の行き違いで、戦死者に所属替えの命令が出てしまったとしても、部隊長からこちらへ、話が廻って来る筈なのに……」

カナタの質問に答えている内に、ジェスも、話が合わない、と、困惑の色を瞳に浮かべた。

「……戦死、ね…………。でも、戦死者に出されてしまった、宙に浮く筈の命令書は、何処かに消えた、か……」

「…………申し訳ありません、何か、行き違いがあるようです。……直ぐに調べて──

──いや、その必要はない。……ね? セツナ」

ぼそり、と呟かれたカナタの声音が、低かったからなのか。

眼前の『少年』は、この軍に属する者ではない、と判ってはいながら、ジェスは、上官に接する時のような口を利いて、けれどカナタは、彼のそれを制した。

「そうですね……。……うん。御免ね、ジェスさん。今はいいや。お仕事の邪魔して御免なさーい。又ねー、二人共ー」

調査の必要はない、と言ったカナタの意図を薄々察して、セツナはにこりと笑みを振り撒き。

彼等は、その部屋を出た。

そして、再び二人は廊下を行き。

「…………どーしましょー、マクドールさん」

「ん? この後?」

「この後も。例の人のことも」

「そうだね……。……念の為に、ホウアン先生の所に行って、戦死者や負傷者名簿に間違いがないか、もう一度確かめよう。行方不明者名簿も調べて。……それでも、間違いがなかったら……──

──……なかったら?」

「件の彼は、一体どうなったのか。考えられる可能性は、少なくなる。その中でも、多分最も有力なのは……。……何だと思う? セツナ」

「……あんまり訊きたくないですけど、一応訊きます。……何ですか?」

「……………………脱走」

「うわーー……。やっぱり、聞きたくない一言でした……」

……こそこそと、小声で話しながら。

カナタは不穏な単語を吐き出しつつ。それを聞かされたセツナは、ヤだなあ……、と肩を落としつつ。

医務室へと続く、階段を降りた。