西棟の医務室と、本棟の間を幾度か往復して。

ホウアンや、医療関係の担当をしている文官に、一切合切調べて貰って、グリンヒルとミューズに於ける戦にての、戦死者や負傷者名簿等に間違いがないことを確かめた後。

困ったなあ……、と項垂れながら、セツナは、カナタと二人、自室での休憩のお茶の最中、テーブルに突っ伏した。

「困ったー……。どうしましょー、マクドールさん…………」

「さあて……。どうするのが一番だろうね…………」

僕は一体どうしたら、と、べっしょり、後先考えず潰れた彼の額が、テーブルの上の茶器と激突する前に、さっとそれを避難させて、困ったね、とカナタも思案気になる。

「例の彼が、この城の何処にもいないのは確かだ。グリンヒルとミューズの戦が終わってからこっち、彼は一度も、ここには戻って来ていない。……でも、戦死者や負傷者や行方不明者の名簿のどれにも、彼の名前はなくて。そのことを、ハンナ達は所属替えの所為だと信じてた」

「……けど、シュウさんから言われて、ジェスさんが出した命令は、その人じゃなくって、グリンヒル奪還の作戦で戦死しちゃった人に宛てて、でしたから……。あの女の人の恋人さんは、あの戦いが終わった直ぐ後に、消えちゃった、ってことになりますよね…………。…………やっぱり、脱走しちゃったのかなーーーっ。あー、もーーーっ! どうしようっっ。あの女の人に、何て言おうっっ。困ったーーー! マクドールさーーん、僕、何て言ったら良いんですかねーーー……」

「んー……。確かに、脱走した、って考えるのが一番筋は通るけど……。一つだけ、疑問なんだよなあ……」

「疑問、って? 何が不思議なんですか?」

どうしたものやらと、カナタまでもが顔を顰めれば、セツナは、突っ伏したテーブルにウニウニと、額を擦り付け。

あ、じーちゃんの形見の金輪が痛む、と、慌てて顔を上げつつ。

疑問が残る、そう言ったカナタの、面を覗き込んだ。

「……あのね。僕の所には、殆どいなかったし。セツナの所も、精々半分くらいだよね、厳密な意味での『職業軍人』。この軍は、ジョウストン都市同盟の後を継いだ、正規軍のお墨付きこそあれど、『国に属する』軍じゃない。実情がどうあろうと、傍目にはどう映ろうと、ここは、ハイランドと戦う為に、サウスウィンドゥやトゥー・リバーやグリンヒルやティントと言った、各都市と同盟関係を結び、協力体制を布いている、『一軍』でしかない。……『こちら側』では、君が一番偉いことになるけれど、『だから』君のこと、皆、軍主ではなくて、盟主、と呼ぶ。そういう事情のあるここには、各都市の市軍に属している者達しか、『職業軍人』はいない。残りの者達は、自ら入隊を望んだ、志願兵、又は義勇兵だ」

「……そうですね。でも、それがどうかしました?」

「…………軍人であることを生業としている者と、そうでない者。この立場の差は、大きいよ、セツナ。況してやここは、今言った通り、『国に属する』軍じゃない。各都市の市軍に属していない、職業軍人以外は全て有志で、有志である彼等に、この城に集い戦うのも、ここから去るのも、誰も強制はしない。戦うことが嫌になったと言うのなら、除隊を申し出て、ここから去れば良いだけの話だ。例の、将来をも誓った、恋人の彼女と一緒にね。そうだろう? …………だから。志願兵の一人だった件の彼には、『脱走』をする理由がない」

くるくる、大きな薄茶の瞳を巡らせて、顔を覗き込んで来たセツナに、手にした茶碗を弄びながら、カナタは告げた。

「………………あーーー……。成程。確かにそれは、疑問かも……。…………でも……」

話を聞き終え、又、くるっと瞳を巡らせて、セツナは頷き。

でも。

僅かばかり言葉を濁した。

「ん? 何?」

「いえ、何でもないです。──マクドールさんが言ったこと、言われれば、僕も確かにって思いますけど、でも、その人がいなくなっちゃった、ってのは変わらないですし、脱走しちゃったかもー、っていうのが一番可能性高いっていうのも、変わらないですよね?」

「…………うん、そうだね」

「……話、戻りますけど。……そこが変わらない以上、僕、あの女の人に、何て言ったらいいか、凄く悩みます。知ってる人がいないか訊いてみますね、なんて安請け合いしちゃいましたけど……。だからって、恋人さんは、脱走しちゃったみたいです、……とは、一寸言い辛いです…………」

「そんなこと言ったら、泣かれるのは目に見えてるものねえ。……何をどう言ってみても、事実がそうである限り、泣かれる気はするし。…………最悪は……──。……そうだ、セツナ。取り敢えず、グリンヒル行ってみようか。ハンナ達が最後に彼を見たのは、あの街だ。なら、彼を見掛けた人や、彼の行方を知っている人が、ひょっとしたらいるかも知れない。本当に、件の彼が脱走したと言うなら、放っておくのもマズいしね」

『溺愛』中の彼が、己を前にして尚言い淀んだことに、カナタが気付かない訳はなかったけれど。

今は恐らく、どう問い質してみても、飲み込んだ言葉をセツナは吐かないだろうとカナタは踏んで、それは一旦捨て置き、グリンヒルに行こう、とセツナを誘った。

「グリンヒル、ですか?」

「うん。あの街に直接行ってみて、少しでも判ることがあれば儲け物だ。何もしないよりはマシだし、セツナの気持ち的にも、その方がいいだろう? 行き方知れずになってしまった以上のことは判らない、と彼女に伝えるより、多少なりとも教えてあげられる話があった方が、良いかも知れない。……まあ、仕入れられる話次第、だけどね」

「そうですねえ……。もしかしたら、訪ね歩かない方が良かったかもー、なことになっちゃうかも知れませんけど。例の人が、脱走した、とは限りませんもんね! うん、決めました! グリンヒル行きます、マクドールさんっ」

このままここで、うだうだと、彼の行方を案じている彼女に事実をどう告げたらいいのか判らない、とぼやいているよりも、行動した方が良い、とカナタに促され。

よし! と気合いを入れ直し、セツナはぴょんと、椅子から飛び降りた。

「あーー……。一応シュウさんには、グリンヒルに行ってくるくらいは言った方が良いですよね。もう、何だんだで、午後のお茶の頃になっちゃいましたし。今から出掛けたら、帰って来るの、明日になっちゃうかもですもんね」

「うん。彼には言っておいた方が無難かな。後で、お小言喰らうのは御免だろう? セツナ」

今直ぐに、グリンヒルへ行くと決め。

後々、叱られたくないからと、シュウにだけは、グリンヒル行きを告げることにして。

彼等は外出の支度を整え、盟主の自室を出た。

廊下を歩き、階段を使い、正軍師殿の部屋へと向う途中。

ふと、窓の外へと目をやれば、午前の頃は青く晴れ渡っていた空が、何時の間にか、鈍色にびいろに似た、今にも雨を降らせそうな、重たいそれへと変わっていることに気付いた。

「…………ああ、雨が降る」

「……かもですね。何となく、雨の匂いもしますし」

「どうする? 明日にする? もしかしたら、グリンヒルの方も、雨になるかも知れない」

「うーーー…………。雨の中、人探しは、一寸しんどいですけど。でも、行きます! グリンヒルの方は、降らないかもですし」

「ん。判った」

──空の色の重さ、漂う空気の重さ、その全てが湿気を含み、雨を齎す兆しを匂わせていたから、カナタは、どうする? とセツナに問い。

悩みながらもセツナは、行く、と頷いた。

雨の中、何処にいるのか不確か過ぎる相手のことを、当てもなく探して廻るのは、骨の折れる仕事だと、容易に想像は付くけれど。

消えてしまった彼が、消えようと思うに至った何らかの事情、彼が何かを抱えていたとは知らず、ひたすらに、彼のことを待ち侘びる恋人の彼女、そのことを思う度、気が重くて仕方なくなる『嫌な仕事』は、少しでも早く片を付けてしまいたいと、そうセツナは思ったから。

鈍色に濁る、空を見上げながら。

彼等は、グリンヒル目指し、本拠地を後にした。