ビッキーに転移して貰って、夕刻の少し前足を踏み入れた、学園都市グリンヒルの空は、雨雲の垂れ込める、それはそれは重たい色をしていたけれど。
未だ、何とか持ち堪えていた。
「良かった。この分だと、降り始めるのは夜になってからっぽいですね」
「うん。天気が保っている内に、巡れる所は巡ってしまおう」
ふいっと、市門を越えた所で頭上を見上げ、雲の流れを確かめ。
二人は、行く足を早める。
「……マクドールさん。僕、思ったんですけど」
「何を?」
「ほら。例の、シュウさんに言われてジェスさんが出した、所属替えの命令書、あるじゃないですか。僕達が探してる人じゃなくって、戦死しちゃった人に、間違って出された奴。それをですね、例の人が、自分に出されたんだって勘違いして、今でもグリンヒルの駐屯部隊にいる、ってことは…………、……ないですよねー、やっぱり…………」
「んーーー……。悪い線じゃないとは思うけどね。行き違いに行き違いが重なって、例の彼が、本来戦友に出された筈の命令を、己に宛ててのそれだと誤解し、駐屯部隊にいると言うなら。何処かから、彼の所在に関する報告は、君の所の文官には届くと思うよ」
「……ですかねー…………」
「でも、この街の駐屯部隊の宿舎に行ってみるのは、悪い案じゃないんじゃない?」
歩きながら、先ずは何処に向かおうかとの話をしていた最中、セツナがそんなことを言い出して、セツナ曰くの、『思ったんですけど』は不正解だとしても、この街の部隊を覗くのは悪くない、とカナタは答えて。
手始めに、彼等はそこへ向かうことにした。
ひょっこりと、その日はのんびりした雰囲気の漂っていた駐屯部隊にセツナが顔を出せば、戦や遠征の予定はないのに、何故盟主様がと、兵士達は慌てたが。
「一寸、こっちの方まで来たから。皆どうしてるかなー、って思って寄っただけ。元気ー?」
ほえほえと、何時もの笑みを浮かべ、当たり障りのないことを言い、セツナはスルッと、カナタと二人、兵士達の輪の中に溶け込んだ。
そうして、ああでもないの、こうでもないの、けらけら、高い笑い声を立てながら、兵士達との世間話に興じつつ、さり気なく、こういう人知らない? と。
彼は切り出す。
「……さあて。俺は知りませんけど……。お前、知ってるか?」
「いや、俺も……。そいつが、どうかしたんですか?」
「ううん。どうかしたって訳じゃなくって。春になったら結婚するらしいーって、そんな話、聞いたから。ホントかなあ、って。おめでたい話だから、僕もお祝いしたいなって、そう思ったんだ。だから、誰か詳しい話知らないかなって思って。……結婚って、僕未だ良く判らないけど……、ちょっぴり、興味あるし……」
「あ、成程。それでですか。……興味……。盟主様も、お年頃なんですねえ」
「…………お年頃、って何? ……僕、『お年頃』ですか? マクドールさん」
「………………君は、気にしなくていいの。──噂の彼のこと、知れなくて残念だったね、セツナ。けど、その内にきっと判るよ。結婚は、おめでたい話なのだから、黙っていても、耳には届く」
「そっか。それもそうですね。じゃあそれまで、楽しみに待ってますっ。……あ、そろそろ行きましょうか、マクドールさん。あんまり遅くなると、シュウさんに怒られちゃいます」
「ああ、そうだね。もう、日が暮れた。……邪魔したね。それじゃ」
「又ねー、皆。頑張ってねーー!」
居合わせた者達に話を振ってみても、誰も、『噂の彼』を知らぬと、そう答えたので。
長居は無用と二人は腰を上げ、駐屯部隊の宿舎を出た。
「うーーーん。やっぱり、例の人のこと、誰も知らないみたいですね。ってことは、あの人、ここにはいないってことですよねー」
「そうなるね。……となると、後は、訪ね歩けるとしても精々…………。……ああ、そうか。セツナ、商店街行ってみよう」
「商店街……ですか……?」
判ってはいたけれど、やっぱり駄目だったー……と、グリンヒルの石畳をとぼとぼ歩けば、隣を行くカナタに、もっと早く気付くべきだったと、己で己へ向けた舌打ちと共に、商店街へ、と言われ、ふん? とセツナは首を傾げる。
「そう。これに気付かなかったなんて、僕も間が抜けてる。……例の彼が、軍を脱走しようと思ってここから姿を晦ましたんだとしたら、の話だけどね。もしもそうだったとしたら。多分、先ず行く場所は、商店街だ。遠征の途中での逃走は、手持ちの品に乏しいからね。何からか、は兎も角、『追っ手』の掛からぬ遠方まで逃走しようとするなら、それなりの物は必要になる。誰も、彼の逃走には気付かなかったのだから、買い物をする余裕もあった筈だし」
そんな彼に、カナタは理由を告げて。
「あー……。言えてます」
「うん。そういう訳で。商店街」
「はーい」
ああ……、とセツナは、足先を、グリンヒルの商店街へと向けた。
…………でも。
道具屋や、仕立て屋やその他、思い付く限りの店を巡り、店主達に話を聞いてみても、同盟軍の者と判る格好をした者は、あの日以来、毎日のように買い物にやって来るから、心当たりが多過ぎて、誰のことを言われているのか判らない、とのそれが、店主達の回答で。
「申し訳ないけど、判らないねえ…………」
「そうですか……。すみません、お仕事の最中にお時間取らせて」
ここで最後にしよう、と。
商店街の外れにあった、小さな道具屋を覗いて、が、やはりそこでも、それまでと似たり寄ったりの話しか店主からは出ず、セツナは肩を落とした。
「…………あ、でも」
「え?」
「お尋ねの人じゃあないと思うけど。少しだけ印象に残ってる兵隊さんならいたよ。確か……ここがハイランドから開放された当日だったか……、いや、翌日くらいだったかなあ。兵隊さんが、一人で買い物に来たんだよ。でも、買い物の途中でその人、金が足りないって、出てってさ。……戦が終わったばっかりで、家の店もこの街も、ごちゃごちゃしてたから、詳しくは思い出せないけど。軍の用事で買い出しに来たんだろうに、手持ちの金が足りないなんて、随分とうっかりした人だなって、そう思ったのだけは憶えてるんだ。子供の遣いじゃあるまいに、って」
「へー…………。そんなことが……。──どうも有り難う、おじさん!」
最後って決めたお店も、無駄足だったかー、と、肩を落とした彼が店を出ようとした時、ふと。
道具屋の店主は、印象に残っていた『一寸した話』をセツナとカナタに語って聞かせて、「お役に立てずにすまないね」、そう言って苦笑いを浮かべたが。
ふうん……、と二人は。
店主に礼を述べ、通りへと戻った。
「お金が足りなくて、お買い物が出来なかった兵隊さんかあ…………」
「……そうか。本当に急に思い立っての行動だったから、手持ちの金もなかった、って可能性もありか……。ここの処、剣やら鎧やらを売り払った者もいない、って話だったから。……と、すると。二つに一つだな」
「ですかねえ……。二つに一つしか、可能性、ないですかねえ…………」
「二つに一つの可能性しかないか否か、それは判らないけど。──さっきの話が、彼の話だとして。そして、彼が今でも、懐の寂しさに困っているとするなら。懐の豊かそうな者がそれでもいるこの街で、逃げ落ちる為の資金を稼ごうとするか。近くの街道で悪さを働くか。その辺りのことを、一番最初に思い付くのが、相場だと思うけど? 軍を離れた身には必要がなくなった筈の武器も防具も、売り払った形跡はないのだし」
「…………うー……。……真面目に働こう、とか。生まれた所に帰ろうと思って、ここを出てった、とか。そーゆーのだって、有り得るかもじゃないですか。……そりゃ、悪いことしちゃうのが、手っ取り早いって思う人も、多いかも知れませんけど……。でも…………」
商店街で聞き及んだ話を受けて。
通りを歩きつつ、カナタは、やれやれ……と、気が付けば日没を迎えてしまったグリンヒルの、厚い雲に覆われて、月も星も見えない、暗いばかりの夜空を見上げたが。
カナタの言葉を、何とか否定したそうに、セツナはちろっと、上目遣いを彼へ向けた。