「何で? どうして、嘘だって思うの? 僕、嘘なんて吐いてないよ?」
「だって……。俺は、逃げたんですよ? 貴方の軍から。そんな俺のことを、唯それだけの理由で捜すなんて、到底信じられない。貴方は、盟主じゃないですか、同盟軍のっ」
「僕が貴方のこと捜すのと、盟主だってことは、別に関係ないと思うよ? そりゃ、ちょびっとはそうかも知れないけど……。……あ、処でね。ホントに、逃げ出しちゃったの……? 何か、軍にいられない事情があった、とか言うんじゃなくって? 逃げ出したくて、逃げたの…………?」
「そうですよ! 俺は、盟主様やマクドール様や、一〇八星の人達みたいに、強く出来ちゃいないんですっ」
「…………僕は別に、強くなんかないよ? それに、マクドールさんだって、一〇八星の皆だって、最初っから強かった訳じゃないと思うんだけどなあ」
「……………………そういう意味じゃ、なくって…………」
『盟主』の言葉でも、今は到底信じられぬと男が吐くそれに、思うまま、セツナが言葉を返したら。
ガシャッと、抜き掛けの剣を床へと放り投げ、自らも乱暴に座り込み、男は何処か呆れ返った風に、唯々、首を横に振った。
「……? じゃあ、どういう意味?」
「貴方みたいな、雲の上の人には、俺の気持ちなんか判らないって、そういう意味です」
「雲の上? 僕の、何処が? ……あ、あのね。僕、ふざけて言ってる訳じゃなくって。ホントに判らないから言ってるだけなんだけど……、それは、信じてくれる? 僕は別に、強くもないし、雲の上にもいないよ。……但、僕は貴方じゃないから、思うことは言葉にして貰えないと、判らないけど。…………ねえ。逃げ出しちゃいたい程、嫌なことがあったの……? そうだったら、それでいいから。ね? 今なら、未だ間に合うから。取り敢えず、一度お城に戻ろうよ。大丈夫、貴方が逃げたこと、僕とマクドールさん以外には、未だ誰も知らないから、皆、貴方のこと、兎や角言ったりしないよ。貴方が帰れば、あのお姉さんだっ──」
「──無理ですよ、今更そんなこと……。…………それに、俺はもう、あいつの所に帰る気もないんです」
男の態度は何処までも、多くを語りたくないそれだと、セツナの目にも映ったが、彼は、小屋の入口近くに立ち続けたまま、男へと、言葉を掛け続けた。
けれど、彼の説得に返される男の様が、変わることはなく。
「…………結婚しようねって約束したあの人まで置いて、出て行くくらいの理由が、あったの……?」
「だから。そんなこと貴方に言ってみたって、どうせ判りゃしないって、俺は言ってるんですっ!」
ガッと、男は握り締めた拳で、床を叩いた。
「………………堂々巡りだね」
「あ……。マクドールさん…………」
男が、激しく床を叩き付けたその時。
鈍い音に重なるように、小屋の扉が再び開いて、セツナに追い付いたカナタが、するりと中へ忍び込み。
見つかっちゃったと、ふらあ……とセツナは、彼より視線を外した。
「夜中に一人抜け出して、何処へ行ったかと思えば。……あーあ、こんなに濡れちゃって……」
セツナ同様、濡れ鼠の姿で現れたカナタは、バサリとマントを脱ぎ去り、水を含んだ両の手袋を外し、纏ったままだったセツナのマントと手袋をも剥いで、芯まで冷えた、小柄な彼の薄茶の髪を掻き上げ、冷たい両手を温めてやる風に、己が手で包んだ。
「マクドール様…………」
「外で少し、話を聞かせて貰ったけどね。堂々巡りの言い争いなんて、していても益はない。もう少し、実のあることでも語ろうじゃないか。……君は、どうしてあの軍を捨てた? それを語ってみても、僕やセツナには理解出来ないとか、そんな言い分、今はどうでも良いから。先ず、そこから聞かせてくれないか」
その声音より、どうやらカナタの機嫌は余り良くないらしい、と察して、されるがままになりつつも、何処となくもじもじしているセツナの手だけを、じっと見詰め。
カナタは男へ話し掛ける。
「…………………………偶然、だったんですよ、最初は……」
すれば。
同盟軍に属していただけあって、セツナよりもカナタの方が、『手厳しい』と判っているのか、兵士は、ぽつりぽつり、語り始めた。
「たまたま、だったんです……。あの奪還作戦が終わって、開放されたこの街に入って直ぐ、ミューズに行くの行かないの、って話を聞かされて、その時、たまたま、ハンナさんの部隊の者をってジェスさんに呼ばれて、隊長に……ハンナさんに渡してくれって、命令書を渡されたんです。……所属替えの、命令書……」
「…………それで?」
「誰が何処に移るんだろう、そう思って、渡された紙にあった名前を読んでみたら、あの戦いで死んだ奴の名前が書かれてました。……だから、奴が死んじまったこと、上は未だ知らないんだと気付いて……。それで、咄嗟に。奴の名前を俺のに書き換えて、そうしてハンナさんに見せれば、俺がこのまま何処かに消えても、暫くは誰も気付かないんじゃないか、って……。だから……、奴の名前をインクで汚して消して、別の部隊に言ってくれってジェスさんに言われましたと、ハンナさんに嘘吐いて……。あの時は、酷く慌ただしかったから、ハンナさんも疑ったりはしなかった……。そういうことなら、って。又本拠地で、って、あっさり…………」
「……成程。…………咄嗟の、出来心だった、と。そういうことかい?」
「出来心…………。……出来心、かも知れないです。後先なんか、何にも考えなかった。出来心と言って貰えるんなら、出来心です、確かに。──でも、俺はもう、嫌で嫌で堪らなかったんだ……っ。もう、戦なんて御免だった。二度と、戦場になんか出たくないって……ずっと、そう思ってて……。……だからきっと、俺のしたことは、出来心なんかじゃない…………」
『あの日』、このグリンヒルの街で起きたことを、聞き取り辛い声で語った彼へ、言い聞かせるようにカナタは、出来心、との言葉を選んだが。
彼は頑に、それは違うと言い切った。
「…………何故?」
……故に、カナタは、小さく重い、吐息を吐いて。
彼へと問い掛ける。
「………………あ。マクドールさん、それは…………」
カナタが、男へ何を問おうとしたのか。
セツナにはそれが、判ったのだろう。
握り込まれた両手はそのままに、眼差しで、セツナは訴えたけれど。
男も、カナタも。
言葉を止めなかった。
「何故か、ですか……?」
「ああ。……戦が、嫌で嫌で堪らなくなった。もう、戦は御免だと思った。二度と、戦場になんか出たくないと思った。……そんな風に思い続けていたと言うなら。何故、思い詰める前に、あの城を去らなかった? 君は、志願兵だった筈だ。嫌だと、逃げ出したいと、そう思っても尚、戦場に立て、とは、誰も君に強制しない。…………なのに、何故?」
「……マクドール様。貴方も、盟主様と同じことを訊くんですね……。……言ったじゃないですか、たった今。…………俺はもう、戦いなんか御免なんだってっ! 同じ部隊の奴等が死ぬのを見るのも、今度は自分の番だって、そう思いながら戦に出るのも、もう沢山だっっ。殺されるって、怯えながら戦場を逃げ回るのも、ハイランドの連中を殺すのもっっ!! 俺は嫌だっ。そんなこと、もうしたくないっっ。何で俺が、そんなことしなくちゃならないんだっ。俺は別に、人殺しになりたくて、同盟軍に入った訳じゃないっ! 殺すのも、殺されるのも、もう…………っ……」
「…………だから、逃げた、と? ……言ったろう。戦うことを君に強制した者は、いなかった筈だ。殺すのも、殺されるかもと怯えるのも、もう結構だと思ったのなら、正規の手続きを踏んで、軍を去れば良い。それだけのことだ」
「……そう言われると思った。貴方達なら、きっとそう言うって。…………貴方達に話してみたって、きっと理解出来ないと、そう言っているのに、貴方達の口から出るのは、『正しく』抜ければいい、そればっかりでっ! ……解る訳かない。……貴方達に、解る筈なんかないんだっっ」
…………カナタは、問いを止めず。
男は、言葉を止めず。
だから。
兵士はとうとう、絶叫を放った。