降り続ける雨の音にも負けぬ程、高く男は声を放って。

「…………又、堂々巡りがしたいのかい? 僕は、それは遠慮したいね。僕やセツナに、君の思う処の何が理解出来ないのか。それを言って貰えなければ、話は始まらない」

しかしカナタは、取り合わなかった。

すれば男は、どういう訳か、恨んでいるような、憎んでいるような、そんな目付きを二人へと送り。

「……じゃあ、お訊きしますけどっっ。戦なんか二度と御免だって、そう思ってた俺が、どうしてあの城から出なかったか、その理由を、お二人は考えられるんですか……?」

吐いて捨てる如く、言った。

「さあ? 君は僕じゃない。だから、想像は出来ても、言葉にされぬ限り、正解は僕には解らない。……尤も、セツナは薄々、解ってるみたいだけどね」

ともすれば、恨み節とも聞こえるそれを、カナタは軽く流した。

「………………俺は……、俺の身の上は、あの城にいる、俺みたいな連中の、殆どと一緒です。……リューベの村です。俺の生まれた場所。……未だ『ここ』が、ジョウストン都市同盟だった頃に、あの村は、ハイランドの連中に焼かれた。命からがら逃げて、何とか親戚のいたミューズに辿り着いて、でも、ミューズもハイランドに襲われた。……ミューズの時も、どうにかこうにか逃げ延びて、命は助かったけど……、もう、行く所は、何処にもなかった。コロネに行っても、クスクスに行っても、サウスウィンドゥへ行っても。ハイランドの連中は、ずっとずっと、追い掛けて来た…………」

「……知ってるよ。僕も、そうだったもん……」

怨嗟に似た声をぶつけても、カナタには軽く受け止められてしまって。

項垂れつつ、身の上話をぽつぽつ言い始めた彼に、ちゃんと聞いてるから、と言わんばかりに、セツナが声を掛けた。

と、男は、薄く薄く、笑い。

「…………俺も、知ってますよ…………。盟主様もそうだった、ってことぐらい……。──あの頃は、何処まで行っても、ハイランドの影が付いて廻って。ラダトにも、トゥー・リバーにも、ルカ・ブライトの手が廻ったらしいって、そんな噂しかなくって……。どうしたらいいのか、ちっとも判らなかった。ハイランドが目溢ししてくれるような、小さな村を探して、何とか置いて貰えないか訪ね歩く、俺みたいな難民ばっかりだった。…………そんな頃に、同盟軍の噂を聞いたんです。サウスウィンドゥからハイランドを追い出して、トゥー・リバーでの戦いも制して、あの街を、ハイランドから守った軍がある、って。…………だから、あの城へ行ってみたんですよ……」

「そうなんだ……。それで、お城に…………」

「あそこに行けば、生き別れになった親戚や、村の連中に会えるんじゃないか、そう思ったんです。……実際、死んじまったかも知れない、そう思ってた親戚や友人の、何人かには会えて。お互い、無事だったことを喜んで……、それで。話になりました。俺達も、同盟軍に参加しようって。…………嫌だ、なんて言い出す奴は、誰もいなかった。俺だって。ハイランドに村を焼かれて、追い回された恨みがあったし……、俺達の故郷を、俺達の手で取り返せるならって、そうも思いましたよ。何かを考えてる暇なんてなくて、只、毎日がむしゃらに生きるだけで、精一杯だったけど。悪いことなんか、考えなかった。盟主様が、ルカ・ブライトを倒したあの時は、最高の気分だった。俺達の盟主様と、俺達の軍は、あの狂皇子を倒したんだ、って…………。……なのに、戦争は終わらなくて……。良く知ってた顔が、戦の次の日、突然消えるのも、当たり前になって。…………何時の間にか、次は俺の番だ。次は俺の番……、そう思うことが、止められなくなって…………っ……」

────……薄らと、笑みを浮かべた男は。

涙を堪えている風に、声を詰まらせた。

「………………あの、ね……? そういう風に思うことって。皆、あると思うんだ。そういうことって、皆、怖いと思うんだと思うよ……? でも、貴方は『抜けられなかった』んだよね……? ……それって、もしかしたら……、その……、『村』の所為……?」

そんな、彼に。

両手を包み続けてくれていたカナタの傍らより、するりと一歩、前へと踏み出し、そろそろと、セツナは声を掛けた。

「……ええ。そうですよ……。盟主様の、仰る通り。……どうしようもなく、簡単な話です……。……そう、酷く、簡単な話なんだ…………」

掛けられたセツナのそれに、彼は、薄い薄い笑みを、強く歪める。

「どうして、あの日まで俺が、同盟軍を抜けなかったか。そんなこと、簡単だ……。……そう。『抜けられなかった』、それが答えですよ。……志願兵なのだから、戦に加わるのも自由、抜けるのも自由、皆、そう思うんでしょうけど。誰が何時、何処で、どんな風に、どの家に産まれて、ガキの頃、どんな悪さをして……って。村中が知ってるような小さな在が、俺の故郷なのに。そんな故郷の村の男達の殆どが、ハイランドを倒して自分達の国をって、そう思ってるって言うのに、殺されるのが怖いから、それを理由に、あの城を出て行ける訳がないっ。誰も許しちゃくれないっ。殺された親や、隣近所のおじさん、おばさん、その人達の仇を取りたくないのかって、今まで出来てたことがどうして出来ないんだって、そうやって責められるだけだ! ……そうなったら、戦争が終わったって、帰る場所なんて失くなる……。野良猫が転んだって、次の日には村中が知ってるような小さな場所で、後ろ指さされて生きてける訳が…………。だから、あの城を捨てたくったって、出来なかったっっ。俺は別に、戦争がしたくてしてたんじゃないっ! 唯、リューベに帰りたくて、同盟軍に参加しただけだからっっ! なのに………………」

「…………でも……結婚しようって約束したあの人の所くらいは、帰ってもいいんじゃないかって、そう思うんだけどな……」

己自身で己が身を、抱き竦めるように、小さく縮まって叫び続ける彼へ。

言わない方がいいかも知れない、そうは思いつつ。

それでもセツナは、囁いた。

「無理ですよ……。あいつも、言うことは村の連中と一緒だから……。あいつは、俺と同じ、ハイランドに村を焼かれてあの城に辿り着いた難民で、戦に出る度、俺のこと案じてはくれるけど、二言目には、ハイランドに勝ってね、この国を守ってね、平和になったら結婚しましょうね、って……そんなことしか言わない……。…………俺はもう、人殺しなんかしたくないのに……。……もう、誰も殺したくないし、殺されたくない……。どっちに転んだってリューベに帰れないなら、口さがなく言われるよりも、何処かで死んじまったのかも、そう思われた方が良い……っ……」

……その、尋ねに。

何時しか、子供のように泣き濡れていた男は、震えながら答えた。

「でも、だからって、ここに隠れてても、解決にはならないでしょ……? 何時までもこんなこと、続けられないよ?」

「……セツナの言う通りだ。逃げて、隠れて。それでどうする? 同盟軍が、グリンヒルを開放したあの日から、そろそろ一月だ。それ程長く、こんな場所に潜んでいたんだ、行く当ても、先立つ物も、ないんだろう? ……誰も、君を狩ったりはしない。あの城に戻って、僕達の言う通りにすれば、君が考えたように、悪し様に言う者とて、いるやもだけれど。それも、一時のことだ。戦は何時か終わる。平和が戻れば、人の考えも、心も変わる。君の恋人とて、君に、『人殺し』になれと、そう言っている訳じゃない」

だから。

セツナは優しく。カナタは強く。

彼へと向けて、言ったけれど。

「解って貰えるなんて、最初から思ってない……。だから、もういい……っ。生きてくぐらい、どうにかなる、何とでもなるっ。人の畑を荒らしたり、誰かを脅して金を撒き上げてでも……、そうやってでも……。いいや、その方が、俺には遥かにマシだっっ。もう戻りたくないっっ。あそこには、戻りたくない……っ。……お二人には、俺の気持ちなんか解りっこない。自分が死ぬなんてこと、考えなくとも良い腕があって、殺すことを躊躇ったりもしないで、戦争に勝つことだけ考えていられるお二人には、俺の気持ちなんか……っっ。戦争をしても、戦場で人を殺しても、そうやっていられるお二人の気持ちも考えも、俺にはこれっぽっちも解らないみたいにっ。……戦争なんかして、何が楽しい……? 所詮、人斬りじゃないか……。兵士と夜盗と、何が違うって言うんだ。戦争ってお題目があれば、どれだけ人斬りを働いたって、許されるとでもっっ? ……貴方達も、あの城の人達も、俺の村の奴等だって……──

──駄目っ! そこから先は、言っちゃ駄目っっ!!」

涙声の男の叫びは、益々激しくなるばかりで。

何を思ったのか、その叫びの最中、それ以上は言葉にするなと、セツナは強く止めたが。

「……言うな? 俺の言うことが、本当だからですか? 貴方達も、あの城の人達も、俺の村の奴等も、皆々、その辺のゴロツキと大して変わらない、所詮は只の人殺しだって、言われたくないんですか? 今更っ!?」

………………男が。

その口を、閉ざすことはなかった。