レオナの酒場を後にして。
カナタは、先程セツナと共に潜ったばかりの、城の正門を再び抜けた。
季節と云う名のそれが、足早に、秋から冬へと向かおうとしているこの時期、夕暮れの足取りは早く、セツナと分かれた頃は未だ、日が暮れ始めて来た、程度の暗さでしかなかったのに、カナタが、本拠地を後にして歩き始めた頃はもう、何らかの明かりが欲しい、と、街道を行く人々は思い始めるだろう暗さへと移り変わっており。
でも、カナタは、己が足許にも周囲にも、大した注意など払わず、飄々とした足取りで、セツナと散歩をしていた野原を目指し。
彼の目的の場所かと思われた、その野原を過ぎても立ち止まることはせず、デュナン湖の畔に程ない、深いそこを抜ければ、同盟軍本拠地裏手の、小高い丘に出られる筈の、森の入口へと進み。
ぴたり…………と、足を止めると。
「お待たせ」
森を背にするように、くるりと振り返り、何者の姿も見えぬ野原へ向かって、にこっと微笑んだ。
棍を右手に微笑みながら、彼が佇めば。
ガサリ……と辺りの茂みが揺れて、顔を知られぬ為にだろう、目深にマントのフードを被った、数名の男達が姿を見せた。
「……色気のない話だ。待ち人が、何処の馬の骨とも知れない、男共って云うのはね」
現れた男達を一瞥し、やれやれ……とつまらなさそうに、カナタは呟く。
「で? 僕に、何の用? さっき、僕と二人きりだったにも拘らず、『同盟軍の盟主殿』にちょっかいを出さなかったそちらの用があるのは、あの子じゃなく、僕だってことくらい、判るから。誤魔化さないでくれると嬉しいんだけど。……ああ、一つだけ言わせてくれる? こんなこと言ってみたって詮無いのだろうけど、どうせね、昼間の内からチョロチョロするんなら、せめて、セツナには勘付かれないくらいの芸当、見せてくれないかな」
何処までも、つまらなさそうな、下らなさそうな、声音を崩さず。
微笑みさえ塗り替えずに、カナタは、無言を保ち続ける男達へと話し掛け。
「黙り? ま、そちらがそう云うつもりだと云うなら、それでも僕は構わないよ。大方、『お命頂戴』とか何とか、そんな手合いのこと、考えてるんだろうから」
一々付き合うのも、これでいて結構大変なんだよ? ……と彼は、「始めようか?」とでも云う風に、ふわり、右手の棍を振った。
──カナタが棍にさせた、その動きを。
『仕事』の始まり、と受け取ったのだろう。
声もなく、男達は、カナタを囲むように散った。
「ひー、ふー、みー……。六人、か。……六人、ね。──舐められたものだ」
冬枯れの様相を見せ始めた森を、それでも覆う茂み踏みしだく音もさせずに、ぱっ、と散開した男達の人数を、本当にのんびり、数え。
カナタはほんの少し、不機嫌そうな顔をする。
馬鹿にしているのか? と言わんばかりに。
──そうして、彼は。
「ま、折角だから? 僕に不利な条件で、相手してあげるよ。一人一人。その方が、楽しいだろう? そちらも、やり甲斐あるだろうし」
棍、と云う武器を振るうには適さない、深い森の中へと、姿溶け込ませた。
「……愚かな」
彼の取った、その行動へ。
男達──恐らくは暗殺者だろう男達の一人が、ぽつり、憐れむような呟きをくれたが。
もうそれ以上、暗殺者達は何の言葉も発せず、カナタの後を追った。
暗くて深い、森の中へと。
その気配ごと消えたカナタを追って、暫し。
「何処へ……」
中々見付けられない『獲物』への憤りをぶつけるように、ぼそり、男の一人が呟いた。
振り仰げば直ぐそこに、その居城を臨むこと叶う、同盟軍の盟主・セツナではなく。
彼等はカナタを付け狙っているのだ、カナタの正体を、知らない訳ではない。
彼の持つ、トラン建国の英雄、と云う肩書きも、トランの地に起こった解放戦争に勝利した、解放軍の軍主、と云うかつての彼の立場も、彼等は良く判っているし。
決して、カナタの肩書きや、かつての立場に関する風評を、尾ひれはひれの類いだと思っている訳でもないのだが。
中身はどうであれ、見た目は十七、八の少年としか思えぬカナタに、『暗殺の玄人』である自分達が負けるなどと、彼等は考えてもいないから。
高が、『小僧一人』を見付けるのに手間取っている現在の状況は、彼等にしてみれば、苛立ちを覚えさせられる以外の、何物でもないのだろう。
──あの、解放戦争が終わって。
たった三年の間に、生きたまま、『伝説の英雄』となった彼が、如何に強かろうとも。
風評が語る、彼の強さの大部分は、その身に帯びると云う『魂喰らい』と云う渾名の、真の紋章にあるのだとも、彼等は思っている。
そして、人並み外れていると噂の、彼の強さの殆どが、魂喰らいの紋章を拠り所としているのなら。
紋章は紋章であるが故、紋章を目覚めさせる為の詠唱の時間を必要とする事実も相まって、彼を殺してしまうくらいの些細な間程度、黙らせておくことは可能だとも、彼等は思っているから。
六人掛かりで相手をすれば、幾ら何でも簡単に終わるだろう『仕事』の的を、中々見付けられない『今』は、苛立ちの感情を思い起こさせる『今』なのだろう。
────だが。
分散して森の中を彷徨う彼等が、苛立ちを覚え始めてより、それ程は経たぬ内に。
男達の一人が、一本の木に立て掛けられた、光る何かを見付けた。
……光る何かが弾く光源は、空に見え始めた月か、さもなければ星か、その何れかの物なのだろう。
しかし、それを見付けた彼にとって、重きを置かれることは、それが、光源を弾いていることではなく、カナタが持っていた、棍である、と云うことで。
この季節でも尚、枝葉が生い茂る森の中で、棍などはそれ程役立たないのが道理だとしても、何故、武器を……と、男は訝しみ、そろそろと、辺りを窺いながら、忘れ去れたように置かれた、棍へと近付いた。
大方、棍がそこにあるのは『誘い』だろうと、想像出来なかった訳ではないが、逆を返せば、『誘い』があると云うことは、そこに、当人も潜んでいる、と云うことだから。
足音も、気配も殺して男は、自ら『誘い』へと近付き。
そろり、棍へと手を伸ばし。
「………………随分と、自信がお有りのようで」
──刹那。
男が思った通り、男の背後にて、唐突に人の気配が湧き、声が湧き。
咄嗟に腕を伸ばし切って棍を掴みながら、男は振り返り。
「それ、大事な物だから、粗末に扱わないで貰えるかな?」
振り返った男と目線を合わせたカナタは、真顔でそう告げた。