大切な得物なのだから、粗末には扱うな、と告げて来たカナタを、振り返り様。

手にした棍を、カナタ目掛けて男は投げた。

と、同時に、高く鋭い口笛を吹き。

「粗末に扱うな、って言ったのにね」

ひょいっと、左手を、小さな羽虫か何かを払うような仕種で振って、投げ付けられた棍を避けたカナタへ、抜いた小太刀の切っ先を、男は抉り込ませようとした。

『誘い』の為に、武器を手より離し、今又それを、左手で振り払った彼の掌中に、何の得物も握られていないこと、それのみを確かめながら。

────だが。

誤ることなく、的の喉笛を掻き斬る筈だった小太刀の切っ先は。

キン……! と高い音を立てつつ、阻まれる。

「もしかして、本気で、僕のこと侮ってる?」

……狙った先にある、肌や肉の先へと進むこと阻まれた切っ先に、目を見開いた男に。

にこっと笑いながら、カナタは言った。

「馬鹿な……」

必殺であった筈の一撃を阻みながらも、笑みも絶やさず、声音の穏やかさも変えぬ彼へ、男は呻きをくれた。

──何故、阻まれたのか。

何故、こうなっているのか。

それを、その目で確かめても、己が瞳に映ることが、男には信じられなかった。

…………小太刀の切っ先を止めたのは、それを振り翳した時には確かに、カナタの手の中にはなかった筈の、一握いちあくの扇だった。

何時の間に、何処より取り出されたのかも男には判らなかったそれは、閉じられたままで。

そしてその、閉じられた扇の先端のみを使って、小太刀の切っ先は、進むことを阻まれていた。

佇む姿勢も揺らがせず、すっ……と真直ぐ伸ばされただけの手に握られた、それのみにより。

──ほんの僅かでも、受け止める位置がずれれば、刃をその身に浴びると云うのに。

寸分の狂いもなく、唯、切っ先のみを受け止め、剰え、小太刀の柄に渾身の力を込めても、そこから先へと押し出すこと叶わぬ程の強さを、扇に持たせているカナタの技と。

そんなことをしてみせながらも、表情も、声音も変えぬ、技の持ち主が。

到底、信じられる筈もなく。

…………だから男は唯々、その目を見開いたけれど。

「セツナのトンファー受け止めるよりは、そちらの小太刀を受け止める方が、余程、楽だ。大きさ云々や、得物の種類云々じゃないからねえ、こういうことって」

セツナ、と云う、男も良く知る、同盟軍盟主の名前を、大切そうに口にしつつ、カナタは扇を握った右手を、突き動かすように跳ね上げ、小太刀の切っ先を逸らし。

指先を滑らせ、パシっ! と強い音響かせながら、存外に太い、黒い骨を持つ扇を広げ、広げられれば大振りだと判る、それに張られた紙の、鮮やかな赤色を、森の闇に晒し。

優雅に、弧を描くように身を翻し、舞踏の型であるかのように、手首を返した。

──カナタの動きに合わせて、闇の中、赤い幻影の帯を引く如くに靡いた扇は、柔らかく、が深く鋭く、男の首筋に触れて。

決して幻影では有り得ない、赤い糸のような血を、辺りに迸らせた。

けれどカナタは、足捌きのみで再び体を返し、倒れ行く男より離れ、一滴の血潮も、浴びることなく。

「後、五人、か。案外、退屈しそうなお相手だ」

声も放たず骸となった男が口笛で呼んだ、仲間達の気配が直ぐそこに迫っているのを察しながら、もう一度、高い音を放たせつつ、パチリ、と。

男の血を吸ったばかりの、武術扇を畳んだ。

武術扇を用いて戦うすべは。

何処か、舞に似ている。

『或る程度は』、『誰が扱っても』、優雅な武術、に映る。

あくまでも、傍目には。

況してやこれは、女人にも、重さと大きさの面に於いて扱うこと容易だから、殊更。

だが、だからこそなのだろう、この武術には、その術を扱う者の技量が、とても強く表れる。

──この術を学ぶ者は、形よりも心を学ぶべし、と言われる。※1

厳粛なること、雅楽に似て。

優雅なること、武角の内に気品を備え。

壮大なること、大山の如く。

この三つの心得を、必ず備えなければならぬと言われる。

この術を学ぶことは、書に対する心を整えて行くのに等しい、とも。※2

故にこの術は、技量と、技量を扱う『心』を問われる。

そして、術者の技量と心が高ければ高い程、この技は、厳粛であり、優雅であり、壮大、に映る。

真実、舞うように見える、武術になる。

────だから。

滑らす指先のみで、扇の広がりを閉じては、繰り出される剣の刃を、折らんばかりの力で打ち。

ふい……っと持ち上げたそれで、蝶を追うように、飛び交う幾つもの金票ひょう※3を払い落とし。

やはり、滑らせるだけの指先で、閉じた扇を広げて、『舞台』の気を引き締めるような仕種を見せつつ、その一閃の許、男達を薙ぎ。

時に、腰を折るように身を屈め、時に仰け反らせ、唯『舞う』カナタのその術は。

恐らく、少なくともこの大陸には、肩を並べる者おらぬだろう程見事で。

「こんな筈では……」

それこそ、一差しの舞を舞う程の時すら用いず、己達を倒して行く彼と相見あいまみえたことを、最後の一人となった男は一瞬、呪いそうになった。

「こんなこと、尋ねるだけ無駄だとは思うけど。誰の差し金?」

──男の内に過ったその気配を、察したのだろう。

得物を構えたまま動かなくなった男へ、『舞う』ことを止めたカナタは、鉄扇の先を突き付けたが。

尋ねるだけ無駄だ、と言った彼の言葉通り、男は自ら命を絶った。

…………だが。

「……六人中二人に、ハイランド訛り、か。…………想像通りだ」

対峙した男達の内二人に、声を発せられただけで充分、と。

彼は、華やかに笑い。

「大願成就の為に、本気で僕を亡き者にしたいなら、軍団の一つでも、率いて来るといい。それでやっと、多少は良い勝負になる。……ま、それでも、良い勝負にはなる、程度だと思うけどね」

森を象る木々の隙間より、ちらちらと湖面が窺える、デュナン湖の遥か北──今は、彼の『大切』なセツナの、幼馴染みが皇王の座に在る、ハイランドの方角に向かって、まるで、嘲っているように、彼は『忠告』を与えた。

※1〜※2 『──この術を学ぶ〜(中略)〜心を整えて行くのに等しい、とも。』……これは、実在する某武道の流派の初伝書に本当に書いてあることですが、これを伝授している某武道の流派は日本の流派なので、悪しからず。

※3 日本で言う処の手裏剣の中国版。形は日本版とは異なるブツ。