奪還したばかりのグリンヒルを発ち、出した犠牲は少なかったとは言え、それなりには激しかった戦闘を終えたばかりの兵士達の休息も取りつつの行軍を始めて五日目。

同盟軍は、ハイランドの占領下にあるミューズ市の西に辿り着いた。

「敵の総数は、約一万程度のようです。やはりかなりの兵を、マチルダに回しているようですね。モンドさんやサスケさん達の報告では、レオン・シルバーバーグも未だに、マチルダから動いていないようですから。早い内に仕掛けましょう」

遠くミューズ市を取り囲む高い壁が窺える、草原の直中に出来た本陣の天幕の中で、シュウより此度の戦の正軍師に任ぜられたアップルは、各方面から集めた報告が踊る書状を眺めつつ、策を切り出した。

「大丈夫です。数の上ではこちらが勝ってます。それに、ハイランド側の部隊の全て、叩く必要はありません。同じくハイランドの占領下のコロネは、タイ・ホーさん達の水軍が牽制してくれる手筈になっていますから、ミューズさえ押さえてしまえば、あちらが戻る所は失われ、ハイランド領内に撤退するしかなくなる筈です」

「……要するに。ミューズの街のみを目指せ、と言うことか?」

アップルの語る策を聞いて、天幕に集った将の一人、ハウザーが、広げられた地図より彼女へと目線を上げた。

「はい」

「……成程。ま、そういうことなら、比較的、楽な戦だ」

ハウザーの問いにアップルが頷けば、何だ、簡単な話じゃねえか、とビクトールは気楽に呟いた。

「…………気楽、ね」

だが、傭兵の独り言へ、天幕の片隅に陣取っていたカナタは物言いた気な声を出す。

「何だ? カナタ。そうでもないってか?」

「……いや、そうじゃなくて。一応向こうには、猛将と名高い御仁と、知将と名高い御仁がいるようだから? 気は抜かないに越したことはないかな、と」

「んなこたぁ、言われなくっても判ってる」

「そう? なら、いいけど。────セツナ。僕は立場上、こういう戦には付き合えないから。御免ね、傍にはいてあげられないけど。…………気を付けて」

気を引き締めてやっても、ひらひらと片手を振るだけのビクトールへ肩を竦めて彼は、人々の輪の中心にいるセツナに近付き、真剣な表情を湛えた。

「はい。でも、だいじょぶですよ。皆いてくれますし。ちゃんと、マクドールさんの言い付け、守りますから」

「……うん。──じゃあ、又、後でね。僕は暫く、その辺で大人しくしてるから。戦いが終わった頃、ミューズでね。正門辺りで待っててくれると、嬉しいかな」

「はーーーーい」

「………………良い? 気を付けて。深追いだけは、してはいけないよ」

そうして彼は、己の言い付けに素直に頷いてみせたセツナのこうべを軽く撫で、肩に棍を担ぎ、天幕を出て行った。

「相変わらず、過保護だなあ、カナタの奴…………」

「仕方ないさ、セツナのこととなると」

『溺愛』中の彼へ、くどい程、気を付けて、と言い残して出て行った彼へ、フリックとビクトールの二人は、苦笑のみを送る。

「さて、と。じゃあ、僕達も支度しましょっか、アップルさん」

一方セツナは、マクドールさん、又後でーー! ……と、カナタの背へブンブンと手を振り、くるっとアップルを振り仰いで、戦場いくさばへ赴く為の面差しを作った。

「進軍っ!!」

盟主に従う大将軍の筆頭として、ハウザーが全軍への号令を掛け、同盟軍一同がミューズ市を目指し始めた時。

セツナ達と分かれたカナタは、馬を駆り、シュウより密かに借り受けた僅かな手勢達と共に、これより戦場と化すだろう一帯を迂回して、ミューズ市の北側に回り込んでいた。

ミューズ市西側に陣を取り、鶴翼に隊列を成して進んで行く同盟軍と、取り立てて陣形らしい隊列を組む訳でもなく、一目でカラヤクランの者達と判る部隊のみを前面に押し出し、ミューズにての篭城を決め込んでいるのか、市壁周辺を取り囲むように部隊を配置しているハイランド軍とを遠巻きに眺め、

「もう少し、手の込んだ法を取った方が良いのに」

フン……、とハイランドの本陣が据えられた辺りを見遣りながら、カナタは鼻白む。

「読み通りなら。カラヤクランの部隊が崩れるか否かの頃合いに、ハイランド側はミューズ市を『捨てて』、撤退して見せる筈だ。………………そうだな……、カラヤ側は精々、二、三千と言った処だろうから、ハイランドが引き始めるのは、時間にして、今から一刻程後程度だろう。──だから、その頃。あちらが撤退を開始したら。ハイランドの本陣近くで、一騒ぎ起こしてくれるかな? 騒ぎさえ起こしてくれればそれで構わないよ。事は足りる。数分の間でいい。皇王殿の周りから、人が消えれば」

そうして彼は、馬上にて、借り受けた男達を振り返り、簡単な命令を出すと。

「じゃあ、後、宜しく」

そのまま一人、馬を走らせ、何処へと消えた。

戦に於ける数の差、それは、大抵の場合絶対的で、誰の目にも明らかなように、同盟軍に押され、最前線で戦っていたカラヤクランの部隊は、明らかに数を減らして行った。

「ジョウイ様。そろそろ、頃合いかと」

そんな様を、市壁を取り囲んだ部隊一つも動かさずに眺め、ハイランドの将の一人、クルガンは、ジョウイに進言を始めた。

「未だだ。ルシア殿の軍に、退却の合図を出せ」

が、ジョウイは、クルガンの方を見もせず、跨がった馬の脚を動かそうともせず。

「ジョウイ様。ですがそれでは……」

「良いからっ! 早く合図を出すんだっ!」

「…………ルシア殿とて、覚悟の上のことの筈です」

「………………判った。支度、を……」

諭されて、諭されて、漸く彼は、皇王として頷いた。

「撤退だ! 早くしろっ!」

故にクルガンは、本陣を占める部下達を振り返って号令を掛けたが。

「クルガン様! 敵襲がっ!」

その時を見計らっていたように、ハイランド本陣脇辺りにて騒動が起こり始め、

「何をやっている、貴様等っ!」

業を煮やして、知将と名高い彼が騒ぎの方へと足を向けた時、パッ! ……とジョウイの跨がる馬の足許で、火柱が上がった。