魔法に因るものなのかそれとも、ハルモニア神聖国辺りでは伝わっている『道具』に因るものなのか。

それを、ハイランド本陣に詰めた誰の目も確かめられなかったが、それ程は強くなかったにせよ、火柱ではあるものが上がった所為で、手綱を取られ大人しくしていた皇王の馬は、一度、高く嘶いて、ジョウイの意思を無視し駆け始めた。

「ジョウイ様っ!」

「皇王陛下っ!」

突然、彼の馬が全速力で走り始めたのを見て、クルガンも彼の部下達も慌てて振り返ってはみたが、どうすることも出来ず、ジョウイを乗せたまま馬は迷走し出して、

「…………くっ……。止まれっ。止まるんだっ!」

何とか手綱を制し、暴れた馬をジョウイが宥め終えたのは、本陣からは大分離れた、ミューズ市の裏手に当たる、やはり市塀の傍だった。

「……どうして…………っ。────……っっ!!」

……と、漸く留まること適い、陣の方を振り返りながら苛立ちを見せた彼の背後で不意に気配が湧いて、強い衝撃を受けた彼は、馬上より叩き落とされる。

そして再び、馬はミューズを取り囲む草原の向こうを目指して駆け出してしまった。

「これで暫く、邪魔は入らない。──…………先日は、挨拶もせずに失礼したね。ハイランド皇王、ジョウイ・ブライト殿。……君と会うのはこれで三度目だけど。一応、名乗った方が良いかな?」

────う……、と呻き声を上げながら、伏した大地より立ち上がったジョウイの眼前には。

黒塗りの棍を構えた少年──カナタがいた。

「……貴方、は…………。……いいえ。名乗って頂かなくとも結構ですよ、カナタ・マクドール。……トランの英雄殿」

恐らくは棍で打たれたのだろう背中を庇うように蹌踉めき立ち、にこっと笑ってみせたカナタに、ジョウイは顔を向ける。

「そう。なら、話は早い。…………ああ、安心してくれていいよ。君も知っているように、僕は、セツナに手を貸しているけれど。別に、君の命を奪いに来た訳じゃない」

無表情を装いながらも、睨み付けるような眼差しで、クッ……と見詰めて来たジョウイへ、カナタは笑みを深めた。

「では、こんな処まで、わざわざ何を?」

「……借りを返しに来た。借りを返して、支払うべき、相応の対価を支払って貰う為に。…………君には、随分と借りがある。以前、僕の命を狙ってくれた時の借りは固より、この街での和平交渉の席の借りも、カラヤの彼女が仕出かしてくれた時の借りも、先日のグリンヒルでの借りも、返してはいない。そして君は。相応の対価を、払ってはいない。君が、セツナに払うべき対価を」

「僕と貴方の『個人的』なことは……そうですね。貴方にしてみたら、返せていない借りなんでしょう。でも。和平交渉の席でのこと、ルシア殿のこと、先日のこと、それは、貴方には関係ないでしょう? ……それに、何なんですか? 僕がセツナに支払うべき、相応の対価、とは」

にっこりと、優しく見える風に笑んだまま、ジョウイにしてみれば一方的と思える話を始めたカナタへ、彼は、貴方には関係ない、と言い放った。

「…………へえ。自覚、ないんだ」

だがカナタは、呆れたように肩を竦め、

「自覚?」

「そう、自覚。──そこまでを君が知っているのかどうか、それは僕も知らないが。僕は、僕の理由と想いに従って、セツナを可愛がってる。『溺愛』してる、とね。そう言ってもいい。……だからね。僕は、セツナが可愛くて仕方ないから。セツナを傷付けた君に、万死を与えたいくらいのつもりでいるんだよ。…………自覚、ないんだ? セツナを傷付けた、自覚」

「……そんなこと…………っ。貴方風情に言われなくても、自覚くらい僕だってしているっっ。でもっ! 僕はハイランドの皇位を下りるつもりなどなくて、セツナだって……っ。だから、僕達は……っ──

──下らない。……やはり、判っていないんだね、君は」

己とセツナの間にあることに『他人』が立ち入るなと、それだけを言い募り始めたジョウイへ、カナタは、向けていた眼光の鋭さを変えた。

「そちらの都合、セツナの都合、それぞれの立場。……そんなことを言っている訳じゃない。君達の信念を問うている訳でもない。僕の言い分は、そんな所にはない。大切な幼馴染みを守ること、それに、そちらの意義と意味があると言うなら、それはそれで構わない。それも又、立派、とは言える『事』の一つだろう。…………だが」

「…………だが? 何だって言うんですっ。貴方は一体、何が言いたいんですか……っ」

──お前には、罪がある。────一つ目の罪。それは、和平交渉の席にレオンを伴い、弓隊まで配しておきながら。僕は君を殺したくないと、そうセツナに言ったこと。二つ目。ルシアがセツナの許へと向かうのを止められなかったこと。三つ目。グリンヒルにユーバーを送り込んだこと。そして、四つ目。グリンヒルで。セツナの前で。運命を口にしたこと。お前は自分の想いを掴み、セツナはセツナの想いを広げた。そう言ったこと。────ジョウイ・ブライト。守ることに、意義があり、意味がある、とさえ言ったセツナを。どれだけ傷付ければ、気が済む?」

「………………僕は。……僕は、セツナを傷付けようだなんて思ったことは、一度もないっ!」

その身の全てに怖気が走るような、硬く、そして冷たく光るカナタの瞳に見据えられて、それでも確かに立ったまま、ジョウイは声を張り上げる。

「……成程。これだけ告げてやっても、未だその程度か。──お前は今まで、セツナの何を見て来た? 何を想って、あの子の傍にいたと? ハイランドの皇王と。同盟軍の盟主と。それぞれの立場を口にしながら。こうなることは、紋章を宿した時から決まっていた運命かも知れぬと、皇王として新しい秩序を打ち立ててみせると、知ったようなことを言いながら。お前はその裏で、何をセツナに期待している?」

「期待、なんて…………。僕はセツナに期待なんて、もう何も……。いいや、最初からっ! 僕は只、僕の意思の命ずるまま、あの二人を守れれば、それで良かった…………っ。だからハイランドに戻って、セツナや、ナナミが……そして、僕がっ。僕達三人が静かに住まえる、ピリカのように親を失い泣くような、そんな子の二度と生まれぬ国を作ろうと、そう思っただけだっ! そんな国と、そんな平和が欲しかっただけだっっ」

「……ジョウイ・ブライト。この世界にそれでも幾つかはある、僕の嫌いなものの一つを教えよう。…………僕は、覚悟も信念も伴わぬ、下らないだけの偽善など、見たくもないし、聞きたくもない。反吐が出る。…………今、お前が語ったことは、そういうことだ」

……いまだ戦の喧噪が続くミューズ地方の草原に、ジョウイの声が響き渡るのを待って。

僅か、その漆黒の瞳を細めながらカナタは、ふっ……と、が、素早く棍を振り、その先をジョウイの喉元に近付けた。

「………………っ。……そうかも、知れない。故国を憂いて革命を起こし、人々の為に戦って、トランを打ち立てた貴方には、そう聞こえるのかも知れな──

────そうでは、なくて。セツナ達の為だけに、平和と平和な国が欲しいと願った、その想いを指しているのではなく。……僕がお前に言っているのは、お前のその、覚悟の無さ。過去のみを見詰める、その甘さ。覚悟もなく、厳しさも持てず、只、過去のみを見詰め。セツナを傷付けたその罪と、その偽善。それだけだ。………誰の前にも、道は一つしかない。歩める場所など、唯一つ。なのにお前は、それすら選べずにいる。少なくとも、今は未だ」

そして、カナタは。

瞬き一つせずジョウイを見据え、言い切り、構えていた棍で、見据え続けた彼の身を突き、踞らせ。