「お前との決着を付けるのは、セツナがすべきことだ。僕の成すことじゃない。僕の感情の上では、お前の行い全て、万死に値するとしても。僕はこれ以上、何も振るわないし、何も告げない。…………だが、最後に一つだけ。小細工をしてまで、お前の前に姿を見せた最大の理由わけ。それだけは、聞かせてやる」

踞りながら青い瞳を上向けて来たジョウイを見下ろして、カナタは、すっと棍を引き、

「………………何、を……?」

「……何も彼も。最早、戻らない。お前が何を望んでも。セツナに何を期待しても。もう、何一つとして戻りはしない。そして、戻させはしない。かつて、お前が夢見ただろう『遠い昔』、『望む昔』、そこにもう、セツナの幸せはない。…………僕は、それだけをお前に告げに来た。それを知ること。それが、お前の支払うべき対価だから」

それのみを……、と言い残すと、踵を返し、ミューズの市塀沿いに歩き始めた。

「…………能く、考えるんだね」

──が。

気でも変わったのか、数歩程進んだ処で肩越しにジョウイを振り返り、

「あの子は、愛すべき子だ。不可思議な質をした、愛しい子だ。……そんなあの子を。君が、親友だ、と未だに言い張るあの子を。自分が、如何にして、どれ程深く、傷付けたのか。能く考えてみるんだね。…………あの子は多分。こうなってしまった今でも、未だ。大河の対岸に君を見ている。河の向こう側とこちら側に自分達は分たれてしまったけれど、向かう先は一つだと。自分達を分つ大河の向かう先──想いの向かう先は一つだと。僕にも見せない心の奥で、多分、そんなことを思ってる。…………だが。……さて、それを、帰らざる河にするのは、何処の誰だろうね、覚悟に乏しいジョウイ君。まあ、最初から? 大河の流れなぞ、何処にも戻りはしないけど」

冷たいだけの面を綺麗な微笑みに塗り替えた彼は、「言っても解りはしないかな……」と小さく洩らしてから、じゃあね、と、ひらひら手を振った。

「……僕にだってっ! 僕にだって、相応の想いくらいあるっ! 僕は、ハイランドの皇王のまま在ると決めたっ! セツナと……同盟軍の盟主と戦うと決めたっ! 僕にだって、貴方の言う覚悟くらい…………っ」

「へえ? そうなんだ? …………じゃあ、その内のんびりと、君のその覚悟とやらを見せて貰うとするよ。……ああ、そうそう。折角だから、忠告を一つ、君にあげよう。戦の最中にね、皇王ともあろう者が、私情を窺わせるのは良くないよ。例え、見捨てる相手が誰であっても。その相手が女性で、その身に、子を宿していても。…………彼女の子。誰の子なんだろうね? ジョウイ君?」

ジョウイには、一体、何に対して支払うべき対価なのか、何故、それを語られることが対価なのか、少しも判らぬ話を一方的に語り、去り行こうとしているカナタの背へ、当のジョウイは叫んだけれど。

ふうん……、と呟き、今度こそ本当に、ジョウイの前よりカナタはその姿を消した。

落ち合う場所に選んだ、ミューズの正門前で。

「お疲れ様、セツナ。大丈夫だった?」

さも、散歩から帰って来ました、とでも言うような顔付きをして、ジョウイを『置き去り』にしたカナタは、戦を終えたセツナの前へとやって来た。

「あ、マクドールさん。大丈夫でーす。無事ですよー」

常の笑みを湛え飄々と近付いて来たカナタに、セツナは駆け寄る。

「そう? 良かった。処で、この後どうするの?」

「えっとですね、今、小隊の人達が手分けして、中確認しに行ってくれてるんです。ハイランド側の誰か、残ってないか、とか。そういうの、調べに」

「成程。…………それにしても、随分と静かだね、中」

「はい。静かです。静か過ぎます」

とてとて走り寄って来たセツナの髪を、無事で良かった、とカナタが撫でていたら、静かだ……、との彼の感想へ、近くにいたクラウスが懸念を示した。

「随分とあっさり、ハイランドがミューズを捨てたのも気になりますし……」

「心配性だねえ、クラウスちゃん。大丈夫だって言ってんだろ。連中は只、尻尾を巻いて逃げてっただけさ」

が、そこへ、明るく笑いながらビクトールが嘴を挟み、

「おーし。セツナ、折角取り返したんだ、ミューズの中へ俺達も入ってみようぜ」

探検、探検……と、セツナへ誘いを掛け始める。

「……探検? しても、いいけど……」

ビクトール曰くの、探検、の言葉に、一瞬セツナはキラリと瞳を輝かせたけれど、怒られるかな? と、クラウスでもなくアップルでもなく、カナタの顔色を窺った。

「行きたい? なら、僕も付いてってあげるよ」

明らかに乞うている薄茶の瞳に、カナタは苦笑を返した。

「じゃ、行きましょう、ビクトールさんっ」

だから、パッとセツナは顔を綻ばせ、

「おいおい。ビクトール。悪ノリもいい加減にしとけよ」

「心配なら、お前も付き合え」

相方へ待ったを掛けに来たフリックと、

「ルックー。ルックも行こうーー!」

「冗談じゃないよ、どうして僕がっっ」

「魔法使いの一人くらいは同伴、が探検の基本だもん」

セツナに引っ張って来られたルックをも巻き込んで、総勢五名で。

彼等は、奪還し終えたばかりのミューズ市内の探検へと向かった。

くれぐれも注意を、と念押しして来たクラウス達に盛大に手を振った約一名と、約一名に苦笑せざるを得なかった四名の計五人は、市門を潜り、門番の詰め所として使われている小屋辺りを通り過ぎた処で、一旦、立ち止まった。

「…………不気味な程、静かだと思わないか、ビクトール」

「ああ。人の気配一つない。市民……は、以前の……、ほれ、例の、生け贄がどうののアレに……だったとしても……」

「そうだな。それにしたって。……ハイランドの連中、本当は最初から、ここを捨てるつもりだったんじゃないのか? だとするなら、クラウスが首捻る程あっさりしてたあの戦い振りも、残兵の一人も見当たらないこの静けさも、納得出来る」

踏み込んだ街が余りにも静か過ぎたから、先頭に立って歩いていたフリックとビクトールは、街へと踏み込む前には見せていた気楽さを捨て、立ち止まり、辺りを見回し、これは一寸、幾ら何でも……、そんな風に揃って顔を顰めたが。

マチルダを手に入れた今、もうミューズはハイランドにとって価値のない街になっていたのかも知れない、とも思って、周囲の気配を窺いながら、街の中心部を目指し始めた。

「…………やっぱり、僕は戻る」

歩みを再開した傭兵コンビの後を、大人しく、カナタとセツナは付いて行ったけれども、やけに周囲の様子を気にしつつのルックだけは、くるりと身を翻し、

「だーめっ」

「何か、思う処でもあるのかい? ルック」

パシっ! と、逃げ出そうとしたルックの法衣の裾をセツナは握り締め、まあまあ、付き合おうよ、とカナタはその肩を掴んだ。

「思う処、と言うか……。──どうにも、気持ち悪いんだよ、この街……」

すればルックは、眉間に深い皺を寄せて、心底嫌そうな表情を作り、気持ち悪い、と彼等へ告げた。