「気持ち悪い?」
「ああ。──大分以前。ハルモニア神聖国からハイランドが分かれた時に、神官長ヒクサクからブライト王家へと、二十七の真の紋章の一つ、獣の紋章が賜われた……って話を、聞いたことがある」
「……それで?」
「守護者たるモノ。破壊と守護を司る紋章。それが、獣の紋章。…………だから、ルカがここで難民を生け贄にしてた、それが本当なら、彼等は獣の紋章を目覚めさせる為の血を捧げてた、ってことになって。でも、紋章の気配はしないから、この街にはもう、あの紋章はないんだろうけどね。…………気持ち悪いんだよ。この気持ち悪さは、ここで以前、獣の紋章に人の血が捧げられたことの名残りなんだろうとは思うけど……。それにしても気持ち悪過ぎると言うか……、それにしては嫌さ加減が濃過ぎるって言うか……。兎に角、気持ち悪い。何処となく、嫌な気配があちこちからする。……セツナ、カナタ。その手、離しなよ。そういう訳だから、僕は戻る」
何故、頻りに帰りたがるのか、その理由をルックは渋々語って、戻る、と再び強く意思を示したが。
「そうだと言うなら、益々、ルックにはいて貰わなきゃ困る。ねえ、セツナ」
「ええ、そうですよねー。……だからルック。行こうねー」
鬼のようなことを、にこやかに二人は告げて、嫌がるルックを引き摺り傭兵達の後を追った。
「街の様子なんて、後で幾らでも確かめられるだろっ! 心配だって言うなら、大隊でも組んで突入すればいいじゃないかっ。僕が付き合う必要なんて、何処にもないだろっっ」
「大隊で突入しても、軍団で突入しても、別に僕はいいけど。紋章絡みの嫌な気配がするのなら、それは、ルックの得意な分野だろう? 餅は餅屋って言うじゃないか」
「いーじゃない。もう、ここまで来ちゃったんだし。マクドールさんの言う通り、色々判るルックがいてくれた方が、皆で乗り込むよりずっといいよ」
故に、それより暫く、ぎゃいのぎゃいの、静寂に包まれ過ぎているミューズ市中に響く、抵抗を続けるルックと、そんなルックを逃さじとするカナタとセツナの高いやり取りは続き、ふと気が付いた時には彼等は、市庁舎の前まで辿り着いていた。
「もう良いだろうっ? ほらっ、何処にも何もないんだからっっ。カナタもセツナもっ! いい加減にしないと、本気で怒るよっっ」
「えー。でも、嫌な気配、未だするんでしょ? ルック」
「もうここが、終点なのだから。つれないこと言わない」
そこまでミューズ市の奥深く入り込んでも、ルックとセツナとカナタの『言い争い』は止まずにいたが。
「…………あ、盟主様!」
そこへ、良く通る彼等の声を聞き付けたらしい同盟軍兵士が一人、市庁舎の中より飛び出て来た。
「どうかしたの?」
「はい。その…………市庁舎の奥に何かがいるとかで、酷い騒ぎが……」
走り寄って来た兵士へセツナが振り向けば、血相を変えた風な彼は、肩で息をしながら事情を語った。
「どうする、行ってみるか?」
息急き切って兵士が語ったことを聞き、星辰剣の柄に手を掛けながら、ビクトールがセツナを見た。
「うん。行く。ルックも、気持ち悪いって言い通しだから。何かあるのかも知れないもん」
向けられた視線、声音、それには全て、逃げるのも手だぞ? との雰囲気が織り混ざってはいたが、行く、とセツナはそう決めて、ルックの法衣を掴んだまま、カナタと並び、市庁舎へ踏み込む。
「う、うわぁぁぁぁぁっ!!」
と、彼等が一歩踏み込むや否や、市庁舎内部を見回っていた兵士達の叫び声が木霊し、
「……な、何だ? ありゃっ!?」
「…………金狼……? どうして……?」
「あれ、か……」
「ああ、あれなの? ルックに気持ち悪がらせてたモトって」
「ふぅん……。じゃあ、眷属……か何か、かな?」
叫びを放った兵士達の向こう側に、金色の毛並みの大きな狼を見付けた皆は、それぞれ声を洩らした。
「悠長に喋ってる場合かっ!」
「おい、お前等っ! 逃げるんだっ!」
驚きを吐いた自分達とは違い、何処かのんびりと金狼を見詰める少年達へビクトールは再び叫び、フリックは、身を竦ませた兵士達を叱咤する。
「眷属か何か、じゃなくって。紛うことなく、眷属」
「…………へぇ。便利でいいなあ、獣の紋章って。『餌』が人の生き血って処だけが、頂けないけど」
「マクドールさん。そういう問題じゃないと思います。…………でも、僕も欲しいです、あーゆーの。ぽわぽわしてて、気持ち良さそー……。ちゃんと躾けたら、言うこと聞いてくれるのかなあ……」
けれど、それでも少年達は暫し、馬鹿なやり取りを続け、
「さて、と。そろそろ、『愛玩動物』の躾の時間、と行こうか」
「そですね。生き血をあげる趣味なんて、僕達にはありませんし」
「どうでもいいよ。この、気持ち悪さがなくなるんなら」
フリックの叱咤を受けた兵士達が、何とか市庁舎より逃げ出して行くのを見届けて、漸く三人も金狼へ向き直った。
「でも……。これ一匹だけじゃないよ。躾が必要なのは」
だが、『獣』と対峙しロッドを構えながらも、こいつの相手だけでは済まない、とルックは囁く。
「………そのようだね。…………なら、纏めて相手をしようか」
「手っ取り早いの、僕好きです」
すればカナタは、どうせなら、と、それぞれの剣を構え掛けた傭兵達へ、外へ出ろ、と眼差しだけで命じ、セツナは、おいでおいでー、と、仔犬を愛でるかのように金狼を手招いてみせた。
「…………おい、本気かよ……」
「本気……なんだろうな、多分……」
──カナタに命ぜられるまま外へと出てみたものの、飛び出た市庁舎前の広場には、数匹の金狼──獣の紋章の眷属の影があり、この全て、纏めて相手にするのは……と、傭兵達は足を止める。
「大丈夫。何も、一つ一つ潰そうと思ってる訳じゃない。……言ったろう? 躾の時間だ、って」
が、ビクトールとフリックに続き市庁舎より出て来たカナタは、笑みを見せ、
「紋章の眷属ならば、倒した処で骨折り損だ。相手は所詮、紋章の中から召還された、幻惑のようなモノだからね。実体と力を伴う幻惑。紋章自身を眠らせない限り、紋章が望めば生まれるし、紋章が望めば消える」
立ち止まった傭兵達を追い越して、前へと進んだ。
「幻惑……ったって。実体と力があるから、問題なんだろうが」
「……だから。倒そうと思えば倒せるけれど、僕達が疲れるだけだから。番犬には番犬らしく、大人しくしてて貰うんだよ。その方が遥かに親切じゃないか。番犬と遊ぶのは、飼い主の勤めだろう?」
「僕は、手伝わないからね」
「じゃ、僕手伝いますー」
そうして彼は肩越し、納得いかなそうなビクトールへ言葉を続け、傭兵に向けられた科白を聞いていたルックは嫌そうに顔を顰め、セツナはいそいそとカナタの傍に寄った。
「んー……。セツナには、余り紋章使って欲しくないけど、言っても聞かないだろうから。……じゃあ、少しだけ手伝ってね?」
「はーい」
元気良く手を上げて、一緒にやりますっ! と言った彼へ、カナタは僅か、悩むような素振りを見せたけれど、ま、言ってもどうせ無駄か、と思い直し。
「程々で構わないよ。僕達には敵わない程度の認識が、あの番犬に生まれればいい」
「判ってますよ。ちゃんと、加減してやります」
彼はセツナと二人、揃って、『細やか』に魔法の光を生み出し始めた。