数頭の金狼を前に、『細やか』な行いと断固主張したカナタとセツナの『それ』が終わって、逃げるよ、と言い出した二人の言葉に従い、彼等はミューズの街中を駆け抜け、正門の外へと出た。

「ご無事ですかっ? 今、人をやろうと…………」

駆け出ながらも、「可愛い番犬でしたねー」とか、「ああ、そうだったね」、とか。

ビクトールやフリックにしたら、悪趣味、としか評せぬ会話をセツナとカナタは交わしていたが、のほほん、としていた彼等を出迎えたクラウスは、切羽詰まっている風だった。

「え、何? 何か遭った?」

「盟主殿、急ぎお支度をっっ。ハイランド軍が、戻って来ましたっ」

「何だって? 戻って来た?」

「じゃあ……最初から、そのつもりで……?」

現状を訴えるクラウスに応えたのは、ビクトールとフリック。

「ええ、恐らくそうだと思います。ミューズを捨てたと思い込ませて、金狼……でしたか? 先程、逃げて来た兵士達が襲われたと騒いでいた……。それに我々を襲わせ、浮き足立った処を狙うつもりだったのではないかと」

「成程……」

「あ、処で、その金狼は?」

「それなら平気だよ、一応。それよりもクラウスさん、アップルさん。直ぐに本拠地戻ろう?」

だから、呻いた傭兵達にクラウスは更に語り、ミューズは諦め本拠地に戻る、とセツナが断を下した為、人々は慌ただしく散り。

あわよくば、とは思ったが。

こちら側が取った陣に惑わされることもなく、最も伏兵の少ない方面を目指してミューズより同盟軍が撤退して行く、との報せを受けたジョウイは、同盟軍の軍師達も馬鹿ではないか……と、重い息を吐きつつ、舞い戻って来たミューズ市の正門を部下達と共に潜った。

乱れる様子もなく敵側は撤退して行くから、レオン・シルバーバーグの助言に従い市内に張った罠も功を奏さなかったのだろうと、そんなことを想像しつつ。

果たして、それ──セツナが今も尚無事であるとの事実、それは、良かったのか、悪かったのか、と表情を暗く翳らせながら、彼は。

……だが。

翳りを帯びた面を塗り替えぬまま馬を降り、一切の人気を失ったミューズ市内の目抜き通りを市庁舎目指して歩き出したジョウイは、鋭い目付きで前方を見据えた。

「早いご帰還だね」

「…………又、貴方ですか……」

ジョウイが見据えたその先には、黒塗りの棍を手に飄々と立ち、そして微笑むカナタの姿があり、うんざりとした色を瞳に浮かべて彼は立ち止まる。

「今度は一体、何の用ですか。又、僕に諭しでも与えに来たんですか」

「諭し? ……いいや。もっと『気軽』な理由だ。──金色の番犬を有り難う。楽しく遊ばせて貰ったよ。でもあれは、僕達の物ではないし、僕達には懐かないし。番犬の躾は、飼い主の義務だから。……返しに来た。例えセツナのことと言えど、僕は『戦争』には付き合えないからね。セツナがああしてると、暇になるから」

立ち止まったその場所で腰の剣を抜き構え、敵の直中に佇む唯一人を取り巻いた部下達と共に、討ってやる、との気配を見せ始めたジョウイに、カナタは世間話を語るように言って。

「……ああ、それと。もう一つ」

そのにこやかな笑みを崩さず、彼は、すたすたとジョウイの眼前へと歩み進んで、軽く肩を竦めつつ、

「自分にも、相応の覚悟はある、と君はそう僕に言ったね。……でも、あの程度が、君の覚悟だと? …………ふざけるな、愚か者」

愚か者、と呟いた、その一瞬のみ表情を移ろわせ、優雅な素振りで持ち上げた左手で、カナタの纏う雰囲気に押され動くこと忘れたジョウイの手を取り、抜き去られたジョウイ自身の剣の刃に当てて、ゆるり、引き。

その血を、石畳の上へと滴り落とさせた。

────パタリ、パタリ……と、水音を立てて、薄く斬られたジョウイの肌から、幾滴か、血の珠が溢れ落ちた途端。

辺りには、やけに強い血臭が立ち籠め、あちらこちらから獣の咆哮らしき声が涌き上がる。

「番犬の躾は、ちゃんとした方がいいよ? ……その身を以て、ね」

そこで漸く、出来事を理解した風にキッと睨んできたジョウイへ、又、にこりと笑みを返したカナタは、瞬く間に近付いてくる強く激しい咆哮に慌てふためき始めたハイランド兵達を尻目に、その場より去った。

「…………っ……。あの、男…………っっ」

言葉も、刃も返すこと出来ず、見す見す逃してしまったカナタへ、ジョウイは憎々し気に呻きを送ったが、それは、もう届くことなく。

血臭に誘われたように物陰からのそりと姿見せた、獣の紋章の眷属達を抑え込まなければ……と、それ以上、カナタにも、カナタに吐かれた言葉にも思い馳せること許されぬまま、彼は、黒き刃の紋章を空へ掲げた。