肩を竦め、笑いながら、バレた? とカナタがペロリ、舌を出すから、
「それは、まあ……。私も、坊ちゃんがお小さい頃から、この家にいますし」
彼女も、カナタと同じように肩を竦めてみせた。
「……うん、それは重々承知してるけど。今の僕の様子は、クレオが改まってそんな風に訊いてくる程なのかな、って思ってね。…………もう、半月は前の話なんだけどねえ。自分自身の予想を超えるくらいだったのかな。……ねえ、クレオ。僕はそんなに、機嫌が悪そうかい?」
「そうですね……。気付かない者が大方でしょうけれど。私の目には、機嫌悪そうだな、と映る程度ですから、見た目は兎も角内心は、余程、お悪いんでしょう。早い内に、そのご機嫌を直されないと、セツナ君が心配しますよ? セツナ君、坊ちゃんのこと良く判ってるみたいですから」
「そうだね。セツナには心配掛けたくないんだけど。…………一寸、どうしても、気に入らないことがあってね」
「……珍しいですね、坊ちゃんが、そんな風に仰るなんて。────聞いて差し上げた方が、宜しいですか?」
「…………うーん……。まあ、それも手かな。──語ると、それはそれは長い、お伽噺があってさ。その登場人物の一人が、気に入らないんだ、とても、ね」
「お付き合いしますよ、幾らでも。未だ、ルックが坊ちゃんを迎えに来るまで、時間はありますし」
互い、少しばかり困ったように肩を竦め合いながら、ぶつぶつとカナタが言い募れば、クレオは、私は何の為にいるんですか、と彼を促した。
だからカナタは、暫し考え込んだ後、居間の天井と壁の境目辺りへ視線を持ち上げて、徐に口を開く。
「……少しばかり昔に。小さい頃から、兄弟のように仲良く育った少年が二人、いた。幼子、と言える頃から二人は一緒で、少年と言える年頃になっても、それは変わらず。でも、仲良く過ごしていた彼等は、戦争に巻き込まれ。元は一つだった紋章の片割れ同士をそれぞれ宿して、袂を分かった」
「………………それで?」
まるで、絵本を読み上げてでもいるように、カナタはそんなことを語り出し、クレオはそれに、聞き耳を立てた。
「そうして、暫くの時が過ぎたら。袂を分かった彼等はそれぞれ、戦いを続ける二つの国の、長になっていた。互い、もう二度と引けぬ戦いの頂点に立って。戦い合うしか道はないのかも知れぬ処まで、運命に追いやられてしまった。……………………でも。彼等の内の一人は、どうしても。兄弟のように育った己が紋章の片割れを、倒すこと決められずにいる。…………だから、未だ。このお伽噺は終わらない。──…………クレオ」
「……はい」
「誰の前にも。道は、一つしかない。歩める道など、唯一つだ。……このお伽噺に登場するもう一人の少年は、それを良く判ってはいるけれど。心の何処かで、『誰にも』言わず、その道を辿るのが本当の意味で是なのか非なのか、悩んでいる。でも、それでもその『彼』は、己の辿ろうとする道に釣り合うだけの覚悟は持っている。きちんとね。……けれどね。もう一人の彼には。それが、無いんだ。無いだけではなくて。それを持てないが為に、兄弟のように育った『彼』のことを、覚悟に乏しい彼は、深く強く、傷付けている。…………僕はね、それが気に入らないんだよ。……こんな、僕がどれだけ狭量か、なんて話を、クレオに聞かせるのは申し訳ないと思うけど。どうしても、それが、ね」
「どうして……ですか?」
例え、『戯れ言』でしかなくとも。
この世には存在しない、架空の物語に登場する架空の人物を嫌う風を装って、ぽつぽつ語るカナタの言い分を、相槌を打つのみで聞いていたクレオは、その段になってやっと、問い返した。
「………………。覚悟に乏しい彼は。戦わなければならないと、そう、親友である『彼』に迫る。自分達がそれぞれ率いている国のどちらかが、滅びの道を辿らぬ限り、決着は付かないと。平和が欲しいと思って、自分達が細やかに暮らす為の平和が欲しいと思って、その為に、全てを守ろうと思って、紋章という力さえ手に入れてみせた『あの頃』とは違い。もう、全てのことは、自分達だけの問題ではなくなってしまった、と。……だから彼は、親友である『彼』に、降伏をしてくれと、軍の主など止めて何処かへ逃げてくれと、そう迫る。……………この事実はね、クレオ。要するに」
「…………はい?」
「──要するに、彼は。覚悟に乏しい彼は。親友である『彼』の何も彼もを、本当の意味では認めていないことに他ならないんだよ。目指す所は同じだった筈の、紋章さえ分け合った自分達が、何故、袂を分かったのか。逃げてくれ、降伏してくれと告げても、何故、『彼』が首を縦に振らなかったのか。その本当の理由を、覚悟に乏しい彼は、何一つとして理解しようとしていない。己の前に立ちはだかる親友が、何故、その場にいるのか。どれ程の覚悟を持って、そうしているのか。唯の一つも。彼には判らない」
「そう、ですか…………」
「……覚悟に乏しい彼の中で、親友の刻は止まっている。自分達が袂を分かってから今日までの刻の中で、親友が掴み得たモノも、親友が進んだ道の過程も、認めようとはしていない。変わったのは自身だけだと思い込んで、兄弟のように過ごした頃のまま、兵士達の命を預かる一軍の主となっても尚、親友は、自分が頼めばそれさえも、簡単に捨て去ってくれると思い込んでいる。自分が頼めば、掴んだ、捨て去れない大切なモノさえ、簡単に捨ててくれると。……なのに。覚悟に乏しい彼は、『彼』のことを、親友だ……と。……こんな侮辱は、早々ないよ。だから、僕は、許せない」
「…………坊ちゃん…………」
語れば長いお伽噺の登場人物の、一体何が気に入らないのかと問い掛けてみたら、滔々と語り続けるカナタの雰囲気が、長年彼の傍にいるクレオには察せられる程度、尖ったので、彼女は僅か、困惑を示した。
でも、それでも。
カナタの纏った雰囲気は変わらず、語り続ける唇は閉じず。
「彼のその思い込みは。僕に言わせれば、罪に等しい。己の覚悟と信念に沿って歩み続けている道を、親友である者に否定されれば、『彼』とて傷付くのに。そんな自覚も彼にはない。……そう、それだけでも、充分過ぎる程の罪なのに。戦うと決めたと嘯きつつ、『彼』を倒せない彼は、子を身籠った少女が『彼』の命を奪いに行くのを、止めることも出来なかった。身重の少女と対峙して、あっさりと討ち倒せる程、『彼』が冷たくないのを知っていながら。少女には『彼』を倒せないと知っていながら。そうしておいて、その上、彼は。『彼』の前に、紋章を呪う者を送り込んだ。…………いいかい? クレオ」
「え? 何が……ですか?」
「彼等が宿した紋章は、元々は一つだった。だから。紋章を呪う者が『彼』を前にした時、呪われた子と罵り、憎悪と悪夢の元凶と言うだろうことなど、彼にも判っていなければおかしい。片割れしか宿していない『彼』が、紋章を呪う者にとって呪われた子でしかないなら、彼も又、紋章を呪う者にとっては呪われた子でしかない。…………守りたかっただけだ、そう言いつつ。己に向けられる憎悪と等しい憎悪が、守りたかっただけの存在である『彼』にも与えられることを、彼は厭わない。そのくせ、自分は自分の想いを掴み、『彼』は『彼』の想いを広げた、などと、彼は戯言を語る。新たなるモノを掴んだのは己で。『彼』は、そもそもからあるモノを、只、掻き集めただけだ、と。────彼は、『彼』を倒さなくてはならない。けれど、倒すことは出来ない。だから、自分の手を汚さずに『彼』を倒せるならと、そんな誘惑に負けて、『彼』が進んだ刻も、掴んだ覚悟も、捨て去れない大切なモノも、決して認めようとはせず。なのに、自分達に向けられる憎悪、紋章が与える痛み、それだけは、平等に分け合おうとする。………………何処までも、侮辱だ。これが、『彼』に対する侮辱でないと言うなら、彼の行為を表現するに相応しい言葉を、僕は誰かに教示して欲しい」
────カナタは。
壁と天井の境目を見詰め続けたまま、言葉の終わり、その息遣いの中に溜息を織り交ぜて、卓に戻した、もう冷めてしまった珈琲のカップを、再び取り上げた。