「…………ふぅぅぅん……。……で? セツナが逃がしてやって欲しいって、そう言ったから? 大人しく賊を逃がしたと、そう言うんだ、ビクトールもフリックも。……へぇぇぇ……」

────真夜中、盟主の部屋にて、暗殺未遂事件が起こってより数日後。

もうすっかりクレオの熱も下がったと、再び、同盟軍本拠地にカナタが戻って来た日。

あの夜、フリックが怯えた通り、事の顛末を聞き付け、その場に居合わせたビクトールとフリックを酒場にて捕まえ、陣取った円卓の一つにて優雅に頬杖を付きつつ、恐ろしい、としか傭兵コンビには言えぬ笑みを湛えたカナタに、その傭兵達は問い詰められていた。

「……仕方ねえだろ。セツナが、逃がしてやってくれって、そう言ったんだから……」

「そ、そうだぞ。俺達は、何も悪くないっ!」

通りすがりの女性達を全て魅了して有り余るだろう程、それは綺麗に笑んでいるのに、瞳の奥だけは鋭く光っているカナタのその表情に、柄にもなく逃げ出したくなるのをグッと我慢して、ビクトールとフリックは『無罪』を主張した。

「それにだな。お前があの場に居合わせてたとしてもだぞ? セツナが、あの女を逃がして欲しいって言い出したら、あいつの言い分、飲んでやっただろう?」

「……それは、まあ……多分ね。僕も、セツナの意向に添うようにはしてあげたと思うけど。……でもね、ビクトール、フリック。セツナの望み通り、その女夜盗を逃がすにしてもだよ? 何処の誰なのか、とか。誰の差し金なのか、とか。どうやってセツナの部屋まで侵入したのか、とか。聞くべきことをきちんと聞き出してから逃がしても、罰は当たらなかったんじゃないのかな?」

だがカナタは、傭兵達の言い分を聞き終えた後も、その表情を塗り替えることなく。

「セツナが擦り傷一つ負わずに済んだから、この辺で終わりにしておいてあげるけど。…………もしも次、同じようなことが起こったら……判ってるよね?」

彼は、トドメの言葉を二人へと刺して、酒場の椅子より腰を浮かせた。

だから。

止むに止まれぬ事情でセツナの傍にいられなかったあの夜、起こった出来事を知った所為で。

そして、その顛末が、彼にしてみれば余りにも頂けなかった所為で。

それより暫く、カナタの機嫌は余り良くなかった。

デュナン湖畔の城に戻った途端に知らされた話に『臍を曲げ』、ビクトールとフリックをやり込めた日より更に数日が経って、以前より決行すると定められていた、グリンヒル奪還の為の策が動き出す日になっても。

相変わらずカナタは、何処となく機嫌が悪そうだった。

……故に、なのかどうかは、判らないが。

学園都市グリンヒルを取り戻す為に、軍を二つに分ける策を立てたシュウより、ハウザーを大将として組まれた、ミューズ方面から攻め下りて来るだろうハイランド軍を引き付ける、囮役となる部隊と、キバを大将として組まれた、グリンヒル市奪還の為の本隊の、どちらに同行しますか? と問われた時、セツナは。

「この城に残られて、双方の部隊よりの報告をお待ち頂き、その結果次第で盟主殿には動いて頂く、という方法も有りますが」

とも言った正軍師に、

「…………んー……とね。何がどういう風に転んでも直ぐに動けるように、ここで待っててもいい?」

カナタやナナミやアップルと共に、本拠地に残る選択を告げたので。

セツナのその意向を受けて、ハウザー達は、グリンヒル・ミューズの国境付近目指して行軍を始め、シュウやキバ達は、グリンヒル奪還の行軍に赴き。

更に、それぞれの部隊が、それぞれの布陣を終える頃合いに達した、数日後。

本拠地二階の議場にて、各方面に散った部隊より鳩が届けて来ることになっている報告を待ちながら、同じ室内にいるナナミやアップルが、何やら話し込んでいるのを視界の端で確認し。

「……セツナ。ここの処、君が忙しそうにしていたから、この話、するのは避けてたんだけど」

カナタは、議場の窓辺に寄って、戦場より鳩が帰って来るのを待っているような素振りを見せつつ、空を眺めているセツナの傍らに立った。

「話って……何の話ですか? マクドールさん」

隣に並び、自身と同じように空を見上げ始めたカナタを見遣らず、空の一点を眺めたまま、セツナは受け答えた。

「…………ほら。リッチモンドが、正体を調べて来てくれた例の彼女。グラスランドの、カラヤクランの族長らしいっていう。……ルシア……って言ったっけ? 忍び込んで来た、賊の」

「ああ、はいはい。あの人。あの人が、どうかしました?」

「どうして、彼女のこと、逃がしたの?」

報告、未だかなー……と。

空を見遣ること止めないで、耳だけをそばだてて来たセツナに、カナタは、その話を知ってより、ずっと聞き損ねていたことを尋ね始め。

「あーー……、その話、ですか……」

彼の口調より、やっぱり、マクドールさんがここの処機嫌悪かったのは、それの所為だよねー、と確信してセツナは、漸く、空からカナタへと視線を移した。

「そう、その話。……どうして?」

「……それが、その。実はですね。──この間、お腹の中に赤ちゃんがいる難民の女の人の話、しましたよね? 僕」

「ああ、してたね。一生懸命」

「あの女の人──『お母さん』と。同じ匂いしたんです、あのルシアさんって人から。だからです。お婆さん達が、お腹の中に赤ちゃんがいる人は、体大事にしないとー、って言ってましたし……只でさえ僕、それに気付く前、紋章使っちゃいましたから。その上、『お母さん』な女の人、牢屋に放り込むっていうのは、駄目かなーって」

「………………それで、なの? それが理由?」

「はい、そうですよ。あの人、僕が死ねば下らない戦いは終わる、とか何とか言ってましたから。誰かに言われてここまで来たんだとしても、自分の考えだとしても、ハイランド側に付いてる人だっていうのは間違いないよなー、って思いましたし。だったら、そんなの一々気にしてても仕方ないですし。僕、怪我もしませんでしたし、シュウさん、警備の人増やしてくれましたから、平気ですよ?」

「でも、だからって…………」

くりっとした大きな薄茶色の瞳で、真っ直ぐに、微笑みつつ己を見詰めながらそんな風に語るセツナの『理由』と言い分を聞き終え、やれやれ……、とカナタは、溜息を零した。

「…………あ、あの。でも、そのっ。だいじょぶです、僕、そんなに簡単に負けたりしませんし、怪我したりとかもしませんし、ハイランドの人だって、簡単にここまで忍び込んだりなんて、もう出来ないと思いますしっ! だから、あのっ! あーのー……」

「……あの? 何?」

「…………あの………そのぅ……。…………怒って、ます……? やっぱり、お小言……ですか……?」

長く深く零されたカナタの溜息に、ピクっとセツナは頬を引き攣らせ、視線を上目遣いに変えた。

「怒って……は、いない、けど。…………うん。怒っては、いないけどね。この軍の盟主である君が、その選択をしたのだと言うなら、僕はそれで構わないと思うけど……」

すれば、益々深く長い、重苦しいようにも響く溜息をカナタは再び零し、各部隊からの報告は未だか、と議場に居合わせる人々の意識の大半が、両開きの大きな扉へと注がれているのを横目で確かめ。

彼は、セツナへと両腕を伸ばし、一瞬のみ、セツナが痛みを覚える程の強さで、小柄な体を抱き締めた。

「…………御免なさい」

ふわりと抱き寄せられ、きつく抱かれ、直ぐさま離されて。

カナタを抱き返す間すら与えられなかったセツナは、唯、その場で俯いた。

「詫びなくてもいいよ。別に、怒ってる訳じゃない。君を叱りたい訳でもない。…………うん。君の傍に僕はいるのだから。君が望む限り、そうしているのだから。……そうだね。僕が君の傍にいれば、君が思うがままに振る舞っても…………うん。大丈夫、だから」

だがカナタは、俯くセツナの面を、薄茶色の髪を撫でてやることで持ち上げさせ、

「…………でも」

「はい?」

「次、同じようなことをしたら、お小言、だからね?」

にっこりと笑みつつも、釘を刺した。