以前、学生に扮してグリンヒルへ潜り込んだ経験持ちなセツナは。

「前、テレーズさん助け出す為にここ来た時、ニューリーフ学園に入学する新入生の真似したんですけど。セツナっていう名前じゃ具合が悪いから、偽名使って下さいって、フィッチャーさんに言われてですねー」

その折の話を、道々、未だその頃は出逢っていなかったカナタへと語って聞かせつつ、森の中の抜け道を辿っていた。

「……ああ。フリックが、『先生』の真似事をした時の話?」

「そうです、そうです。皆、適当に名前付けたんですけど。フリックさんは『フリック』のままでいいって言うから、じゃあ、僕が名前付けてあげますーって言ったんですよ」

「へえ。それは初耳かな。……何て名前、付けてあげようと思ったの?」

「シュトルテハイム・ラインバッハ三世、です。格好良いと思いません?」

「……………………。又、どうして……?」

「えっとですね。小さい時に読んだ、騎士物語の本に出て来たんです、そういう名前。……確か、うんと南の方で起こった戦いのお話で、えーーっと……」

「『薔薇の剣士』?」

「あ、そうです! そのお話の主人公が、シュトルテハイム・ラインバッハ何たら、って名前で。だから、フリックさんにもーって、そう思ったんです。でもですね。格好良いかもーって僕は思ったのに、フリックさん、そんな名前は嫌だって言って、フリックのままで通しちゃったんですよ。…………もしかして、マクドールさんも読んだことあります? その本」

「……まあ、ね。昔にね」

ほてほて、散歩でもしているかのように森の小道を辿りつつ、ぺちゃくらセツナが語ることは、何処までも何時もの馬鹿話の域を脱さず。

セツナの口から飛び出た、英雄譚『では』あるらしい本の題名に当たりを付けたカナタは、そう言えば昔、そんな本読んだな……と、懐かしそうな目をしながら、セツナの話に付き合った。

「フリックは、ノリが悪いからねえ」

「ですかねー。やっぱり、そうですかねー。ビクトールさんだったら、喜んでくれたかなあ……。うーん……。フリックさんに付ける名前だったら、僕が読んだその本に出てた、もう一人の英雄の名前の方が良かったのかなあ……」

「もう一人? …………ああ。そう言えば出て来たねえ。何処かの王国を守るんだか救うんだかしようとしていたそれを、剣士に譲ったって言う……」

「はい! 確か、ヨミって言う名前だった人ですー」

──如何なる状況に於ける如何なる話であろうとも、セツナの語りをカナタが退けることなど有り得ぬから、『こんな場所』を行く『こんな道行き』だと言うのに、ぺらぺらぺらぺら、二人は喋り続け。

「……この間、ティントの坑道でも言わなかったっけ? ……いい加減にしなよ、お馬鹿」

暫くの間、黙ってその会話に耐え、が、とうとう堪忍袋の緒を切らせたルックは、徐にロッドを振り上げ。

「御主等、随分と古い話をしておるのぅ……」

欠伸を噛み殺しつつシエラは、遠い昔の話じゃの、と梢の向こうに目をやった。

「お姉ちゃん、その本覚えてないなあ……」

ルックとシエラが二人の話に茶々を入れ始めたから、ナナミも又、その賑やかな口を開いて。

「あれ、そうなの? 僕、ジョウイに借りたんだけど」

「えー。私は貸して貰ってないよーー」

今度は、セツナとナナミのやり取りが始まり。

「………………戦いに赴く前から、貴様等は勝てるつもりでいるのか」

────唐突に。

二人の会話を裂くように。

森影より声が放たれ、立ち止まった人々は、声の方角を振り返った。

「…………あ。あの人」

「『ルシア』?」

「ええ」

身を返した彼等の前に立ちはだかってみせた、現れた影は、異国の女性──こうして陽の下で見れば、女性と言うよりは少女と言った方が相応しい年齢だと判る『彼女』で、

「僕は、初めまして、だけれど。この間は、どうも。……セツナのこと、構ってくれたんだってね」

その姿と、セツナの囁きより『彼女』が誰なのかを知ったカナタは、誰よりも先に一歩を踏み出し、天牙棍を構えた。

すればルシアは、棍を構えつつも飄々とした態度を見せ、持って回った言い方をしたカナタを、ギリっと睨んだ。

「私を前にしても、その腑抜けたザマを貴様は通すと? 馬鹿にしているのか?」

「さあ、どうだろう。女性を馬鹿にする趣味など、僕にはないけれど。セツナ程、優しく接する趣味もない。男でも、女でも。子供でも、大人でも。セツナに刃を向けるなら、僕の出す結論は同じだ」

彼女の鋭い一瞥に、ふっ……と笑みのみを返してカナタは、構えていた棍を強く振り上げ…………────が。

「マクドールさん、忘れちゃ駄目ですからねっ!」

盛大に慌て、縋るような声を、セツナがカナタへと放った。

「……あ、そうか。…………仕方ないなあ……」

「何処まで、カラヤの戦士を馬鹿にすればお前達は気が済むっ! 私が女だからかっ!? カラヤの戦士に、男も女もないっ!」

故にカナタは、寸での処で天牙棍に篭めていた力を加減し、急速に威力の半減した棍を避け、怒りを露にしてルシアは、皮鞭を振るう。

「言っているだろう? 馬鹿になどしたつもりはないし。女性が、それは勇敢に戦う戦士となることくらい、僕は充分知っている。だから、分け隔てなどしないよ。──僕が気に留めることは唯一つ。セツナがね、『忘れちゃ駄目だ』と、そう言うから。……それだけ」

しかし、カナタも又、地を這うように伸びた皮鞭を足捌きのみで避けてみせ、

「ルック、『静かなる湖』」

流水の紋章をも今は宿している魔法使いへ振り返りもせず命じ、その場の者、全ての魔法を奪うと。

──未だ、続ける? ……そう言わんばかりに。

黒塗りの棍の先を、誠優雅に、ルシアの胸許へ突き付けてみせた。