異界より召還された魔物と対峙した六名の内、四名が二十七の真の紋章と繋がりを持ち、一名はユーバー自身との何らかの繋がりを持っていたから、骨のみで象られた竜のような姿をした魔物との戦いは、それ程の時を掛けず終わりを見た。
予想よりも容易く退けられた魔物の顛末を知って、再び姿現したユーバーは、口惜しそうに、又、セツナへ向けた呪いの言葉を吐いて何処へと去り。
「呪われた子? 憎悪の、悪夢の元凶って…………?」
グリンヒルの市門を開き、同盟軍の部隊を招き入れ、肩で息をしてよりセツナは、じっと、手袋で覆われた右手の甲を見詰めた。
「あの男の言葉になぞ、耳を貸してはいけない」
だが、その様を見守っていたカナタによってそれは遮られ、強く握られた右手を引かれた彼は、ニューリーフ学園の寄宿舎へと向かった。
「…………以前、セツナには話したけれど。あの男……ユーバーは。三百年前の『あの時』から、ウィンディやネクロードと一緒になって、『紋章』を探していた。……あの男が呪うものは、人じゃない。『紋章』なのだから。例え今は君が、始まりの紋章の片割れを宿しているのだとしても。人では有り得ないかも知れないあの男の言葉に、耳を貸す必要なんて、ない。誰の所為でも、ない。…………いいね?」
────如何なセツナと言えども、突然、名と姿しか知り得なかった存在に、呪われし子、憎悪の、悪夢の元凶、と言い放たれたことへの戸惑いは、上手く受け流せなかったのだろう。
寄宿舎へと向かう道々、困ったような、どうしたら良いのか判らないような、そんな眼差しを向けて来た彼を、カナタはそう言って落ち着かせようとしたけれども。
「えっ……と……。その、あの人に言われたことが、ショックだった訳じゃなくって……。……上手く言えないんですけど……、何て言うか、えっと…………。……あ、びっくり。……うん、びっくりしちゃったんです、僕。それだけなんですけど…………」
平常を取り戻せぬように、セツナは辿々しい言葉を返した。
「……大丈夫だよ。大丈夫、気にしなくても。何も、考えなくとも」
だから、カナタは。
口の中でのみ、セツナにも聞こえぬように某かへの悪態を吐いてから、一層の力を篭めて、繋がったままのセツナの右手を掴み、寄宿舎へ向けた足を急がせた。
二手に分かれていた同盟軍幹部達が、ぱらぱらと寄宿舎の談話室へと集まって来た処に、セツナ達が姿見せたから。
「……ああ、盟主殿」
副軍師達や将軍達と何やらを語っていたシュウは、指示を飛ばしていた口を一旦噤んでセツナへ向き直った。
「お疲れ様でした。無事、グリンヒルを奪還することは、こうして叶いました。……が、未だ掃討戦の途中ですので。今暫く、お待ちを。そちらが一段落するまで、お休みになっていて下さい」
途端、戦に勝利し学園都市を取り戻せたのに、どうにも複雑そうな表情を崩さず、カナタに手を繋がれたままいるセツナの様子に気付いた彼は、咄嗟の判断で、暫くの間、休んでいてくれて構わない、と告げたが。
「あ、うん。……でも、えっと……──」
「え、本当に? やったー! ね、ね、ね、セツナ。この前ここに来た時は、街の中、見て歩けなかったじゃない? 一寸、その辺ぶらつきに行こうよ!」
そんなシュウの言葉に強く反応したのは、セツナではなくナナミの方で、
「……ナナミ。遊びに来た訳じゃないんだよ?」
「いーじゃない。硬いこと言わないの」
「でも皆、掃討戦してて忙しいし。危ないし」
「平気よ。心配なら、マクドールさんに付いて来て貰えばいいじゃない。──ほら、行くよっ!」
渋る義弟を促しながら彼女は、セツナの有無を待たず、談話室から外へ飛び出して行った。
「え、ちょ……。ナナミっ!」
そんな風に先んじてしまった義姉を、慌ててセツナは声のみで追い掛けたが、その程度でナナミが思い留まり、戻って来る筈もなく。
「…………一寸、散歩でもしに行こうか。気分転換になるし」
「……そですね。……すみません……」
丁度いいから、とカナタは再びセツナの手を引いて、引かれるままセツナも足を動かし、二人は、ナナミの後を追うように談話室を出た。
「ほらっ! 早く、早くーーっ!」
仲良く揃って外へと踏み出してみれば、ナナミはもう、校舎の入り口辺りまで辿り着いており、くるりと振り返って二人を手招いたけれど。
「………………え?」
足早に己の傍らを通り過ぎて行った者を、何気なしに振り返って彼女は、驚きの声を放つ。
「どうしたの? ナナミ」
「今、あの人が……」
「あの人?」
「ほら、さっき、森の中で会った! カラヤとかいう所の女の人っ!」
「……ルシアさん?」
「そう、その人っ! あの人達、未だグリンヒルの中で何かしてるのよっ! 追い掛けないとっ!」
振り向き様、目を見開いて動きを止めたナナミにセツナが近付けば、ナナミは高い声を放ち、やはり義弟を待たず、ルシアらしい影が消えた方へと駆け出してしまい。
「あー、もー、ナナミってばーーーーーっ!!」
「まあまあ。僕達も行ってみよう?」
溢れ過ぎるのも困り物な域に達している義姉の行動力の所為で、ユーバーに吐かれた言葉に対して覚えていた細やかな憂いさえ忘れ、何時もの調子に戻ってセツナは、カナタと共に、ルシアとナナミの消えた方角目指して走り出した。
「あっち! あっち行ったよっ!」
走る速度を上げナナミに追い付き、指し示されるままルシアの影を追い……、と。
そんなことをしていたら何時しか彼等は、ニューリーフ学園裏の森の中へと分け入ることとなり。
「本当にこっち? マクドールさんいるから心配はないけど……。僕達だけで、こんな方まで入り込んじゃって、大丈夫かなあ……」
徐々に人気を失って行く森の小道の直中に佇んで、セツナは、辺りの様子に気を配り始めた。
「こっちだって。間違いないってばっ! それこそ、マクドールさんがいてくれるから平気よ。何よ、セツナだって男の子のくせにっっ」
「………そーゆー問題じゃないよ、ナナミ……」
その慎重な様子へ強気の態度を見せたナナミに、だから……、とセツナは再度項垂れ、
「………………うん。間違いはないみたいだね、ナナミちゃんの言う通り」
何気ない仕草でカナタは、ふわっ……とセツナの肩を掴んで、己の背の側へと隠す。
「ジョ……ジョウイ…………」
そして、何でマクドールさんはそんなことを? と、カナタが見詰めた方向へ瞳巡らせたナナミは、気が付けばそこに、ルシアを従え立っていた幼馴染みの名を、呆然と呼んだ。
「…………ジョウイ……。ジョウイ…………。どうして? どうして、ここに……?」
「久し振りだね、ナナミ。…………それに、セツナ」
真円の大きさになるまで瞳を見開き己が名を呼んだ幼馴染みに、ジョウイ──現ハイランド皇王は微笑み、彼女と、セツナの名を呼び返した。
「有り難う、ルシア殿。もう、戻ってくれていいよ」
そうしてから彼は、ジョウイに請われ、ここまでセツナ達を誘う役を担ったらしいルシアへ、労いの言葉を掛けたが。
「私はここにいて、皇王殿、貴方を守ろう」
ルシアは、貴方を守る、そう言った。
「すまない。ルシア殿。────…………セツナ。……君に、君の友として、頼みがある。今直ぐ、同盟軍の盟主なんて止めて、ナナミと一緒に、逃げてくれ。……僕は、君と戦いたくない」
故に、彼女への感謝を再び捧げて、ジョウイは。
カナタの後ろから、そっと半身を覗かせたセツナへ向き直り、セツナのみを見詰め、懇願を告げた。
「…………未だ、そんなこと言うんだ、ジョウイ……。──そんなこと、僕には出来ないのに……」
しかし、セツナは。
半身を隠したまま、カナタの服の袖口を掴みながら、ゆっくりと、首を横に振った。