食事を終え、入浴も共に済ませたセツナを、「夜は未だ未だこれから」な、本拠地内の騒がしさも消え去らぬ頃に寝かし付けたカナタは、足音も気配も消し去り、古城の最上階に位置する盟主の自室より忍び出て、西棟の兵舎へ足先を向けた。

ハイランド軍に追われて行き場を失くした難民達や、従軍を志願する数多の者達へ、広く門戸を開いている為、増改築の工事が続く同盟軍本拠地は未だに手狭で、軍の幹部達でさえ個室を得ている者は限られており、最古参のビクトールとフリックも、二人で一つの部屋を分け合っているけれど、ビクトールは未だレオナの酒場で飲んでいるだろうから、今頃、フリックは一人自室に籠っている筈、と踏んで。

「お邪魔するよ」

そんな勘と予測に従い、「最近、トランの英雄殿を本拠地内で見掛けることが増えたな」と言った感じに、『怖々』とした視線を送ってくる兵士達やセツナの一〇八星で溢れる兵舎の廊下を縫うように進んだカナタは、目的の部屋の扉を、軽く叩くと同時に応えも待たず開け放った。

「……ん? あ、カナタか。どうした? セツナ、放っといていいのか?」

「ああ。セツナなら、もう寝たから。そちらの心配はご無用。……という訳で、フリック。一寸、時間取って貰えるかな」

思った通り、訪ねた……と言うよりは踏み込んだ室内には、一人窓辺に腰掛け俯き加減になっていたフリックがいて、「やっぱり『お籠り』の最中だったな」と、内心でのみ肩を竦めた彼は、にっこり笑顔を拵えつつ、潜ったばかりの扉を後ろ手に閉め、ご丁寧に鍵まで下ろした。

「何か、話か? ……あ、例の件なら、絶対に断──

──あれ絡みの話ではあるけれど、実験台になれと迫りに来たんじゃなくて、探られたくないだろう痛い腹を探りに来た」

『溺愛』したくて仕方ないらしいセツナを置いて、カナタは何をしに自分達の部屋まで……? と戸惑い掛け、まさか……、とフリックは顔を強張らせたが、似て非なる理由、とカナタは、トン……、と背後の扉に背を預けながら、腕組みしつつ笑みを深める。

「……どういう、ことだ?」

「フリック。僕に、何か隠してるだろう。恐らくは、あの時、共に帰還魔法の中に閉じ込められた、グレミオ絡みのことで」

その面をしみじみと見遣り、一体……? と訝し気になったフリックへ、カナタは一瞬で、顔全体に貼付けていた笑みを、ニタリ……、としたそれに塗り替えてみせた。

「え? 別に、そんなことは……」

怖い、としか言えない顔付きをされ、的確過ぎる指摘も受け、どうして……、とフリックは焦る。

あの時のことは、ビクトールにさえ打ち明けていないし、レオナの酒場にいた時だって、グレミオのグの字も口にしなかったのに、と。

「無駄な足掻きだね。珍しくも、あんな頑な態度を取るからだよ。あのこと絡みで、僕には知られたくない何かを隠してると、言外に打ち明けたも同然」

「………………い、いや、それは、その。何と言うか……。…………で、でもだな。俺が、お前相手にグレミオ絡みの何かを隠してたとして。こんな風に、詰問みたいな真似しなくたっていいだろう?」

「もう一度、言おうか? ──フリック。無駄な足掻きは、無駄以上にも以下にもならない。……それでも足掻きたい? 一から十まで言って聞かせなければ、口を割る気にならない? なら、望み通りにしてあげるよ。……あの時、フリックとグレミオの間に起こったことが、例えば、僕に対する同情や憐れみのような感情に繋がる何か──こうやって詰問される謂れなどない何かだったら、酒場での時、嫌々ながらも僕やセツナの言いなりになっていた筈だ。それこそ、僕への憐憫を覚えた故に。フリックは、そういう質だからね。でも、実際はそうじゃなかった。自覚があるかどうかは知らないけれど、たった今、僕が告げたような性分のフリックが、あんな態度を取る理由は、一つしかない。グレミオとの間にあったことの所為で、僕の何かに憤りを感じているから。…………『だから』、こうやって問い質してるんだよ」

だが、焦りながらも何とか全てを誤摩化そうと藻掻いたフリックを、カナタは、「手間の掛かる……」と溜息付きつつ追い詰めた。

「……あの。その、な。カナタ……。ええと…………」

「…………夕刻。レオナの酒場で。僕は、二度、何故? と訊いた筈だ。一度目は、断りの理由を問うた。二度目は、僕の何に憤っているかを問うた。白状するなら今の内だと、言外に告げた。なのに、問いへの答えも白状も、返ってこなかった。……充分、詰問に値する」

「べ、つに……。……別に、お前に腹を立ててるって訳じゃない……、とは思うんだが。あー……──

晩夏の夜風を室内に取り込むべく、半ば程開いて腰掛けていた窓辺から逃げ出すことは疎か、身動ぎさえ容易でなくなり、チラ……、と扉に凭れたままのカナタの顔色を窺ったフリックは、渋々、白状を始めた。

先ずは、グレミオと二人、大鏡の中に閉じ込められた際の出来事から。

「……ふうん…………。グレミオが、そんなことをね」

「ああ。それで、その。あの時、グレミオは本当は、お前に何を見てるんだろう、とか、お前の中に何を見出してるんだろう、とか思って……。あいつが俺相手に訴えたことが本当なら、何時か解る日が来るのかな、とかも……。…………あれから暫くして、グレミオが言ってた通り、あいつが言い掛けたことも、あいつが見ていただろうものも見出したんだろうものも、何となくだが俺にも解った。どうしたって、『正しい答え』じゃないんだろうけれど」

「…………で?」

「だ、から……。……グレミオは、もうこの世にいなくて、トランの戦争が終わってから三年以上も経って、いなくなったお前は戻って来た。……けど、お前は、昔とは何処かが変わってて、グレミオが、本当に寂しそうにあんなことを洩らしてたってのも知らず、あの時のことをネタに、碌でもないことを仕出かそうとしてて……、だから。そんなお前に腹を立てた……って訳でもないんだが、こう……言葉には出来ない気分になった、と言うか…………」

「成程。…………八つ当たりだね」

肩を窄めて何処となく畏まった、窓辺に腰掛けたままのフリックの打ち明けを、カナタは、姿勢も表情も変えず、一言で切って捨てた。

「…………っっ。……だけどな! グレミオや、俺や、あの頃の俺達が、お前に──

──フリック。僕はもう、軍主じゃない」

あの頃の思い出にも纏わる、自身にさえ明らかに出来ないカナタに寄せる複雑な想いを、八つ当たり、の一言で片付けられて、フリックはカッとなり掛けたが、カナタは、声だけは穏やかに、事実を告げた。

「今も尚、解放軍の軍主だった頃のままの姿を求められても、僕には応えられない。応える義理もない。例え、あの頃の戦友にであろうと、逝ったグレミオにであろうと。如何なる者に何を求められようが、どんな想いを寄せられようが、僕の知ったことじゃない。僕はもう、お前達の軍主じゃない」

「カナタ……」

「僕が、この城で、この軍で、何をしようがどう振る舞おうが、主のセツナが許す限りは僕の勝手だ。僕は、過去を齎しに来た訳じゃない。一々、昔と結び付けるな。過去を思い返さずにはいられないなら、セツナのいない所で外に洩らさずにやれ。今のお前は、セツナに剣を預けている身だろうが。その身の上で、セツナの前で、『過去の亡霊』に身勝手を押し付けるな。その目の前を、過去の亡霊が彷徨こうとも、お前達同盟軍が戴いているのはセツナだ」

その佇まいは先程からのままで、声音も穏やかなままで、けれども、口調と共に確かに何かを変えて、カナタはフリックを瞳で射抜き、

「………………肝に銘じ直しとく……」

彼から僅か目を逸らすことすら許されなかったフリックは、何とか、それだけを答えた。