「へーきですってばあ…………」
──未だに齎されている熱の所為で、ほんのりと、頬を赤く染めながら、セツナは困ったように云った。
「君も大概、強情だねえ……」
そんなセツナを眺めながら、呆れたようにカナタは云って。
「何処からどう見ても、『へーき』、には見えないよ、僕の目にはね」
ツン……と彼は、セツナの額の真ん中を、指先で突いた。
僅かな力を込めて、そこを押してやれば、途端、ふらぁ……とセツナの体は傾いて、背に廻した腕で柔らかく、カナタはセツナを支える。
「ほら、ね?」
「うーーーっ……。でも……僕の為にマクドールさんが、そこまでする必要なんか……」
今直ぐにでも、外に出て行ける支度を整えて、その、小さな村の宿屋の一室にて、立ち尽くしているセツナは。
見慣れたそれとは掛け離れた姿で己が隣に立つ人を、見上げた。
「そんなこと、君が気にすることじゃない。僕がこうしているのはね、セツナ。君の為であり、僕の為。いいから、大人しくしておいで」
上目遣いになった薄茶色の瞳に、ふんわりと微笑み掛けて、カナタは軽々と、セツナを抱き上げた。
「あーるーけーまーすーーー……っ」
「ガタガタ云わない」
笑い掛けられると同時に、女の子のように抱き上げられて、ジタバタと、セツナはカナタの腕の中で暴れたが。
聴く耳は持たない、と云った顔をして、カナタはとっとと歩き出した。
「……騒いでんじゃねえよ……。──大丈夫か? セツナ」
三日半程、逗留していたその部屋を出て、宿屋の外へと二人が出れば、そこには、ビクトールとホウアンが待ち構えており。
赤い顔をして、バタバタと暴れ続けるセツナと、それを物ともしないカナタに、傭兵は呆れ、が、直ぐさま彼は、表情を引き締めた。
「平気だもん……」
「あー、判った、判った。判ったから大人しく、カナタの云うこと聴いてろ。無理すんなよ?」
「……うん」
気遣わしげな視線を向けてやれば、気恥ずかしそうに、が強情に、平気、とだけセツナが繰り返すから。
『お子様』の言い分を、一々取り合ってはやらねえよ、とビクトールはひらひら、片手を振って、セツナの頷きに応えを返し、今度はカナタへ視線を流す。
「…………化けたなー、又」
何時も通りの、若草色のバンダナをして、赤い服を纏った姿ではなく。
襟足よりも少し長い、と云った程の長さの髪を露にして、ビクトールに暢達して来て貰った、同盟軍の一般兵の服を着込み、その上から、裾の長めな、焦茶色のマントを羽織ったいでたちのカナタに傭兵はしみじみ、感想を洩らした。
「そう? 服、変えただけじゃないか」
「年がら年中、同じ格好しかしねえからなあ、お前は。一寸服装変えただけで、充分、『変装』になんだよ」
「思い込みって云うんだよ、そう云うの。……ま、だから『有り難い』んだけど」
衣服を変えただけで、お前の場合は充分、変装、と云ったビクトールに、カナタはふふん、と笑ってみせる。
「それよりも。急ごう。さっさと終わらせて、さっさと戻りたい」
「そうだな」
「セツナ、馬、乗っていられる? 苦しかったら、ちゃんと云うんだよ」
「だいじょぶです、乗ってるだけなら」
笑いながら、彼は。
抱いていたセツナを、ビクトールが引いていた馬の背へと押し上げ、手綱を握らせ。
「傍に、付いててあげるから。──ホウアン先生、いいですか?」
「ええ、私は何時でも」
今日だけは、特別だからね、と、ぽん……とセツナの手を叩き、ホウアンを向き直ってより己も又、馬上の人となると。
「じゃ、行こうか」
カナタは強く、鐙を蹴った。
ビクトール一人のみに、密かにセツナを迎えに行かせた筈なのに。
何故、一般兵が共に? ……と。
その日の本陣にて、到着したセツナ達を迎えながら、訝し気な顔になったシュウへ近付き。
目許まで被っていたマントをふわりと剥いで、意味深長そうな顔を、カナタは見せてやった。
「……マク…………──。──貴方は……。どうしてここまで……」
真直ぐ、己が瞳を捕らえた、漆黒色のそれを見て、漸く、近付いて来た一般兵が誰なのかを知り、シュウは、怒りと呆れがない混ぜになった表情を拵える。
「理由なんて、云わなくっても判ると思うけど。──確か三日前、見栄を切ったろう? 貴方は。セツナがいるだけで済むような戦をしてみせる、ってね。軍師としては天才的な貴方の、その言葉を僕は信じてあげたんだよ。──貴方がそう言った、と云うことは、今日、この本陣にいる面子は皆、万が一、セツナの不調がばれても、大丈夫な面子で固められてるってことだからね。ならば、僕がここに紛れたことが知れても、誰も皆、口は噤む」
余り、表情を変えぬ正軍師の、厳しい顔を向けられても、しれっとカナタは受け答えてみせた。
「それは、まあ。仰る通りですが」
「セツナのことを思うなら。僕のことなんて、気に止めなければいい。……奥の手の一つ、とでも思っておけば? どうしたって、戦場なんて、机上で計ったようには行かないからね。僕はセツナの傍から、離れる気はないよ。……今日だけは」
「──盟主殿は、そんなに?」
「……芳しくはないね。だから僕は、ここまでしてる」
「………………ここまで譲るのは、今回のみです。宜しいですね? ──そうだと言うなら、仕掛けましょう、先に」
そうして彼等は、又。
例によって例の如くの、やり取りを交わす。
唯。
あれから三日半の時が過ぎても、セツナの体調が戻らないことと。
単に、風邪をこじらせただけならば、カナタがここまでする理由はない、と云う事実に、シュウが気付いた為に。
比較的穏便な内に、二人の会話は終わった。