『盟主殿が、そこにいるだけで済む戦いを、すればいいだけのこと』……と。

言い放ってみせただけのことはあるのか、どうやら戦いは、盤上にてシュウが思い描いた通りに、運ばれているようだった。

だから、ああ、このままいけば恐らく、問題はなさそうだ、とカナタは、肩の力を抜いた。

現状のまま事が運べば、多分、間に合う。

ハイランド側は総崩れとなり、例え、本陣目掛けて伏兵が特攻を掛けて来ても、時既に遅し、となる筈で、それを迎え撃つ陣形に、同盟軍側が体勢を立て直す時間も、生まれそうだった。

故に。

「やってる、やってる……」

ほんの少々気楽な声で、彼は又、遠くを眺めた。

見詰めた先では、魔法兵団が放ったらしい、詠唱の瞬きが、幾つも煌めいている。

「機嫌、悪そうですねー、ルック」

どうやら、カナタと同じ所を見ていたらしいセツナも又、のほほん、と言った。

魔法兵団の頭領、と言う立場も持っているルックが、『過剰労働』させられている苛立ちを、八つ当たりのようにぶつけているらしいと、煌めきより想像したのだろう。

「多分ね。……あー、セツナが体調崩したの、ルックにばれないようにしないとね。でないと後で、ギャンギャン吠えられるよ」

「う。言えてる……」

本陣を固めている一般兵達の殆どが、己達のいる場所より、遠くなっているのを確かめ。

常のトーンで、カナタはくすり、笑った。

笑った彼の言う通り。

ルックにばれたら後が怖い、とセツナは、むぅ……っと顔を顰めた。

「…………処で。大丈夫?」

「……はい。平気ですよ」

「そう? ……なら、いい」

そろそろ、勝鬨の声も上げられそうだ、と。

本陣に漂い始めた空気を感じ。

ならば僕はもう、セツナの体だけを気遣っていれば良い、とカナタは、被ったままのマントの中より、真直ぐ、『溺愛』して止まない少年を見上げ。

が、彼は。

無言のまま、手綱を握っていたセツナの手を強く掴み、己の側へと、馬上より引き摺り下ろした。

「う……わっ……っ!」

バランスが崩れた所為で、驚きの声を放ちつつ、ずるりと落ちて来た体を抱き留め、カナタはその身で、セツナを庇う。

彼が、セツナを抱きながら地に伏せると同時に、主のいなくなった馬の足許に、幾本かの矢が刺さって、高い嘶きと共に、馬は本陣より駆け出した。

「敵襲っ! 右側面より、ハイランドの伏兵がっ!!」

蹄が大地を蹴り続ける、ガ……ッと云う音に被さって、本陣には、伝令の声が轟く。

「セツナ?」

「……だいじょぶです」

その声を聴きながらカナタは、右側面……? と思いつつ、腕の中に庇った人の、安否を確かめた。

無理矢理に引き摺り倒された時、手綱に触れて擦れたのだろう、右腕の、赤く腫れ出した辺りをほんの僅か気にしながら、はっきりとした声でセツナは答えた。

──無事、ではあるけれども。

包んだ体の熱さが、衣装越しにもつぶさに感じ取れて、カナタはその面から、表情を消した。

セツナを庇ったまま起き上がり、慎重に周囲を確かめながら、彼は素早く思考を巡らせる。

……敵陣にも手練がいるのかそれとも、見た目よりも、こちらの『押し』が弱いのか。

計算よりも、皇国軍の伏兵の動きが迅速だったその理由を、カナタは後者と踏んで…………けれどそこで一度、彼は思いを止めた。

──『踏み込み過ぎる』のは、決して良い結果を生まない。

それは、彼にも判っていた。

セツナの為になら彼は、如何なることでも厭いはせぬのだろうが、彼はこれまで、彼なりの基準に基づき、やるべきことと、やってはならぬことの、区別だけは付けて来た。

けれど。

────伝令は先程、右側面より、ハイランドの伏兵が、と云った。

カナタが立っていたのは、セツナが乗っていた馬の、『右側』の鼻先辺り。

そんな位置関係にあってカナタは、セツナ目掛けて放たれた、幾筋かの矢を見付けた時、己の側に、セツナを引いた。

それは則ち、左側面より、矢が放たれたことを意味する。

周囲の者達が、伝令の言葉に意識を取られ過ぎて、それに気付いていなかったとしても、カナタとセツナだけは、それを今、充分理解している。

要するにこの本陣は、ハイランドの伏兵達に、挟み撃ちにされ掛けている、と云うことを、良く。

……普段のカナタなら、己がこんな戦場に居合わせていたとしても、何が起ころうと、気にも止めない。

黙っていても、セツナは無事に帰って来ると、彼は知っているから。

彼のことを案じて止まない、己の感情さえ抜きにしてしまえば、カナタは枕を高くして、眠ることさえ出来るだろう。

だが、このままでは。

放っておいても、セツナの無事に変わりはないだろうが……、彼は多分、紋章を使う。

不完全な、真の紋章を。

命が削られることを、良く判っていても。

セツナは、多分。

………………そうすることを厭わないと、決めたのはセツナ自身だ。

だからカナタはそれに、何を云うつもりも、ないけれど。

……でも。