思いに意識を傾けていた『一瞬』、カナタは両の瞼を閉ざしていたが。

ふっ……と息を吐き出すと同時に、静かに瞳を開いて、セツナと共に駆け出した。

「セツナ。どれくらいなら耐えられる?」

「…………マクドールさんが、耐えて欲しいと思うだけ」

熱でふらつく体を、支えてくれながら走り出した人の問いに、セツナは直ぐさま、答えた。

何時も、己だけには彼が見せてくれる、優しく甘やかす、兄のような表情からは想像出来ない程、『不思議』な色を、カナタが湛え始めたのを見て取った所為。

「判った。……無理は云わないから」

セツナも又、普段仲間達に見せて歩いている、ほわほわとした、頼り無気な微笑みとは少しばかり違う、カナタのそれに良く似た、『不思議』な色を、見せ始めたのを受けて。

軽く頷くとカナタは、本陣を固めていた武将達を集めて指示を飛ばしている、シュウの元を目指した。

「シュウ。シュウ軍師」

──その日、本陣を守っていた武将は、キバとマクシミリアン。

その面子を確かめて彼は、張りのある声で、正軍師の名を呼ぶ。

「マク……──

──兎や角と、言い争っている暇はない。都合があるんだ。何の都合なのかは、云わずとも理解出来る筈だ。──六花曲陣を、六花円陣に敷き直せ。それから、伝令を飛ばして、ルックの魔法兵団とフリックの弓矢兵団を呼び戻せ。その二隊は、右側面に展開。その両翼を、キバとマクシリミアンの部隊で固めろ。右側面中央には、セツナを。左側面には、ビクトールと騎士団長達を。それは、最後でいい。────セツナ」

名を呼ばれ。

この忙しい時に、一体何の用件だ、と云わんばかりに口を開き掛けたシュウを黙らせ。

燐とした声と瞳で断を下すと。

もう、シュウには目もくれず、カナタはセツナを向き直った。

「……二十分。…………いや、十五分。いいね?」

「はい」

『要する時』のみを簡潔に告げた彼に、素直にセツナは頷く。

「云うまでもないが。……他言は無用」

そうして、彼は。

何故、マクドール殿がここに? と云う顔になったキバとマクシミリアンの二人の視線を交互に捕らえ、厳しく言い放つと、マントの裾を翻し、戦闘の土煙上がり始めた、本陣は左側面へと駆け出して行った。

「シュウさん、伝令、飛ばして下さい。キバ将軍。マクシミリアンさん。両翼、宜しくです。…………行きますっっ」

カナタの姿が、消え切るのを待たず。

セツナも又、カナタが向かった方角とは正反対の戦場へと、真直ぐ向かって行く。

────風のように消えた、二人の少年に。

正軍師も武将達も、何一つ、返すことは出来なかった。

シュウは唯、声を張り上げ伝令兵を呼び。

キバとマクシミリアンはそれぞれ、己が馬に跨がり、右側面の両翼を固めるべく、戦場に散り。

戦いは、佳境を迎えた。

この辺りに幾つか点在する森の一つを抜け。

ハイランド側の伏兵が、本陣左脇を突いて来たから。

その辺りを固めていた、少々手薄だった同盟軍の部隊は、浮き足立っていた。

皇国側の伏兵隊と、同盟側の一部隊、その数だけを比べれば、皇国側に歩が有り。

一人、又一人と、同盟軍の兵士は傷付き倒れた。

唯一、幸いだったと言えるだろうことは、伏兵隊と、同盟側部隊との攻防が、未だ始まったばかりで、比較的、負傷者が少ないと云うそれ。

──そんな、戦場の様を、駆け付けたカナタは見遣り。

「本陣より伝令! 曲陣から円陣へと、陣形変更っ。部隊は直ちに後退をっっ!」

彼は、伝令兵を装って、弓矢の雨を薙いでいる、一般兵達を退かせた。

己が、隣国の英雄だと悟られぬ為、今日は持ち合わせていなかった棍の代わりに、カナタは腰の剣を抜き。

「あんまり好きじゃないんだけどねえ……」

おどけたような台詞を吐きながら、後退していく部隊の、殿に立った。

…………好きではない、と吐かれた独り言が、偽りなのではないかと思える程に。

彼は優雅な素振りで、降り注ぐ矢達を薙ぎ払う。

「………………八分、ってとこかな。……掛かり過ぎだ」

本隊を目指して退いて行く、味方の部隊と己の距離を計り。

体内のみで刻んだ時に、舌打ちをして。

彼は、剣を鞘へと戻す。

────その時。

カナタの眼前に広がる森の入口辺りから、彼目掛けて放たれた一本の矢が、彼の体を掠め、マントの合わせ目を弾いて、大地に刺さった。

傷付けられるか否か、そのギリギリの処を走った矢へ、フン……と彼は、嘲笑をくれる。

途端。

ふわり………と、戦場を、一陣の風が駆け抜け。

纏っていたマントを、彼より取り去った。

カナタの体より、一枚の布を取り去った風は、露にされた彼の髪をも、ふわりふわりとそよがせる。

……全身を露にし、風に髪そよがせ、立ち尽くす、彼のその姿は。

まるで、絵画のようで。

余りにも、戦場に相応しくなかった。

──風は、大地をも掠め。

降り注ぎ続ける矢は、カナタの足許を抉り。

土煙が沸き立って。

「我が生と死を司る紋章よ」

足許を霞ませる土煙に、浮かんでいるかのような様になったカナタは。

徐に右手を高く掲げ。

ゆるりと、口許を動かし。

躊躇い一つ、見せることなく。

己に宿る、魂喰らいを解放した。