シエラに絡んだ虎口の村の男達のとばっちりを喰らって、ビクトールが『焦げる』、『細やか』な出来事はあったものの。
吸血鬼退治屋と吸血鬼の始祖、という、『害虫退治の専門家』ではあるだろう二人を助っ人として得ること叶った為。
彼等は、しかめっ面をして、絶対に嫌だ! と喚いたルックを宥め賺し、彼の転移魔法に頼って、クロムの村に戻った。
日が暮れ始める頃合い、無事に戻ったそこでも、ふわりと湧いた魔法の力の向こうから、ポン、と帰って来たセツナ達を出迎えた、副軍師のクラウスに、何が気に入ったのかは謎だが、盛大な猫を被ったシエラが粉を掛けてからかう、と言った、些細な騒ぎはあったけれど。
それより先、至極ひっそり夜は更け。
人々が寝静まった真夜中、明日はネクロード討伐に出掛けるのにも拘らず、眠れない、と言い出したセツナと、仕方ないね、とセツナに付き合うことにしたカナタは、深夜の散歩に向かう途中、逗留中の館の廊下で、眠れずにいるのだろうカーンと出会し。
三十数年に亘る、彼の生涯に関する『物語』に耳を傾け。
その後、やはり眠れずにいたらしく、ふわりふわりと館の中を漂っていたシエラにも出会し。
永い永い……気が遠くなる程に永い彼女の生涯の中で起こった、『物語』の一つを聞き届けた。
「………………お休みなさい、シエラ『様』。明日は、宜しくお願いしますね」
──赤子に読んで聞かせる、短い寝物語の一つを語るように、己とネクロードの関わりを、簡潔に告げたシエラへ。
一瞬、決して『子供』が浮かべて良い表情ではない、草臥れたようなそれを、セツナは頬に浮かべたが。
彼は、何も言葉にはせず、何時もの調子でほわりと笑んで、ぺこり、それまでは、『シエラさん』と呼んでいた彼女を、カーンのように、シエラ様、と言い換えて、就寝の挨拶をした。
「……それじゃあ、明日」
その時セツナが掠めるように浮かべ、さっと消した表情を、きちんと見遣っていたカナタは、ちらり……と流すようにシエラを見て、が、やはり何も言わず。
くるり、彼女へ背を向けた。
「……確か、カナタ・マクドール、と言うたな、御主」
が、もう眠るから邪魔をするな、との己の言葉に従う風に向けられた、彼の背へ。
何を思ったのかシエラは、歌うような声を掛け。
「それが何か?」
「余り、顔色が良くないのう。何処かで何か、疲れるようなことでもして来たかえ?」
口角のみに、笑みらしきものを浮かせつつ、彼女は言った。
「ご心配、どうも。……でも、気の所為じゃないかな。燭台の灯の加減で、そう見えるだけだと思うけど?」
己が名をなぞられた時は、振り返ろうともしなかったのに。
顔色が……と言い出されるや否や、ぱっとカナタは振り返って、にっ……こり、彼女へと笑い掛けた。
「そうかえ? 妾の、気の所為か? なら、別に良いが」
「気にしないで。見間違いなんて、良くある話だし」
それ故。
唇の端でのみ嗤ったシエラと、面の全てを使い、綺麗に笑んだカナタは、真っ正面から向き合い。
向き合った彼等のみに解る、上っ面だけの言葉を交わしたが。
「え? マクドールさん、何処か具合でも悪いんですか?」
そこへ、セツナがワタワタと割り込み、せいっ! と背伸びして、カナタの顔を覗き込み。
「いや? だから、彼女の気の所為だってば」
「……でも…………。言われてみれば、って奴ですけど……。そう言われてみれば、僕にも、マクドールさん、何時もよりもほんの一寸だけ、疲れたような感じに見えますよ?」
「そうかな。……あ。あの所為かも。少しだけね、この地方の食事、僕には味が濃過ぎるから、この数日、余り食が進まなくてね。……だから、かもね。──有り難う、心配してくれて。でも別にそれだって、どうってことない話だよ? ……いいの。セツナは僕の心配なんてしなくって」
己が瞳を覗き込みながら、マクドールさんが具合悪いならーーーっっ……、と焦り始めたセツナを、カナタは、セツナだけへ向ける笑みで制して。
「なら、夜のお散歩は中止ですっっ」
眠れない、と先程捏ねた、自らの駄々を放り出し、セツナはカナタの腕を引いた。
「だから。そんな風に、君が心配することないのに。まあでも、明日のこともあるから、休もうか、セツナ。僕は至って健康だけど、君は一昨々日、倒れたばかりだしね」
掴まれた腕を、セツナの好きにさせ、引かれるまま、足を進め。
逆にカナタは、セツナの体調を案じながら、シエラへの興味は綺麗さっぱり流した風情で、廊下を歩き出した。
「……………………ほんに。巡り合わせと言う理は、良く出来ておる……。先の天魁星が、魂喰らいを宿したことも、今の天魁星が、『盾』を宿したことも。巡り合わせ、じゃな……」
────もう。
夜よりは、朝に近い時刻だと言うのに。
少々騒々しく、その場より去って行く二人の背を眺め。
ふっ……と肩で息をし。
女性達が揃って眠っている、館の一室の扉を音もなく開け放って、宙を舞う綿のように、彼女は中へ消えた。
翌朝。
寝不足気味な目を擦り擦りしながらも。
カナタに起こされたセツナは、何とか起きて、ネクロード討伐に向かう為の支度を始めた。
ふぁ……と欠伸を噛み殺しながら、それでも、「味付け、変えて貰った方が良くありませんか?」と、昨夜のカナタの『言い訳』を鵜呑みにしている彼は、同じ朝食の席に着いたカナタの世話を焼いてみせ。
食事を終えても、二階より降りて来ないシエラを、誰が起こしに行くべきか、を、カーンと二人、こそこそと話し合い。
そこへ、今日になってやっとクロムへ逃れ着いた、ティント市長グスタフの使用人マルロの、グスタフの愛娘、リリィと、灯竜山の山賊ギジムの妹分、ロウエンの二人が、ティント市が陥落した際、ネクロードに浚われたのを目撃した、との証言を、ビクトールが、悪い知らせだ、と持って来た。
マルロより齎された、『悪い知らせ』を受けて、悠長にしている時間はない、と、彼等は急ぎ、クロムの村を出立することと決め、カーンに拝み倒され、お願いしますー、とセツナに微笑まれ、宜しく、とカナタとビクトールに肩を叩かれたクラウスが、訳も判らぬままにシエラを起こしに向かい。
昨日一目見た時から、所謂、『己の好み』、という奴に該当していたのだろう彼に起こされて、非常に機嫌良く目覚めた始祖殿を連れ。
以前起こった落盤事故の際、偶然、ティントの坑道と繋がったらしい、クロムの村の東に位置する、洞窟へと向かった。
……そんな彼等を見送りながら、何処までも。
アレを退治しに行ってくるね、とほんわりと笑ったセツナを、行かせたくないような素振りをナナミは見せたけれど。
まるで、ピクニックか何かに行くような風情を漂わせて、常通り、カナタと二人、害虫退治ー! とか何とかおどけつつ。
セツナは、あっさりと。
義姉を、振り切った。