一歩を、踏み込ませた途端。
クロム村の東に位置するその洞窟は、背筋に震えが走る『冷たさ』を、彼等に与えた。
そうしてから。
長い年月を掛けて自然にくり抜かれた鍾乳洞は、何処まで続いているのか判らない、深い深い奥から、凍える程の風を送りながら、暗黒の口を開いた。
だがそれでも、相変わらずの調子で語られる、セツナとカナタの与太話は止まず、遊びに行くつもりでいるのか? と、そんな彼等に対する免疫が未だ薄いシエラは柳眉を顰めてみせたけれど、変に気張ってみてもー、と、シエラを振り返りつつ笑ったセツナと、そうそう、無駄な力入れてみてもねえ、とか何とか言いながら笑うカナタの、賑やかな声の所為で。
この一行の一部が抱えている、鬱蒼とした鍾乳洞に潜り、抜け、悲願だった仇討ちを果たすのだ、と言った、或る種の悲壮感も、洞窟の不気味さも、綺麗さっぱり流されてしまい。
そこへ、毎日毎日つるんで、寄らなくても触らなくてもべちゃべちゃ喋り続けてるくせに、何でこの二人は、話の種が尽きないのやら……と、それこそ、洞窟の物陰から不意に姿見せる魔物達と戦っている最中ですら止まない、カナタとセツナの無駄口に、ふと、やり切れなさを感じたらしいルックの、トランに帰りたい……との愚痴すら混じり出し。
ティントや同盟軍の為のネクロード討伐であり、ビクトール達にとっては大願成就の為の道行きは、段々と、大道芸一座の愉快な旅路、とすら例えられそうな風情を醸し出し始めた。
そしてその後。
洞窟の奥深くで、一人、俗世を離れて魔法の修行に没頭していた、高名ではあるらしい、メイザースという名の魔法使いと行き会った際には、目をきらきら輝かせながら、
「僕達のお城で、一緒に戦って貰えませんー?」
と、勧誘に励んでみたり。
鍾乳石より滴る水が拵えた、地底湖の端を通り掛った際には、
「…………タコ? うーわー、マクドールさん、こんな所にタコが居ますよ、タコがっ! 巨大なタコの親子っっ! すごーーーーーいっ!」
と、不可思議な生き物を水中に見付け、きゃあきゃあ喜んでみたりしているセツナと。
そんなセツナを構って、
「……確か以前、僕の宿星だったクロウリーが、メイザースってライバルがいて……とか何とか言ってた覚えあるから、クロウリーの名前引き合いに出したら、誘いに乗ってくれるかもよ?」
と、要らぬ知恵を与えたり。
「地底湖に、クラーケン……? それも、親子で……? ──本当に、デュナンの生態系って、変、だよね。でも、楽しくていいか。……良かったね、セツナ、良いもの見られて」
と、甘やかしたりしてみせるカナタに振り回されながらも、何とか。
一行は、ティントの坑道へと続く、鍾乳洞の出口に辿り着いた。
かなり奥深かった洞窟を、抜け切る、というその段に至った時には、もういい加減、彼等二人のおちゃらけに慣らされてしまったのか、シエラが、カナタとセツナの毒気に当てられたかのように、ある、と察したネクロードの罠を、わざわざビクトールに踏ませて知らんぷりを決め込んでみる、などという『暴挙』に及んだりもしたが。
皆無事である内に、ネクロードが『見張り番』として召還し、残して行ったのだろうゴーレムを退けることは叶って、彼等にとっては、雑魚でしかない魔物達との遭遇を数度こなしただけで、ティントの坑道もやり過ごせ。
ネクロードに陥落させられた、あの日と変わらず。
我が物顔で街中を彷徨く、生ける死者ばかりに満たされたティントの街の、一等高台にある礼拝堂へと、彼等は向かった。
この街で、最も堅牢でありながら、最も美しくもある建物、それは、礼拝堂以外にはないから。
どうせ、あの吸血鬼のことだから、そこを『我が家』と定めただろう、と。
口々に言い合って、彼等は。
一転、それまでの道中自分達が醸し出していた、馬鹿馬鹿しいまでの騒々しさを、何処へと置き去り。
これで、終わる……と。
礼拝堂を。
長いロッドを右手に掴み、空高く掲げる山の女神の姿を再現した像を、祈りを捧げる『相手』として祀っている、その礼拝堂の最奥より。
幼い子供の泣き声と、少女を庇う女の声と、それらをいなしている『彼』の声が洩れ聞こえてくるのを知って、セツナ、カナタ、ビクトール、ルックの四人は、祭壇の間の扉を開け放った。
踏み込んだそこに、確かにいたネクロードへ近付き、人の身で、あのストーンゴーレムを倒せる筈が、と驚愕を見せた吸血鬼へ、ビクトールが啖呵を切り始め。
積年の恨みを、今ここで晴らしてやると捲し立てる彼と、三年数ヶ月前、吸血鬼如きにたばかられたと怒りを吐き出す星辰剣の声は、暫し、祭壇の間に響き続けた。
「兎に角、てめえだけは許さねぇっ!!」
傭兵と物言う剣の科白に、良くもまあ、それ程までに下品な言葉が口を突いて出てくる、と、呆れ顔になりつつ、チラ……っと視線を流して来たネクロードへ。
瞳の奥にのみ、愉快そうな色を忍ばせてカナタは、吸血鬼を見返した。
「まあ、下品な口を利かれるのは腹立たしいですが。何を言われようと、そのなまくらな剣を振り回されようと、貴方達のそれは虚勢でしかないと、私には判っていますからね。許して差し上げてもいいですよ? 人質が二人も、私の許にはいるんですから」
よくよく見れば、思わせ振りだと判るカナタの眼差しに、ネクロードは小さく舌打ちをして、少女と女性──リリィとロウエンを、自らの盾にしようと動き掛け…………が。
何故か身動きが取れぬと悟って、凄まじい形相を、彼等に向けた。
「…………何をしました……?」
血を啜る鬼、と言う例えが誠に相応しい顔付きになって、彼が呻くような声を絞れば、物陰より、カーンが姿を現し。
ビクトールが時間稼ぎをしている間に彼が張り巡らせた結界に捕われ、そこより抜け出すことも、現し身の秘法を振るうことも出来ぬと気付いたネクロードは、ならば、と、月の紋章の力を呼び覚まそうとしたが、そこに、今度はシエラの声が生まれ。
「我が月の紋章よ。…………暫しの間、我に応えて、眠りゃ」
命じるでなく、言い聞かせるように。
彼女は月の紋章を鎮めた。
「長老……? シエラ長老…………?」
「四百年前に盗み取ったその紋章。返して貰うぞ? ネクロード。これ以上、その呪いを広められても困るでの」
命を聞き届け、大人しく眠ってしまった紋章と、ふわりと現れたシエラとを見比べ、ネクロードが驚きを放てば、紅玉の瞳を細め、困ったように微笑みながら彼女は、赤子を叱るような口調になって。
「言ってやる……。言ってやるぞ。──ネクロード、年貢の納め時だっ!! ………………おっしゃあっ! この時が来るのを、どれだけ待ったことかっっ!」
狼狽え始めたネクロードへ、握り拳を固めながらビクトールは叫び。
腰の鞘より抜き去った星辰剣を、両手で構えた。