その時、セツナが取ってみせた態度が、奥手な少年のそれ、として片付けるには、余りにも過剰だったから。

「…………セツナ?」

きょとん、と不思議そうにシーナは、セツナの顔を、覗き込もうとした。

……が。

「シーナ。セツナに余計なこと、吹き込まない」

何一つ、気配は感じられなかったのに、不意に、背後にて、低く抑揚のない声が沸き上がり。

「ぐえっっ」

声の主に、渾身の力で襟首を持たれ、引き摺られたシーナは、潰れた悲鳴を上げた。

「……っだよ、いたのかよ、カナタっっ……」

引き摺られた後、ころん、と荷物のように放り投げられ、げほげほと噎せながら振り返れば、そこに立っていた、抑揚のなかった声の主は、夜着の上に、上着一枚を羽織っただけの姿をしているカナタで。

「お前なああっ、人を物みたいに投げるなよっっ! ルック、お前もっ! こいつが来たんだったら教えろっ! 何時からいたんだ、お前っ!」

ガアッとシーナは喚いたが。

「マクドールさーーーんっっっ。シーナが酷いんですぅぅぅっっっっ! ルックも、僕のこと馬鹿にするしぃぃぃぃっっっ」

「……よしよし。アップルに、散々『不潔』って言われてるシーナの言うことなんて、気にしなくていいし。ルックの態度は、何時ものことだろう? ──……探したよ? 目が覚めたらセツナ、いなくなっちゃってたから。……駄目だよ。蒸し暑いからって、こんな所で転がってちゃ。だから、夜遊び好きのシーナに、酷い目に遭されるんだよ。……幾ら何でも、もう夏ではないのだから。戻ろう? ね? 風邪を引いてはいけないし」

何時の間にか己の傍に、慕って止まない人がやって来ていることを知ったセツナに、がばっと抱き着かれてカナタは、綺麗さっぱりシーナの苦情を無視して、ぴーぎゃー喚くセツナを宥め。

枕を引き摺り立ち上がった彼の肩へ、羽織っていた上着を掛け。

「お休み、二人共」

ちろっと、横目を流しただけで、シーナとルックへ就寝の挨拶を告げて、セツナを誘い、カナタは歩き出した。

……しかし、そんな風にあっさりやり過ごされて、シーナの憤りが収まる訳もなく。

「おい、カナタっ! お前、俺の話聴いてんのかよっ! 人を放り投げた挙げ句、俺の言うことなんか気にしなくっていいって、どういう了見だっ!」

去って行く、二人……いいや、カナタの背中へ向けて、彼は声高に叫んだ。

「…………無駄だから、止めとけば?」

が、高くシーナが喚いても、カナタが振り返ることはなくて。

カナタの代わりに、ルックが彼を嗜めた。

「無駄って、何が」

至極当然のように、無駄だと言うルックに、キッとシーナは睨みをくれる。

「無駄は無駄。判ってるだろう? セツナ絡みのことで、カナタに何言ってみたって無駄だ、って」

けれどルックが、シーナと視線を合わせることはなく。

彼は唯、上へと続く階段を、もう間もなく昇りきりそうな二人の背中のみを見詰め。

「厄介だね……」

ボソっと、ルックは。

しみじみとした声音で、本音を吐き出した。

「厄介? カナタのあの、『溺愛馬鹿』か? そんなの、言われなくったって俺だって判ってるって。……っとに、カナタの奴…………。でもさ、ルック。俺は、セツナのあの『無知』っぷりを何とかーって、そう思って、思い遣りのつもりで……──

──それも、無駄」

眉を顰め。

何処か、厳しい顔付きをして、去って行く二人を見送るルックの『本音』に、シーナは僅か首を傾げて、己には非がないことを、訴えようとしたけれど。

それも又、無駄、の一言でルックは打ち捨て。

「…………何で」

「無駄だから無駄なんだよ。多分ね」

「だから、何が」

「……あのね。少しは自分の頭、使いなよ。女ばっかり追い掛けてないで。──あんたは、おかしいと思ったことないワケ? セツナの『アレ』。やけに中途半端にしか知らなくって、教えようとすれば、あの態度で」

「おかしいってーか、正直、異常だと思ってるから、俺はちょっかい出したんですけど? ルックさん? 判ってる? ……そりゃな、セツナって、ああだしさ。変な処子供っぽいし、純真って言えば純真だから、色事の話なんか、教えない方がいいのかなーとは、俺だって思うことあるしさ。だから今まで、誰もセツナに『そーゆーこと』、教えて来なかった、っての、理解は出来るけど。カナタとばーーーーっか引っ付いてて、年相応の話の一つも判らないってのはおかしいだろう? 幾ら何だって」

ルックの言わんとしていることが、今一つ要領を得ない、とシーナは溜息を零した。

「そうじゃなくってさ。……ほら、少し前に。やっぱりこの手の話のことで、誰だったか……あの熊だったかな、あのお馬鹿からかったの、覚えてない?」

「……そう言えば、そんなこともあったっけ。一見、イケない痕ですかー? ってなの、セツナの首に付いてて、あいつ、夜中に散歩してた時に虫に刺された痕だって言ったのに、ビクトールだったかが、玩具見付けたみたいにセツナのことからかって、カナタに『酷い目』に遭わされてた、アレだろ?」

「そう、それ。…………おかしいと思わなかった?」

「そりゃ、まあ……少しは。どう見ても、虫に刺された痕には思えなかったから……。でも、相手はセツナだし……って……。…………ん……?」

「やっと、知恵が頭まで廻った? ──アレがね、それを付けたのが誰なのかは兎も角、あんたの見立て通りの痕だったとして。……例えばアレを、本当に何にも知らないセツナに、『誰か』が付けたんだとしたら。正直に言うだろう? あのお馬鹿のことだから。でもね、それを『誤魔化した』なら、あの子は僕達が思っているよりも、そう言う部分もまともだってことになる筈だよ。……ま、何処までも、仮定の話でしかないけど。……だから、そうだとするなら。多分…………──

──多分? 何だっての?」

「…………多分セツナは、その手合いの話を、知るつもりがないんだよ。カナタに言われてしまえば、仕方なしに耳も貸すんだろうし、『うっかり』聴いてしまった話は、忘れられないんだろうし。だから、『中途半端』な知識なんだろうけど。叶う限り、あの子は多分、を閉じて、耳を塞いでる。……そういう話には、ね」

「……………………何で。どーして。何でそんなこと、する必要がある?」

──溜息を付き。

要領を得ない話の先をどうぞ、と、ルックを促してみれば。

セツナはわざと、知らぬ存ぜぬを貫き通そうとしている、と言われ。

シーナは、先程のルックのように、眉を顰めた。

「決まってるだろ。……もしも、僕の言ってることが当たってるんだとしたら。その理由は唯一つだよ」

と、そこで、漸くルックは、シーナを向き直り。

「……『保身』。それが、理由」

ボソっと、恐らくはそれが正解だろう、と告げた。

「保身って。誰から身を守ろうって? 色事の話だぜ? セツナだって、馬鹿な野郎に目を付けられるような、女じゃないんだし」

「さあね。そんなことまで、僕が知るもんか」

そうして、ルックは肩を竦め。

「処で、何時までここにいる気? 逢引に行くんなら、とっとと行けば? 邪魔なんだけど」

いい加減、寝るんだから、と、訝し気な表情を消せずにいるシーナを、追い出しに掛かった。