キバ・ウィンダミアが、同盟軍正軍師シュウの取った策に従って、今はハイランドの占領下にある、かつてのビクトールの傭兵砦へ単独攻め込むこととなったのは、今を遡ること数週間前、同盟軍を尻目にハイランドに降伏をした、旧ジョウストン都市同盟領の最も北に位置するマチルダ騎士団への侵攻が決まったからだった。

──今現在、マチルダ騎士団領内に駐屯している皇国軍は、騎士団の勢力込みで、約五万五千の兵力を持っている。

一方、同盟軍はと言えば、マチルダ攻略の為に集められる兵力を、約二万五千程度しか持っていない。

後先考えることをせず、同盟軍に与しているティント市と年中行事のようにやり合っているグラスランドとの国境や、各都市に配置してある最低限の守備隊を掻き集めて、二万五千の兵力と統合してみても、ハイランドの五万五千の兵力には、到底及ばない。

だが、ビクトールの傭兵砦へ陽動を仕掛ければ、ハイランド、ハイランド占領下に有るミューズ市、傭兵砦の位置関係上、皇国は、罠と判っていても、キバの部隊を抑える為に兵を割かなくてはならなくなるから、上手くすれば、三万対二万──即ち、兵力差一万の勝負に持ち込める、とシュウは踏んだ。

それでも、戦争、と言う、数の論理が絶対の幅を利かす事情の中では途方もない壁となる、一万もの兵力差は消えてなくならないが、五万五千の兵力に、二万五千の兵力で挑んだ時に生まれる、兵力差三万の壁を乗り越えるよりは遥かにマシだろう、と。

仲間達は誰も、シュウの立てたその策に、否とは言わなかった。

……尤も、同盟軍の者達がこれまで、シュウの立てた策に、嫌だと首を振った試しは一度たりともないし、それから逃げようとしたことも皆無で、故に仲間達は、或る者は黙って、或る者は決意と覚悟を言葉にして、マチルダ騎士団領内にての、皇国軍との攻防戦に挑むと腹を据え。

決起が行われた翌日、キバは、僅かな部隊を率いて、ビクトールの傭兵砦へと進軍した。

日を同じくして、片や傭兵砦付近を、片や学園都市グリンヒルを経由しマチルダ領を、それぞれ目指せば、距離の関係で、どうしても到着日時に差が生まれてしまうし、例え、時同じくして、それぞれの部隊がそれぞれの目的地に着くこと可能だったとしても、それでは、マチルダに駐屯中の皇国軍の一部を、傭兵砦付近に誘き寄せること叶わなくなるから、セツナ達同盟軍本隊が、北方の城目指して行軍を始める日は、キバ達が出立した日よりも数日後、と定められていた。

だから、出立まで未だゆとりを持っていたセツナは、キバ達の部隊を見送った後、カナタやナナミと共に城内へと戻りながら、自分も頑張って働きます、と気合いを入れたけれど、後二、三日もすれば行軍を開始するという段になって、盟主が自ら、パタパタと立ち働かなくてはならないことなど無く。

……と言うよりも、そのような事態があってはならず。

シュウが、初歩も初歩な手抜かりを犯す筈もなく。

張り切ってみたは良かったものの、城内を一周してみた結果、もしかして、自分は今、そういった意味では役立たずなのだろうか、との現実に気付いて、ぶーっと膨れながら彼は、カナタと二人、屋上の屋根に腰掛けていた。

「マクドールさーん。することないですーっ。暇ですーーーーっっ。折角、お仕事する気満々になったのに…………」

「まあまあ。いいじゃないの。例え君が、この軍の長であろうとも、出来ることと出来ないことがあるし。適材適所、って言葉もあるし。この暇な時間は、自分自身の為の準備期間だって、そう思っておくと良いよ。暇だー、って騒いだり、こうやってぼんやりしてることも、直ぐに当分、お預けになる」

余程の悪天候にならぬ限り、そこを己が寝床と定めている屋上の主、グリフォンのフェザーを、ちょいちょいと手招いて、近寄って来たフェザーの首に縋りながら、「フェザーっ。僕って役立たずーーーっ!?」……とか何とか、頬を膨らませたままセツナが喚き続けるから。

戦いが始まる前くらい、のんびりしたって良いじゃないの、と、のほほん、カナタはセツナを慰めた。

「それは、そうなんですけど。何となく、頑張らないとーって気分なんです。…………本当に、絶対大丈夫っ! って思ってますし、信じてるんですよ。キバさんと一緒に、ルカさんがあっち行ってくれてますから。ルカさんいるんなら、大抵のことは何とかなるよねーって、考えてますけど。それでもやっぱり……、キバさん達がやろうとしてくれてることって、不利過ぎるなんてもんじゃないくらい不利なことですから。せめて、僕も頑張らないとなーって……」

だが。

懐いて懐いて、懐いて止まないカナタに、何時も通りの口調で、何時も通り髪を撫でて貰いながら慰められても、ブーー……っと膨らませた頬を、セツナは萎ませはしなかった。

「それ以上、何をどうやって頑張るって言うの。無理をしてみても、良いことは余りないよ。おおらか過ぎるのも、考えものだけれどもね。…………大丈夫……と言うのも、おかしな話だけれど。君の仕事は、戦場いくさばにある。戦場と、戦場の向こう側にある。とても、大切な仕事が。……だから、大丈夫」

故にカナタは、ちょい……と、膨らんだセツナの頬を突いて、髪を撫でる指の角度を深くした。

「…………そう……ですよね。あっち行ったら行ったで、僕も忙しくなりますんもね」

すればセツナは、漸く気を取り直した風になって。

「そうそう。だから、気に病むことなんて、今は何もないよ。……それにしてもセツナ、今回は何時にも増して、張り切りたがるね」

何か『特別』なことでも、考えてる? と、頬を突いていた方の手で、カナタはセツナのそこを軽く摘んだ。

「別に、今回に限って特別何かを、って訳じゃないですけど。……一寸だけ、僕、『嬉しい』んです」

「……嬉しい?」

「はい。嬉しい、です」

放っておいたら、多分そのまま、自分の頬を摘み続けるだろうカナタの指先から、するり、と逃げて、セツナは、にこっと微笑みながら、張り切る理由は『嬉しい』からだ、と告げた。

「嬉しいって、何が?」

「昨日、皆に、二階の議場に集まって貰って、ロックアックス攻めの話してた時に、いきなり、ルックのお師匠様が来たじゃないですか」

「……ああ、レックナート……様」

「はい。そのレックナート様が、一〇八星が集ったからどうたらー、とか言って、輝く盾の紋章の封印、解いてくれたじゃないですか。これまで以上に、強い魔法が使えるようになるーって。……だから、です」

「それが…………嬉しいの?」

「ええ、そうですよ。輝く盾の紋章は、皆のこと、癒してくれる魔法が主体ですから。今までよりも、もっと強い魔法が使えるってことは、もっと強い、癒しの魔法が使えるってことですもん。未だ使ったことないですから、どれだけ威力あるのかの本当のトコは判りませんけど、昨日、レックナート様が封印解いてくれた時、自然に頭に浮かんで来た詠唱の文句も、癒しの魔法っぽかったですし。だから、僕、嬉しいんです。皆に、僕と一緒に戦って貰っても、今まで以上に癒しの魔法使ってあげられるから、きっと戦いも少しは楽になるーって。だから、もっと頑張らないとー、って」

「……………………そっか……。成程」

セツナの言う、張り切る理由、嬉しいの理由、それがピンと来なくて、ふん? と首を傾げてみたら、そういう理由故なのだ、と告げられ。

セツナが浮かべた微笑みに相応しいだけの笑みを浮かべつつも、カナタは僅か、複雑そうな面持ちを見せた。

「レックナート……様が、封印を解いてくれたから、か……」

「はいっ。僕の紋章は、僕にとっては、皆のこと癒してくれるお便利アイテムですから。それって、僕には嬉しいことです」

「そうだね。……でも、セツナ。紋章の力が強くなるっていうことは、それだけ、君に掛かる負担も強くなるってことだから。…………僕の言いたいこと、判るよね?」

だが、カナタは瞬く間に、微笑みの中に翳りを刷いた、その気配を消し去り、唯、セツナに向けた、セツナの為だけの笑みを、深めた。