一息に階段を昇り、二つ程、短い廊下の角を曲がったら、思った通り、そこには、目指す旗の翻る塔へと続く、広い渡り廊下があった。

ロックアックス城へ潜り込む直前、グリンヒルにて聞いたマイクロトフとカミューの話では、その塔にある主だった部屋は、ゴルドーの執務室と私室くらいなものだそうで、或る意味では、騎士団の象徴が『詰まっている』とも言える場所だ、とのことだったから。

「……だからこの回廊、無駄に豪華なのかな……」

それまでに抜けて来た城内の床とは違う、様々な色合いの平石を敷き詰めてある、手摺の造りも凝っている風なそこを一瞥して、ふうん……、とセツナは呟いた。

随分と開放的な設計が施されていて、手摺から身を乗り出し下を眺めれば、吹き抜けになっているそこからは、階下の大広間が一部、窺うことも出来そうだった。

「凄く、静かだね」

「…………そうだね」

きょときょとと、そんな回廊を見渡して、ナナミがぽつり洩らしたことに、セツナは声を潜めて応える。

────ここを抜ければ、目指す場所は直ぐそこ。

だが恐らく、ここが最もしんどい『関所』になる筈、と、彼は、そう思っていた。

己の守る城に、敵が侵入したと知ったらなら。そして侵入して来た輩の目指す場所が、最奥の塔であるなら。

自分なら、ここで待ち伏せる、と考えたから。

「ナナミ。駆け抜けちゃうよ。出来るだけ、廊下の真ん中、走ってね。そうすれば、下からは狙われなくなるから」

己の背後にて、相変わらず、きょときょとと辺りを見回しているナナミを、セツナは促した。

「うん。急ごう。こんなこと、早く終わらせて帰りたいもん。……まあでも、誰かを倒しに行く訳じゃなくって、旗を焼くだけだから、お姉ちゃん、未だ気楽かな。人、傷付けないで済むし」

一気に行くよ、との義弟の声に従うように、深く、ナナミも頷いた。

…………だが。

吹き抜けの空間に囲まれた、開放的な造りをしていると言うのに、どういう訳か、外の喧噪の一切が今だけは届かぬ、不気味な程に静まり返ったそこの、彼等の目指す向こうから、霞むような人影が、一つ現れ。

「何処を目指しているんだい? セツナ」

現れた人影は、真っ直ぐ、セツナとナナミの許へ向かい、朧げだった姿を晒し。

「ジョウイ!」

はっきりと象られた人影──ジョウイを見付けて、その名を呼んだ義姉と。

「……セツナ。ナナミ。君達が何を狙っているのかは判らないけれど。ここから先は、通さない」

ここから先には行かせない、と語りながら近付いて来た幼馴染みを見比べ。

「…………やっぱり、考えることは一緒だよねー……」

ふっ……とセツナは、二人には聞こえぬ、溜息を吐いた。

「随分、ご大層なもてなしだな」

「良いじゃねえか、楽しみ甲斐があって」

「そうだな、もてなしは、豪勢な方が楽しめる」

男として生まれた、その恐らく全てが持ち合わせているだろう、戦う、という本能が頓に強いのだろう仲間達──フリック、ビクトール、ゲオルグの三人が、口々にそう言って、それぞれの得物を構え、侵入した自分達を追い掛けて来た、マチルダの白騎士達やハイランドの兵士達へと、『嬉々』として挑んでいく中。

「そんなに突っ込まれると、魔法の一つも放てないんだけどねえ……」

やれやれ、と苦笑を浮かべつつ、カナタも又、天牙棍を操り始めた。

抜けて来た廊下より続く、中庭に面したテラスを彼等は戦いの場所に選んだから、太刀を振るうにも、棍を振るうにも申し分はないと、存分に彼等は、その腕前を披露した。

──突き出される剣を、放たれる弓を、払い落とすことなど彼等の誰にも容易いことで、翻る白刃に、霞む棍の先に、彼等の目的を阻む追っ手達の血は散り、骨は砕けた。

そうして、少しばかり埃が積もっているだけだった石のテラスを、崩れ、倒れた敵のかばねが覆い始め、このまま行けば程なく、セツナとナナミの後を追える、と彼等が思い始めた頃。

「…………………セツナ……?」

まことに優雅に棍を踊らせていたカナタが、ふっ……、とその腕を止め、ぽつり、送り出した少年の名を呟いた。

「どうした? カナタ」

「…………いや。何でもない」

洩らされたその声を、近くにいたが為拾ったビクトールが、ちらりとカナタへ視線を向けたが、彼は軽く首を振って、それを流す。

………………本当は、気付いていたのだ、彼は。

二十七の真の紋章の一つを、その身に宿しているが故に。

目指す塔へと先んじさせたセツナの宿す、輝く盾の気配にも。

輝く盾の気配に近付いた、黒き刃の紋章の気配にも。

……だが。

それに気付いても、カナタは、セツナの許へ走ろうとはしなかった。

──無論。

幾ら共にいる仲間達が、ビクトールやフリックや、ゲオルグであろうとも、目の前の敵を放り出して一人セツナの傍へと向かうには、追っ手の数が多過ぎた、との理由もある。

今『ここ』で幼馴染みと対峙しても、あの子なら大丈夫、と考えた、との理由もある。

だがその時、あの子さえ良ければ、他のことなどどうでもいい、とすら言い切る彼が、『溺愛』しきりのセツナの傍に向かおうとしなかった最大の理由は、これより先、セツナとジョウイが迎える時が、『決着の時』に成り得るかも知れぬ、そう思ったからだった。

この戦いが、同盟軍とハイランド皇国の戦の命運を決める分水嶺であることは、誰の目にも明らかだ。

どちらも、もう、引くことは出来ない。

それを、セツナは良く判っている。

そして恐らく、ジョウイもそれを、理解しているだろう。

カナタの目には何処までも、掴みたいことを掴む為の覚悟が足らぬ、愚かな存在、とジョウイが映ろうとも、彼とて、ここだけは引けぬ、と、セツナを討ち倒してでも、と、そんな覚悟を決めているだろう。

…………そう、考えたが為。

カナタは敢えて、セツナの傍に向かわなかった。

今正しく、幼馴染みと対峙しているだろうセツナの傍に、向かってしまいたい、との誘惑には、カナタをしても駆られる。

何を置いてもセツナをと、それだけを考えるのが常の彼だ、例えセツナの一部分だけでも揺さぶることの出来るジョウイが、彼の傍にいることは、カナタにとって、気分の良い話ではない。

だが、カナタは。

セツナの為に、そして、己の為に。

後ろ髪引かれるような想いを、その時、振り払った。