紋章は所詮、紋章でしかない。

だが、紋章は、紋章であるが故に『紋章』ではある。

そして、紋章が紋章ではあるが故に、真の紋章を宿した者にしか、真の紋章を宿した者のことは判らない。

だから。

紋章持ち以外には、真には理解出来ぬだろうカナタ──魂喰らいの紋章を宿し、且つ、天魁の星の許に生まれたカナタが、その胸に秘めるモノ見遣ること出来るのは、同じ、天魁の星の許に生まれたセツナのみなのだろう。

カナタと同じ、天魁の星の許に生まれたセツナが、輝く盾の紋章を始まりの紋章へと昇華し、天魁の星の許、魂喰らいを宿し続けるカナタの立つ『甘い高み』に這い昇って、老いること許されない彼の時間を共に歩き始めた時、セツナはカナタと、『運命』を、本当の意味で共にし始めるのだろう。

…………そう、だから。

輝く盾を宿したセツナが、黒き刃を宿したジョウイと対峙している今、セツナの許に向かいたい……、と掛け値無しにカナタは思うけれど。

彼等がこのまま迎えるかも知れぬ、決着が終われば。

そうして、共にゆこうね、との己の言葉に必ず頷いてみせるセツナのいらえが、確かな応えであるならば……、と。

そう想うことをカナタは止められなくて、止めるつもりもなかった。

……こうなった今──只、覚悟だけを抱え、後悔だけはしないようにと己が胸に刻み、数ヶ月前に取ったカナタの手を離せなくなった今でも、セツナは、心の何処かで、カナタと手を繋いだまま、ジョウイやナナミとも『さよなら』せずに済む方法はある筈、と信じているのを、カナタは知っている。

決定的、と言える形で、己がセツナの背を押し切れていないことも。

故に、そんな立ち位置を保ったまま彼が在ることは、様々な意味で、カナタにも、不安めいたモノを与えないではないが。

セツナと戦う覚悟を決めても、結局の処、セツナを滅ぼせはしないだろうジョウイ──ピリカの前で『人を殺すこと』出来なかったように、ナナミの前でセツナを倒すことは出来ぬだろうジョウイと、己が囁く、『共にゆこうね』の科白に応えてはくれるセツナとでは……、と。

うっすら、そう想いながら。

それでも。

尚、も。

全てを選び取るのは、己ではなく、セツナ、と。

そう定めながら、カナタは、眼前の、最後の敵へと棍を振り上げた。

剥き身の剣を構えたジョウイと、両手のトンファーを目の高さに構えたセツナは、暫しの間、睨み合った。

「…………止め、て……? ねえ、止めてよ……」

見据え合う彼等の傍らで、独り言のようなナナミの懇願が洩れ聞こえたけれど、掠れる弱々しい声に応えることはせず、すっと、二人は互い、その身を半分、背の側へと引いた。

──キャロの、今にも風雨に負けてしまいそうな、あの道場にて修行をしていた頃から、ミューズが陥落した夜、行く道を違えるまで、二人はずっと一緒に過ごして来たから、互いの手の内など、知り過ぎる程に知っていた。

それぞれが、違う道を歩き始めてから過ごした今日までのことは判らないけれど、己がそうであるように、親友も又、『強くなること』、それを目指して過ごして来たのだろうからと。

セツナも、ジョウイも。

容易には動こうとしなかった。

動かずにいる己に、意識と想いの全てを、込めようとしていた。

……だが、余りにも、互いが互いに、全てを注ごうとした余り。

彼等のどちらも、その時、その回廊にゴルドーがやって来たことにも、戦い始めた二人を見た彼が、同盟軍の盟主とハイランドの皇王を一度に倒せば、デュナンの覇権を手にすること出来ると考え、手勢の者達に弓矢を構えさせたことにも、気付くことが出来なかった。

忍び寄って来たゴルドー達と、微かに鳴った弓矢の音に気付くこと出来たのは、唯一人。

ナナミ、だけだった。

けれど、ナナミも又、セツナとジョウイへ狙い定めた弓に、気付くのが遅かった。

危ないと、伏せてと、叫ぶ間もなく、彼女は、義弟と幼馴染みを庇うように、打ち鳴らされる寸前の矢面に飛び込んで、三節棍を構え振るい、弓矢を弾き落とし……────が。

「えっっ?」

「ナナミっっ!?」

はっと、彼女へと向き直った二人の前で、たった一本、弾き損ねた矢を、ナナミはその身で受け止めてしまった。

「ナナミ? ナナミっっ」

「よ……くも…………っ……」

ゆっくりと、小雨に壊された、小さな砂山のように崩れたナナミの体を、トンファーを放り出し、伸ばした両腕でセツナは抱き留め、セツナへと向けていた剣をそのまま、ジョウイはゴルドーへと向けた。

「ナナミ? ナナミ? しっかりして、ナナミっっ」

「……へ、へへ……。しっ……ぱい、失敗……。でも、だいじょ……ぶ……」

その膝の上に抱えた義姉の顔を覗き込んで、案ずる声をセツナが放てば、ナナミは薄ら瞳をこじ開け、精一杯の笑みを浮かべた。

「……一寸……だけ。一寸だけでいいから、待ってて、ナナミ。お願いだからっっ」

──その時のそれは、セツナの薄茶色の瞳には儚くしか映らない、義姉の笑みだったけれど。

大切な人を失い続けること、それが戦争だとしても、こんな風にナナミを失う筈なんてない、とセツナは、笑んでくれたナナミに微笑みを返し、ゴルドーへと構えを取り続けるジョウイと並び、己の武器を振り上げ。

何も言わず、息もせず。

ゴルドーと、彼の部下達を睨み付けてより。

「……我が真なる……紋章っっ」

セツナは、高く高く、その右手を翳した。