溢れる程の思い出が隠されているのだろう、風吹く高台、日々を送った実家、それらを振り切り、お喋り好きな街の主婦達が、朝餉の後片付けから解放される前にキャロの街を出てしまおうと、少しおどけつつ言ったセツナに頷き、街の門を目指しながら。
カナタは、右手で掴んでいた棍を、くい……、と僅か構え掛けるような素振りを見せた。
街の外だけを見詰め歩いていたセツナは、その気配に気付くことはなかったが、確かにカナタはそうして、セツナの実家へと続く寂れた小道の薮の中へ、視線を投げた。
朝日が昇り始める頃、この街へやって来た時から、ある、と気付いていた気配へ向けて。
「無事に、ナナミちゃんの御弔いも終わったし。少し、急ごうか。皆、君の帰りを待っているよ」
「はい。さっき、ビクトールさんとフリックさんにも、言われました。一緒に、朝御飯食べようって。だから、早く帰って来いって」
そうしておいて、彼は、良く通る声で語って、頷いたセツナの背を押し、キャロの街の門を潜った。
「同盟軍盟主セツナは、極少数の手勢と共に、早朝、キャロの街に現れました。先日の、ロックアックスにて我が軍と行った戦の際、命を落とした義姉を、葬る為に訪れたようです」
命令を果たして戻った間者が、ハイランド皇王──自身の私室の片隅に跪きつつ告げた報告に、
「……そう、か」
ジョウイは、心持ち上向きながら、ゆっくり目を閉じて、告げられたそれを噛み締めているような風情を見せた。
「ナナミ、は……。やっぱり、あのまま…………」
「同盟軍盟主の義姉の生死を確かめろ、との御命令でしたので。先ず、敵方の本拠地に潜り込んでみました処、非常に簡素でしたが、ナナミという少女の葬儀が執り行われたこと確認出来ましたし、盟主の実家の裏庭に、新しい墓が作られたのも確かめて参りました。……それで、皇王陛下」
「……何だ?」
「大変申し訳ございません。同盟軍に加担している、トランのカナタ・マクドール。その者に、同盟軍盟主の義姉に関して探りを入れているのを、どうやら気付かれてしまった模様で……」
「カナタ・マクドール……? ……ナナミの葬儀や埋葬に、あの男も同席していた、と?」
「はい」
「…………判った。ご苦労だった」
「では、失礼致します」
ロックアックス城にて、己の目の前で傷付き倒れたナナミは、その身に負った余りにも深い傷の所為で、もしかしたら、もう……、と咄嗟に感じた通り、天上に旅立ってしまったのだと。
そして、旅立ったナナミを、セツナ自ら葬ったのかと。
想いに沈みそうになりながら、瞳閉じたまま、淡々と続く部下の報告に耳を傾けていたら、思い掛けず、トランの英雄の名を聞かされて、閉ざした瞼をこじ開けたジョウイは、僅か声を揺らがせた後、報告を終えた部下へ退室を命じた。
「ナナミ……。セツナ……」
ナナミの死の報を携えて来た彼が姿を消し、一人きりになった部屋の直中で、ジョウイは何処か、呆然と天井を仰ぐ。
──────こんな風に『運ばれて来た』運命の途中、大切だった家族の一人、ナナミは逝ってしまった。
戦おうとしていた自分達を庇って、ハイランド皇王と同盟軍盟主の決着の時を『喧嘩』と例えて、駄目……、と言い残し、逝ってしまった。
…………ユニコーン少年隊が全滅させられてから、数ヶ月の間。
自分や、セツナや、ナナミや、ピリカが辿らされた運命は、どうしようもなく、虚しかった。
虚しかった運命が齎したモノは、悲しみと苦しみだけだった。
だから。
力が欲しい、そう思った。
強くなりたい、そうも思った。
それさえあれば、全て守れると思った。
だから、こうして来た。
ハイランドの皇王に、なりたかった訳じゃない。
導く者に、なりたかった訳では、ないけれど。
そうすれば、守りたいと思った全てを、自分は守り通せると思った。
人を殺し続けても、家族に等しい幼馴染み達を裏切ることとなっても、守りたいと思った全ての為に、何も彼も、耐えられると思った。
なのに、そうするのだと自ら決めて、辿り始めた運命の道を確かに辿ってみたら、守りたい全ての者を、細やかに守るだけでは済まなくなってしまって、守りたい者の為に、守りたい者を討ち滅ぼさなくてはならない場所に、自分は立ってしまった。
……そうしたかった訳ではなくて、守りたい者を討ち滅ぼしたくなどなくて、自分が一体どうしたらいいのか見えなくなり掛けたまま、この数ヶ月を過ごして来た。
どうしても、守りたい者達の為に選んだ道を辿ること止めたくなくて、でも、守りたい者を討ち滅ぼすことは選びたくなかった。
…………けれど。
突然、目の前に現れた、あの忌々しい英雄に、お前には覚悟が足りぬ、そう断じられて。
大切で守りたい者の傍らには、あの英雄を筆頭にした沢山の者達が溢れているのだ、と思い知らされて。
……守りたいと思った大切な者が、自分がどれだけ懇願しても、その者達を捨て去れないと言うのなら。同盟軍盟主という立場を、捨て去れないと言うのなら。
己も又、ハイランド皇王という立場を捨て去れぬのだから……己の周囲に集ってくれた者達を捨て去れぬのだから、『守りたい者達の為に選んだ道』を、守りたい者を討ち滅ぼしてでも進むしかないのかも知れないと、『覚悟』を決めた。
あの忌々しい英雄は、覚悟が足りないと、己に向かって言い捨ててきたけれど、相応の『覚悟』くらい持ち合わせていると、自分自身に言い聞かせた。
………………なのに。
大切な者────そう、セツナと。
戦って、討ち倒すしかないのだと、決めた途端。
彼と、戦おうとした途端。
守りたかった、大切な者達の一人だったナナミが、逝ってしまった。
己の選び取った道は間違いなのだ、だから、こうなったのだと、見せ付けるように。
力を得ても、強くなっても。
守りたいモノ全てを守ることなんて、叶いはしないと言うように。
「………………そ……うか……」
空蝉のような、目をして。
天井を、仰ぎ続けて。
ぼんやり、そんなことを考えていたジョウイは、物思いの終わり、ふ、と呟きを洩らした。
守りたいモノ全てを守ろうなんて、所詮、自分には出来よう筈もなかったのかも知れない。
一翼も二翼もと、贅沢なことを考えたから、何も彼もを望み過ぎた自分の手より、運命が勝手に、持ち切れぬモノを選び取って、持ち去って行ったのかも知れない。
お前にナナミは『持ち切れぬ』と、彼女の命を持ち去り。
そこに還る場所はないと、セツナに自分以外の大切なモノを持たせ。
運命は……。
────と、呟きを洩らしながら、ジョウイは、そう考えた。
セツナやナナミが幸せであること。大切な者達の全てが、細やかに幸せであること。
それが、己の幸せだった。
大切な全てを、唯、守りたかった。
幼馴染み達と共にキャロで暮らしていた、遠くなってしまった時間の中に、己の幸せはあった。
過ぎ去ってしまった、時間の中に。
けれど、もう。
『幸せ』は取り戻せない。
ナナミは遠く旅立ってしまい、セツナは恐らく、還らない。
ナナミの亡骸を弔う、という、セツナにとっては神聖過ぎただろう瞬間にさえ、するりと入り込むあの英雄が言ったように。
何も彼も、最早戻らない。何を望んでも、何を想っても、夢見た遠い昔、望む昔、それは戻らない。
ならば。
己に残された、己にのみ出来得ることは。…………と。
その時、ジョウイは、自室の天井を見上げながら。
そう、考えた。