──しかも、人に非ざる敵が、突如眼前に現れたにも拘らず。

のほほんと、知り合いを見掛けたかのように、あー……とセツナが呟けば。

「おや、これはこれは。同盟軍の、盟主殿ではありませんか。このような所でお目に掛かれるとは、思ってもいませんでしたよ。光栄ですね」

現れた影であり敵であるネクロードは、自身で選んだ言葉を裏切って余りある程下卑た嗤いを浮かべつつ、わざわざ、見た目だけの礼を尽くした。

「それは、こっちの台詞ですぅ。こんな所で又会うなんて、思ってもいませんでしたぁ。……やっぱり、害虫と一緒で、暗くてじめじめした所が好きなんですかぁ? 吸血鬼ってー」

すればセツナは、わざと間延びしたトーンで、にこーっと笑ってみせて。

「…………何処の誰に、そんな口の利き方を習ったのやら。生意気ですねえ、子供のくせに」

「四百年も生きてる害虫から見れば、誰だって子供でしょ」

嗤いを収め、不快そうに見遣って来たネクロードへ、ベーと舌を出しながら、ナナミの肩を押した。

「え、でも……」

ナナミに対するセツナのそれは、逃げろ、との合図で、言葉にされずともナナミは、その意図を汲みはしたが、自分一人だけで逃げるなんて……と、躊躇い。

「逃がすとでも?」

姉弟の、細やかなやり取りを見付けた吸血鬼は、ふっと姿を消して、彼等の退路の先に、再びふっと現れた。

「な、何よっ。大体、何であんたがここにいるのよっ!」

地上へと続く道を塞がれて、逃げられないと悟ったのか、セツナの後ろに隠れるようにしながら、ナナミは吸血鬼を睨み付ける。

「私が何故ここにいるか? それは、愚問ではないですか? お嬢さん、貴女にも昨日お伝えした筈ですよ。私はこの地に、私の為の国を造る、と。王国に王がいるのは、道理ではないですか? それとも、私がここにいてはいけない理由でも?」

「だって! ジェスさんの部下が、あんたの居場所見付けたって…………」

「……ジェス? …………ああ、私のことをこそこそと嗅ぎ回っていたあの男ですか。──あの男の部下の報告など、嘘に決まってるでしょう。私がそう仕向けたんですから。……人間なんて生き物は、目先を眩ませる物を一寸与えてやれば、いとも簡単に仲間でも裏切る、どうしようもない生き物ですから。簡単でしたよ?」

自分達の前に立ち塞がるネクロードを、ナナミは、それはきつく睨み付けたが、ネクロードはそれを鼻で嗤った。

「……そんな、酷いっ!」

「酷い、とは心外ですねぇ、お嬢さん。本当に酷いのは、黄金で仲間を売った、あの男の部下ではないんですか?」

「それは……それはそうかも知れないけど、でもっ!」

──ナナミ。『アレ』に何を言ってみたって、通じないよ」

故にナナミは、ネクロードへ更に怒りを吐き出したけれど、無駄だ、とセツナがそれを止めた。

「それよりも、逃げないと」

「……あ、そ、そうだよね。早くこのこと知らせないとっ」

「逃がしませんよ、言ったでしょう?」

そうしてセツナはナナミを促し、逃げよう、と言ったが。

行かせる訳には……とネクロードは、背に追ったマントを跳ね上げ。

「やってみなきゃ判らないもん。お腹空きっぱなしなのに戦うのは一寸ヤだけど」

セツナは、素早く詠唱を唱え、右手の紋章を輝かせ始めた。

どういう訳か『世界』は、嫌な予感程当たるように出来ている、と。

朝食を摂る為に席を外した筈のセツナが、坑道の入り口へと続く道を歩いて行った、と知った時に覚えた胸騒ぎへと舌打ちして、カナタは、あちこちに石塊の転がるティントの道を駆けた。

何事もなければそれでいい、でも、と。

走り続けた彼の視界の中に、もう間もなく、坑道の入り口が映る、という頃。

深い山に囲まれた、炭鉱の街を通り過ぎて行く乾いた風の中に、微か、腐臭が織り混ざったのを感じて。

ぴたり、とカナタは、駆けさせていた足を止めた。

「……厄介だな」

ボソリ、独り言を零しながら彼は、立ち止まったまま、先程よりも強まった腐臭の方へと、身も返さず腕のみ振るって、棍で以て、『腐臭』を薙いだ。

すれば、棍で薙がれた場所に何時しか立っていた生ける死者達が、グズリ、と音を立てて大地に崩れ。

「この臭い、しつこいんだよね」

やれやれ、と彼は、後から後から、ぼこぼこと地面を泡立てつつ地中より立ち上がってみせる、屍達の相手をしながら、再び先へと進んだ。

──いとも簡単に、地中より『生まれる』屍達を、カナタは倒しつつ進んだが。

その表情は、何処となく険しかった。

先程、彼自身が音にして洩らした、厄介、との思いが、彼にそんな表情をさせていた。

別段、束になって掛かって来られようと、生ける死者の相手をすることを、厄介、と彼は思わないが。

自分達が考えていたよりも、ネクロード側の動きが早かったことは、確かに厄介だったし。

市街地の中に、あの吸血鬼の手先が姿見せられるということは、己達には把握し切れていない、複雑に入り組んだ坑道を確実に利用する術を、ネクロードには握られているということで、それも又、厄介、ではあったから。

「こんなことなら、セツナから、目、離すんじゃなかった」

ぶつぶつと彼は、セツナを休ませるつもりで、僅かの間だけだから、と、彼の傍を離れた己を罵り。

己に対する怒りを、行く手を阻む屍達へと向け。

「…………邪魔」

低い一言を吐くと、くっと握り締めた右手を、頭上高くに掲げた。