「ヤだよ、セツナっ!」
差し出した、己が腕をすり抜け。
ふらり……と傾ぎながら大地へと倒れて行くセツナを見て、ナナミが悲鳴を上げた。
だが、倒れ込んだ小柄な体が地面へと叩き付けられる前に、すっと、何処より伸ばされた手が、セツナを掬い上げ。
「……セツナ。もう、大丈夫だから」
彼を掬い上げた手の主、カナタは、力をなくしてゆくセツナを、その腕に抱き留めた。
「…………あ、マクドー……ルさん…………」
その声と腕に、やって来てくれた人が誰なのかを知って、セツナは青白い頬に、ふわ……っと笑みを乗せた。
「無理なんてしなくていい」
「で……も……あの……」
「……いいの。君は、何も心配しなくていいから」
カナタがやって来てくれたことに安堵したのか、ふ……と全身の力を自ら一度抜いてから、セツナは再び立ち上がろうとしたが、カナタはそれを制するように、彼を抱く腕に、少しばかり力を込めた。
「おい、どうしたっ! 何だって、こんなことになってるんだっ!」
と、丁度そこへ、市街に溢れ出した生きる屍達に気付いたのか、それともカナタの後を追ったから、この騒ぎに気付くことになったのか、その何れからしい様相のビクトールが、駆け付けて来て。
「……ん? どうした、大丈夫か? セツナっ」
「………………あの、ね……。中に、ネクロ……ド……」
セツナは、己を抱き上げたカナタと、顔を覗き込んで来たビクトールへ、坑道の中にネクロードが現れたことを伝えた。
「……ネクロード?」
「う、うん。あ、あのね、あの中にネクロードがいてね。私達、出会しちゃって、それであいつがセツナに、死者にならないか、とか、呪ってやる、とか、そんなこと言って……。多分、その所為で、セツナ、こんな風に…………」
彼が告げた、ネクロード、の言葉に、ぴくりとビクトールが反応を示せば、横からナナミが、セツナの代わりに事情を告げ。
「呪い? セツナはそれを受けたと?」
「あ、ううん、そうじゃなくって! それは、何でかは知らないけど、紋章が弾いてくれたみたいで……」
呪い、の言葉には、カナタが眉を顰めて反応した。
「…………あの害虫……」
「……カナタ」
「判ってるよ、今はセツナを逃が──」
「──そうじゃねえよ」
ネクロードが、セツナに呪いを掛けようとした、との事実を聞かされ、カナタはすっ……と瞳を細め。
が、怒りに身を任せる間もなくビクトールに名を呼ばれ。
腹を立てている場合じゃないことくらい、判っている、と彼は傭兵を振り仰いだが。
そうではない、とビクトールは、腰に下げていた星辰剣を取り、鞘ごと大地に突き立てた。
「…………ビクトール?」
「様子、見て来いや。セツナなら、俺がちゃんと逃がしてやる。だから、それ持ってけ」
傭兵のそんな態度に、何事かとカナタが細めた瞳を見開けば、ビクトールは薄く笑って。
「ビクトール。それは……」
「……いいから。お前さんに機嫌を損ねられると、後が厄介だからな。行って来い。──多分この街は、もう駄目だ。だからここを抜け出て、クロムの村へ行く。そこで落ち合おうぜ」
何時しか、カナタの腕の中で意識をなくしてしまったセツナを、ビクトールは受け取った。
「…………判った。でも、これは要らない」
そんな彼に、大人しくセツナを奪われるに任せ、が、大地に突き立てられた星辰剣を取り上げたカナタは、それを持ち主へと戻す。
「どうして?」
「様子を見て来るだけだから。……それに、例え『アレ』と再会したとしても、ビクトールがいないんじゃね。一人だけで、『アレ』をどうこうするつもりなんて、僕にはないよ。……仇討ちは、仇討ちを成すべき者全てが揃って、が良いだろう?」
「……まあ、理想だな」
「だろう? ──じゃあビクトール。後のこと、頼んだよ。…………クロム、で」
そうして、カナタは。
瞼を固く閉ざしてしまったセツナの髪を、一度だけ撫でて。
坑道の中へと消えた。
踏み込んだ、存外明るい坑道の中は。
外よりも強い、腐臭がした。
辺りに視線をくれても、屍達の姿を見ることは出来なかったが、強く漂う『死の臭い』、そしてその気配、それらが、進む先にこれまで以上の数、敵が待ち受けているだろうことを容易に想像させた。
しかしカナタは、何一つ躊躇うことなく、ランプの灯りに浮かび上がる道を辿り、ひたすらに、奥へと進んだ。
……屍に、邪魔をされることはなかったが。
ひと度ネクロードの命が下れば、地中に潜む屍が、泡のように湧き出ることは、判っていた。
軽く、右手の魂喰らいに意識を預けてみれば、『月の紋章』の気配が程近くに感じられたから、未だ『目的』が、この坑道を離れていないことも判った。
でも、彼の足取りは、少しも揺らぐことなく。
「……おや、今度は貴方ですか」
──丁度、セツナが『ソレ』と出会した辺りで、彼も又、そこに居続けた吸血鬼の彼と、対面を果たした。
「…………不服?」
「いいえ。不服である訳がないでしょうに」
「三年と……さて、何ヶ月振りかな?」
「さあ? ……四百年も生きていますとね、もう、何年、とか、何ヶ月、とか。そんな細やかな単位の時間は、気にも留まらなくなるので。残念ながら、正確には」
「ふうん。……長く生き過ぎて、惚けたんだ? …………ああ、失礼。長く死人でい過ぎて、腐ったんだ?」
「相変わらず、碌な台詞を吐かない口ですね、貴方の口は」
……何をするでもなく。
唯、その場にたゆとうように佇んでいたネクロードと、その眼前で立ち止まったカナタのやり取りは、暫し続いた。
「それなりには、礼儀正しくしてるつもりだけれど? お前に相応しい程度にね」
「……ほう。だと言うなら、貴方が持ち合わせている礼儀とやらは、上限が低いのですね。私の王国に足を踏み入れて、王国の主たる私と向き合いながら、その程度なんですから」
「そう? そう思うなら、僕とお前の、礼儀という物に対する解釈は、別次元にあるんだろう。──害虫の国に踏み込んで、害虫の国の王と対峙して。……それでもお前は、最上級の礼を尽くすんだ? 随分、太っ腹だね」
だが、やがて。
カナタと出会した時から薄嗤いを浮かべ続けているネクロードも。
常の顔で、ネクロードを見遣り続けるカナタも。
戦うべく、呼吸の速さを変えた。