衣擦れの音を立て。

さらさら、肩の上で滑るマントを靡かせつつ。

「一つ、お聞きしたいことがあるんですがね」

ネクロードは軽く、首を傾げてみせた。

「……何を?」

ふわ……と、綿を扱うように天牙棍を操りつつ。

カナタはそれに応え。

「どうして、わざわざここに? 逃げれば宜しかったでしょうに。なのに、あの忌々しい星辰剣も持たず、何故?」

「…………僕はお前を倒しに来た訳じゃない。お前を滅ぼすのはビクトール、そう思うから、星辰剣は持って来なかった。そして、奪われた、にせよ、奪われている途中、にせよ。必ず取り返すティントの為に、坑道の様子を探っておこうと思った…………というのが、建前で」

「では、本音は?」

「……星辰剣に飛ばされた、三百年前の過去。隠された紋章の村で、初めて出会した時からずっと僕は、お前が気に入らなくてね。だと言うのに、三年数ヶ月前には、仕留め損ねて。その上、セツナに呪いを掛けようなんて、ふざけたちょっかいを出されたから。……まあ、その分の落とし前は付けさせて貰おうと思った……って奴?」

促されるまま彼は、何故ここまでやって来たのか、の理由を語った。

「………………成程」

すればネクロードは、カナタの答えに某かを思ったのか、少しの間、考え込むような素振りを見せて。

……やがて、にたり……と嗤った。

「そうですか。逆恨み、ですか」

「……逆恨み?」

ネクロードが吐いた言葉に。

カナタは天牙棍を操る手を止めた。

「逆恨みでしょう? 私は貴方の、唯一の親友だったあの少年を、この手に掛けてはいませんよ。あの、テッドとかいう名の彼がこの世を去ったのは、『誰の所為』ですか? 少なくとも私ではありませんね。……だから、逆恨みだと私は言っているんです。……ああ、でも」

そして、ネクロードは、戦う意思を失った風に、懐に手を差し入れ。

「でも、何だ」

「三百年前の、あの村の出来事が。貴方の大切な親友だったテッドが、魂喰らいを抱えたまま、三百年、世界を彷徨うことになる切っ掛けを作った『かも知れない』程度の自覚は、私にもありますから。その分の、お詫びくらいは致しましょうか」

己が懐から取り出した何かを彼は、白絹の手袋で覆われた手の中に握り込み、そのまま、カナタの前へと差し出した。

「風の便りで伺いましたよ。貴方は、三年前のあの戦いで、解放軍の初代軍主も、従者も、親友も、そしてお父上も、亡くされたそうですねえ。皆、全て。貴方のその、魂喰らいに、喰われたらしいですねえ」

「……だったら、どうだと? それが事実なら、何かが変わるとでも?」

「……もう一つ、お聞きしても良いですか」

「………………何を」

「貴方。自分の所為で、それだけの人々を失ったのに。未だ、人と関わることを諦めていないんですか? それでも未だ。あの、同盟軍の盟主の少年に、何らかの想いを寄せていますか? 私が彼に『ちょっかい』を出した程度で、ここへ乗り込もうとする程」

「……だとしたら?」

差し出された、何かを握り込む手を、見遣ろうともせず。

過去を抉るような台詞にも、面差しを変えず。

カナタは、ネクロードを見据えた。

すればネクロードは、柔らかい動作で手を裏返し、そして指を開き。

「見覚え、ありますでしょう?」

掌に乗せた、光の加減によって、深い紫、闇のような黒……と、くるくる色を変える、小さな石の塊を、又少し、カナタへと近付けた。

「私同様、恐らく貴方は気に入らない存在だった筈の、魔女。ウィンディが私にくれた、ブラックルーンの一つですよ。……懐かしくはありませんか? 三年前のあの戦いで、帝国の将軍達や、貴方の親友を操った、妖かしの紋章ですよ。…………カナタ・マクドール。三百年前の、あの時の詫びに、これを貴方に差し上げましょう」

「……何の為に」

「…………もう。三年前にしただろうような想いを、されたくはありませんでしょう? お父上や、親友の彼を喪くした時のような想いは。にも拘らず、貴方の右手には、未だに魂喰らいが宿っている。だと言うのに貴方は、セツナというあの彼のことを想っている。多分、貴方のお父上や、貴方の親友のように……いいえ、もしかしたらそれ以上に、貴方は彼のことを、大切だと想っているのかも知れない。…………これでいて、吸血鬼という生き物は、そういうことに鼻が利くんですよ」

掌に乗せた、ブラックルーンの紋章を、コロコロと転がしながら。

愉快そうにネクロードは語り。

「いい加減、その口を塞がないか」

低い、抑揚のない声で、もう黙れ、とカナタは。

だが、彼の制止を、ネクロードが受け入れることはなくて。

「これを使えば。下らない情など寄せずとも、あの小さな彼は、貴方の物になりますよ。三年前のような想いをするかもと、怯える必要もないまま、あの少年を手に入れられますよ。生きる屍に良く似た、只の器にして、魂など無くしてしまえば、彼を、魂喰らいに盗られることもなくなりますよ。……どうです? 三百年前の、些細な出来事の詫びにしては、上出来過ぎるでしょう?」

ポン……と。

ネクロードは石塊を、カナタへと投げた。

しかしそれは、受け取られることなく、坑道の土の上へと転がる。

「噂に伝え聞いた貴方の運命には、私も些かは同情出来ますからねえ。もっと早く、貴方にこういう詫びが出来れば。貴方は、その手で、大切なお父上を殺さずに済んだかも知れないし。テッドを己の身代わりにせずとも済んだかも知れないと。私とて、思わなくはないんですよ? ええ、私は一応、情深い質ですから」

カラン……と、乾いた音を立てて、坑道に数多ある石塊の一つにぶつかり、土の上を転がって行ったブラックルーンを、おやおや……と見詰めながら。

ネクロードは、そんな話を続けた。

──転がって行く、時に深紫に、時に漆黒に……と色を変えるその石へ、何時、誘惑に負けたカナタが手を伸ばすか、と。

その瞬間のみを待ち侘びていたネクロードは、石と、カナタの手許しか、見ようとはしなかったから。

誘惑を語り終えてのち、カナタの面を見ることがなく。

「…………………………言いたいことは、それだけか」

故に。

『一切』が消えた声で、呟いたカナタが。

彼を知る者全て、未だかつて見たことのない、『一切』を消し去った顔になったことに。

ネクロードは暫しの間、気付かずにいた。