「おや、立腹でもされましたか」
だがやがて。
カナタの纏う気配が変わったことに、ネクロードも気付いて。
肩を竦め、相手の漆黒の瞳を覗き込んだ。
見遣ってみた、一対の漆黒の中に、光はなく。
感情、という名のそれが、掻き消えている、と知り。
「どれだけ腹を立てようと、貴方に私は倒せませんよ」
馬鹿にしたような嗤いを、甲高く、ネクロードは放った。
「……僕はお前を倒しに来た訳じゃない。始めにそう言った。お前を滅ぼすのはビクトールだと。…………でも」
「でも、何だと言うんです? せめて一太刀、とでも言うつもりですか? 夜の紋章の化身は、ここにはいないようですけども」
「……………………星辰剣がなければ、傷付くことはないとでも言いたいか。この世で最も呪われた、魂喰らいの紋章を、その程度の力しか持たぬ、只の飾りだとでも思っているのか? ──生者も、そして死者も。この紋章は『選ばない』。等しく、絶対の死を与える。例えそれが、お前でも、だ。────それを、今。振るってやる。……一太刀、などと。生易しい話で済むと思うな。それ以上のものを、お前にはくれてやる」
歪にくり抜かれた坑道に、長く細く、ネクロードの嗤いは響き続けて。
けれど、カナタはそれを打ち消す風に、遠い世界から齎されたような声音で語って。
握り続けていた棍より、彼は手を離した。
「何のつもりですか」
支えを失い、カラカラと土の上で鳴った棍を見遣り、ネクロードは不思議そうな顔をしたが。
「お前に通じぬ武器など、必要ない」
何処までも、『遠い世界の声』でカナタは、手袋を取り外し、素手となって、露にした魂喰らいの紋章を、坑道を照らすランプ達の灯りに翳すようにしながら。
「僕も、『こいつ』も。お前如きに貶められるような言葉を吐かれて、黙っていられる程大人しくはない。お前が貶めるべきも、呪うべきも、自身であると気付くといい。四百年もの時を、生きたと言うなら」
彼は、色も光も喪くした瞳を、瞼で覆った。
「ソウルイーター。生と死を司る紋章。お前の領域を侵すモノを、赦さぬと言うなら。今ひと時だけ、僕はお前を解き放っても良い」
覆われた瞳の中で、確かに魂喰らいを見遣りながら、それへと『語り掛け』。
カナタは、強く瞳を見開くと同時に、握り締めた右手を振り下ろした。
……空を、斬るように。
『裁き』の始まりを、告げるように。
──だから。
詠唱でなく、宿主の『語り掛け』に応えた魂喰らいは。
黒く方円を描く、霧のような、光のような、朧げな『姿』ではなく。
ふわふわと宙を漂う、一体の、死出の遣いのみを呼び。
振り上げられた大鎌は、ネクロード目掛けて。
…………そうして。
御遣いの鎌は、吸血鬼を切り裂いたけれど。
「……私の『影』を、傷付けようと、殺そうと。私は滅びませんよ……」
確かに苦しみ、身を折りながらもネクロードは、嘲笑の色を、虚のような瞳に浮かべた。
「………………苦しい?」
だがカナタは、微動だにせぬまま。
吸血鬼と、鎌を振り下ろしても尚消えぬ、御遣いを見詰め。
「……多少、は」
「……そう。────なら。ビクトールに、お前の本当の魂を滅ぼされるまで、そうやって、苦しみ続けるといい。……言ったろう? 生と死を司る紋章は、生者も死者も、選ばない。例えそれが、偽りの魂であろうとも。……『こいつ』はお前を、赦さないそうだから。お前が真実滅びるまで、お前と遊んでくれるそうだ」
『一切』が消えていた頬に、笑いのような形を戻して、彼は静かにそう告げた。
「…………まさか。……そんなこと、が……出来る筈、ない……。魂喰らいの紋章、が……宿主を離れて、たった一つの存在のみを、追い続ける、だなどと…………っ」
「『こいつ』は、僕から離れてなどいない。僕の右手には、今も紋章が『いる』。僕は、『こいつの一つ』を借りただけ。借り受けたそいつは、暫くの間好き勝手に、魂を喰らって歩くかも知れないが。そんなことは別に、どうでもいい。僕同様、『こいつ』もお前は気に入らないみたいだから、熱心にお前を構うだろうし。死者以外のモノが消えるこの街に、狩られて困る命も無い」
「だが……っ。例え、それが叶ったとしても……っ。一部でも魂喰らいを解き放てば、あの少年…………っ──」
「──ああ、セツナ……。……………高々お前如きに落とし前を付けさせる程度のことと、僕の大切なあの子とを、僕が天秤に掛けるとでも? 見境をなくしても、そんなこと僕はしない。セツナとお前とを天秤に掛けるくらいなら、この場で殺してる。残念ながら、今の僕でも未だ、理性の持ち合わせはある」
…………笑い、のような。そうではないような。
薄い何かを頬に浮かべて、何処となく楽し気に語るカナタに、ネクロードは初めて、顔を歪ませたが。
もうそれ以上、カナタの中では何も、『動かなく』なったらしく。
「滅ぼさぬ代わりに、せめて、苦しみ続けてくれると有り難いんだけどね。僕の、心の平穏の為に。……父上と、テッドと、グレミオと、オデッサと。そして、セツナと僕の為に」
土の上へと零した棍と、近くに転がっていたブラックルーンを拾い上げて彼は、一度だけ、肩を竦め。
「早い内の再会を、祈っててあげるよ」
深く身を折ったまま動けずにいるネクロードと、未
「……それ程まで、の、自信、と……それ程まで……あの少年…………。────まさか…………?」
唯、口惜しそうに。
ネクロードはその背を、見送るのみでいたが。
ふと、何かに思い当たったのか彼は、某かを呟き掛け。
「…………お前には、関係ない。『それ』は多分、お前が滅した後
去り行く最中、一度だけ立ち止まってカナタは。
振り返ることなく。
色と光の戻った漆黒の瞳に、遠い眼差しを乗せて、語った。