坑道を出て。

生ける屍で満たされていた、ティントの市街を抜け。

荒れ野を、クロム目指して歩きながらカナタは、岩だらけの大地に、それでも僅か姿を見せる林に入り込んで、木と木で覆われた茂みの中へと踞った。

「………流石に、やり過ぎたかな…………」

棍を抱えて、木の根元に身を預けて。

小さく呟きを洩らし、彼はゆるりと目を閉じる。

──その口を塞げ、と忠告したのに、ネクロードが言葉を重ね続けたから、つい、魂喰らいへの『頼み事』をしようなどと思い立ち。

その為に、あの瞬間に振り絞って、そして失った気力が未だ戻って来ない、と。

数年振りに、疲れを訴えて来た体の言うことを聞いて、無防備に四脚の力を抜き。

眠りに落ちる寸前まで、カナタは意識を底へ沈めた。

「…………………ああ……」

そうして暫く、時が流れるに任せて。

ふっ……と、耳に届いて来た、遠くで吠える獣の声に、彼は意識を引き戻す。

「もう直ぐ夜、か……」

山びこのように折り重なって行く、獣の遠吠えに戻された意識で、枝葉に覆われた天頂を見上げれば、既に薄暗く。

思いの外ぼんやりし過ぎてしまった、と彼は、懐に手を突っ込みながら立ち上がった。

上着の中へと差し込んだ指先で、坑道から拾って来た小さな石を摘み、それまで己が座っていた、木の根元へ放り。

棍の先で彼はそれを、打ち砕く。

「父上も、テッドも、グレミオも、オデッサも。そして、セツナも僕も。平穏であれば……か…………」

カキン……と、硬質の音を立てて砕け散った、光の加減で今は鮮やかな紫に見えるそれを眺め、らしくなくカナタは、溜息を付いた。

「死者の平穏なんて、ある訳がないのに……。人は死んだら、それで終わるのにね」

梢に消えて行った、自らの溜息へ、彼はそう語り掛け。

茂みを踏みしだいて、夜の荒れ野へと出る。

宵闇の先に、ちらちらと霞んでは消える、クロムの村の灯りを目指し、歩き出しながら、彼は天頂を仰いだ。

…………空を覆う、宵闇は、もう消えそうで。

空の半分を、宵闇でない夜の闇が占めつつあり。

東から昇った十五夜は、輝き始めていて。

彼はふと、立ち止まる。

どういう訳か、その日の月は。

紫色に染まっていた。

有り得ぬ色に。けれど、確かに。

まるで、先程その手で砕いた、妖かしの石の色を、写し取ったかのように。

だから、その色を見詰め。

「…………父上……。テッド……っ……」

懐かしい人の名を囁き、俯き。

「セツナ…………」

その許へ向かうべき人の名も、囁き。

紫の月を背に負って。

カナタは、止まってしまった足を動かし、クロムを目指した。

寂れた村の、門とも言えぬ門を潜り。

一応、と宿屋を覗いてから、村長の館を訪ねたら。

「遅かったな、カナタ。どうしたかと思ったぞ」

心配そうな顔をしたビクトールに出迎えられたので。

「ん、一寸。寄り道しちゃってね」

悪戯っ子のような笑みを湛え、カナタはビクトールを誤摩化した。

「そうか? ならいいが。……でも、寄り道って、何処に」

「内緒。……それよりも、セツナは?」

「客間に寝かしてある。あれっきり、目、覚まさなくってな。ナナミが付きっきりで面倒見てるが、根詰め過ぎだから。多分そろそろ、へばる頃だろ」

そうして彼は、自分のことはどうでもいいから、と、セツナのことを尋ね。

ビクトールに案内させて、セツナの寝ている客間へと向かった。

「ナナミちゃん? セツナは?」

「あ、マクドールさん……」

ここだ、と言われた部屋の扉を、静かに引き開いてみれば、ビクトールが言っていた通り、中には、ベッドに横たわったままのセツナと、セツナの枕辺に腰掛け、前のめりになりながら義弟の顔を覗き込んでいる、ナナミの姿があり。

「……大丈夫? 余り根を詰めると、ナナミちゃんまで倒れるよ?」

カナタは、己の名を呼びつつ振り返ったナナミの顔色を一瞥して、気遣わし気な声を出した。

「私は、平気です。だって、セツナが起きないんだもの……」

が、カナタにそう言われても、セツナへと眼差しを戻したナナミは、ふるふると首を振る。

「昨日も、今日も。御飯も食べてないだろう?」

故に、カナタは言葉を続けたが。

「それは、マクドールさんだって一緒ですっ。……私だけが、セツナの為に何にもしてあげられないなんて……そんなの、嫌だ…………」

叫ぶようにナナミは、声を張り上げた。

「……どうして、そんなこと思うの」

「だって……。私は、マクドールさんやビクトールさんみたいには、どうしたってセツナの為に戦ってあげられないし。倒れるセツナを抱えてあげられる腕も力もないし。笑って、この子の傍にいることしか出来なくて……。この子の昔を知ってるのに、昔を取り戻してあげることも出来ないし……っ……」

「…………あのね、ナナミちゃ──

──セツナが、こんなになってまで戦う必要なんて、何処にもないのにっ。セツナとジョウイが戦う必要なんて何処にもなくって、そんな理由だって何処にもないのにっ。私はこの子の『望む昔』を取り戻してあげる処か、何にもしてあげられない。このままじゃ、何にもしてあげられなくなっちゃうっ……」

泣き出しそうな声で、セツナを覆う掛け布を、ぎゅっと握り締めて、様々なことを堪えきれなくなったのだろうナナミが、そう訴えれば。

「……『望む、昔』、ね…………」

カナタは、何かを含みながら、ナナミの言葉をなぞった。

「…………そうでしょう? だってこの子は何時だって、幸せになりたいって、そう言ってる。皆に言って歩いてる。マクドールさんだって、知ってるでしょう? ──この子の幸せは、キャロにあってっ。じいちゃんが生きてた頃みたいに、私とジョウイとセツナと、三人で暮らしてたあの頃にある筈なのっ。同盟軍の盟主になって、戦うことばっかり繰り返してて、こんな風になっちゃう『ここ』に、この子の幸せも、私達の幸せも、ある訳ないものっ。なのに……なのになのに…………っ」

……カナタが、己の言葉をなぞってみせたのは、幾許かの同情である、と、彼女はそう思ったのだろう。

義弟のセツナを殊の外可愛がって、己にも優しく接してくれるカナタなら、自分の気持ちを汲んでくれると、そうも思ったのかも知れない。

だから彼女は想いを吐露した。

「……………ナナミちゃん」

だがカナタは、扉の前に立ち尽くしたまま。

「セツナの幸せが、本当は何処にあるのか、それは僕にも判らない。それは、僕にも、ナナミちゃんにも判ることではなくて。セツナにしか判らないことだよ。──ナナミちゃんの言う通り、セツナの幸せは、『遠い昔』、そして、『望む昔』にあるのかも知れないね。……でもね、ナナミちゃん。進み出してしまったことは、『終焉』を迎えない限り、止まらない。止まらない限り、昔は戻らない。……後ろなんて振り向いてはいけないよ。……大丈夫、昔を振り返らずとも、ナナミちゃんにはセツナの為に、出来ることがあるだろう? 笑顔を浮かべて、セツナの傍にいてあげること。……義姉あねとしてね。それは、ナナミちゃんにしか出来ないのだから」

彼は。

憂いの全てを慰めてあげることは出来ない、と、申し訳なさそうに告げた。