──翌朝。

「セツナ、起きて。朝だよ?」

軽く肩を揺すって、カナタは、何時ものように共に寝た、セツナを起こした。

「…………うーー……。眠い、ですぅ…………」

けれど。

普段のそれと、然して変わらぬ方法で、何時もの人に起こされたと言うのに。

セツナは何処か、むずかるように顔を顰めてぐずった。

「……どうしたの? 具合でも悪い?」

故に、セツナの寝起きが悪いのは、珍しいことではないけれど、と思いながらも、カナタは少々心配そうに、毛布の中に潜り込んでしまったセツナの顔を覗き込み。

「……そーゆー訳……でも、ない……んです、けど……」

ぐずくず言いながら、ノタノタ、セツナは身を擡げた。

「なら、いいけど。……ほら、御飯食べ行こう? 昨日、僕達を部屋に案内してくれた、マルロ君……だっけ? が、支度が出来ましたって、教えに来てくれたことだし」

──そんな、セツナの様を見遣り。

単に寝起きが悪いだけにしては、動きが重い……と感じはしたが。

「おーい、起きてるかーー?」

丁度そこへ、朝っぱらから威勢の良い声を放ちながら、ビクトールが顔を見せたので。

「起きてるよ。僕も、セツナも。……おはよう、ビクトール。──セツナ、支度出来る?」

カナタは、それ以上セツナの様子を鑑みず、唯、彼を促した。

「はあい。出来ますよー。……御飯……。ティントの朝御飯……って、何ですかね……。お米がいいなー……。パンよりも、お米がいいなー……」

……カナタに促された所為か。

それとも、ビクトールが顔を覗かせた所為か。

起き抜け、僅か垣間見せた『怠惰』を、あっという間に消し去り、寝惚けた顔で、朝食に思い馳せながら、セツナは手早く支度を進め。

「失敗、失敗っ! 朝寝坊しちゃったっ! ──セツナ、起きて…………あれ?」

バタバタと足音を響かせ、きゃあきゃあ喚きながら、寝過ごしたーっ! と賑やかにナナミがやって来た時には、彼はもう、『常』の彼で。

朝食を摂る為降りた、ティント市庁舎でありグスタフの住まいでありギルドホールでもある館の一階で、シュウに命じられてやって来た、副軍師のクラウスと、将軍の一人であるリドリーの二人に、数日振りの再会を果たし。

結局、一旦お預けとなってしまった朝餉に後ろ髪を引かれながら、向かった市長室で。

「僕、ものすっごく不思議なんですけど」

こそっとセツナは、カナタへと囁きをくれた。

「何が?」

「……どうしてシュウさんって、こうも抜群の間合いで、手配進めるんでしょうね。僕達が昨日この街に着いたのって、半ば偶然じゃないですか。『アレ』が灯竜山を攻めたからこうなっただけの話で、もしかしたら僕達は今頃、灯竜山の、コウユウやギジムさん達のアジトにいる成り行きになってたかも知れないのに。何で何時も何時も、こーゆー手配りが出来るのかなあって、僕不思議なんですよぅ。幾らコウユウが連絡に走ってくれたって言っても、昨日の今日で、手筈なんてそう簡単には整わないですよね? ──シュウさん、何処かから僕達のこと、見てたらヤーですよねー。胡散臭い魔術とか操っちゃって、へんてこりんな水鏡とか覗いてたりしたら、不気味ですよねーーーー」

「………………。セツナ、最近、変な本でも読んだ?」

すれば、小首を傾げたまま、セツナ曰くの『物凄く不思議なこと』に耳を貸していたカナタは、何を突拍子もないことを、と、空しげに乾いた笑いを浮かべ。

「へ? いえ、別に?」

きょとん、とセツナは目を丸くし。

「あのー……。盟主殿? 話を進めても宜しいですか?」

黙って、二人の密やかな会話を聞いていたクラウスは、苦笑いを浮かべた。

「はぁぁい」

クラウスの嗜めに、あ、もう話し合い始まってたんだ、と、セツナはペロっと舌を出し、コホンと咳払いをした副軍師殿は、市長・グスタフへと向き直り。

…………が、要らぬ好奇心旺盛のセツナの口が塞がれても、朝食さえお預けにしてまで持たれた話し合いは。

「お父さんっ! 皆がね、化け物が来たって! 怖いお化けみたいなのが来たって言ってるっ!!」

そう叫びながら、市長室へと飛び込んで来た、グスタフの娘・リリィの叫び声に中断された。

「お化け? もしかして、『死人』?」

「いや、ネクロードの奴かも知れねえっ!」

ぎゅっと、お気に入りの縫いぐるみを抱き締めながら訴えるリリィの言葉に、人々は、我先にと市庁舎を飛び出。

坂道を駆け下り、市門を目指せば。

「おはよう、ティントの諸君」

もしや、ネクロードが自ら……と、ビクトールが想像した通り。

ティント市の入り口には、何事かと集まって来た市民達へ向け挨拶を告げる、幾体もの生きる屍を従えた、数百年の刻を生きる、吸血鬼の姿があった。

「……おや、おはようございます、グスタフ市長殿」

人々へ、一見優雅な挨拶を告げた吸血鬼は、グスタフを見付け、慇懃に言葉を述べ。

そうして。

「………………おはようございます、皆さん」

グスタフへと向けたそれよりも、尚一層慇懃に、セツナや、カナタや、ビクトールへも、朝の礼儀を果たした。

「…………てめえに、馴れ馴れしく言葉を掛けられる覚えなんざ、こっちにはねえんだよ」

「相変わらず、無礼な口を叩きますね。それが、がさつな傭兵の礼儀ですか? ……折角、これからこの地を支配する『王』たる私が、礼を尽くしに来たと言うのに」

どうにもこうにも腹立たしい態度を取り続けるネクロードへ、地を這うような声音で、ビクトールが答えたが。

滅多なことでは耳にすることが出来ない、ビクトールの、『本当の怒りを滲ませた声』を聞かされても吸血鬼は、喉の奥で笑うだけで。

そのような話はどうでもいい、と言わんばかりに、私はこの地の王になる、と、高らかな宣言を始めた。

「王、だと……?」

「そうですよ、グスタフ殿。私はこの、少々無骨で飾り気はないですけれども、静か、という取り柄は持っている山間に、私の王国を築く予定なんです。私と、何があろうとも私にだけは忠実な、屍達のね、言わば、死者の王国を」

「ネクロード……。貴様、未だそんなことをっ……」

「俺達のティントを、死者の王国にするだと? そんな真似、させるものか!」

ネクロードが、何処となく眠た気な目をしながら、ここを己の為だけの王国にするのだ、と告げれば。

それを聞き届けた途端、カッと頭に血を上らせたビクトールとグスタフが、前へと身を乗り出して、挑み掛からんばかりに怒鳴った。

「そんな真似、とか、そんなこと、とか。そう言われましてもね。私はもう、そうやって決めたのですよ。……ああ、それでも故郷から離れ難いと言うなら、如何です。私の王国の住人になりませんか? 余り、出来の悪い屍ばかり増えても困りますが、皆さんが、死者になると仰るなら、考えて差し上げないこともないです」

だがネクロードは、男達の怒鳴り声へ、うるさそうに、ゆるりと持ち上げた片手を振ってみせて、唇の端を歪めるように嗤い。

「………………如何ですか? トランの英雄殿、同盟軍の盟主殿。どうせ、紋章を宿しているんですから。生きていようが死んでいようが、大差ありませんでしょう。醜いだけの生者など止めて、死んでみませんか? 一度」

そのままの、歪んだ嗤いを吸血鬼は、カナタとセツナに向けた。

だが、カナタもセツナも、ネクロードの方を見もしないで、「えー、紋章は所詮紋章だしねー。死人と一緒にしないで欲しいよねー」……とか何とか、きゃらきゃら言い合うだけで。

「……それが貴方達のお答えだと、謹んで受け止めて良いのですね。ならこのティントが潰されるのを、黙って見ているといい。──さて、私はそろそろ、暇をさせて頂きましょう。昼の内に起きているのは、眠たくていけません」

一歩前へと踏み出て、ネクロードの眼差しからセツナを庇うように立つことはしたカナタの漆黒の瞳を見返しながら、文字通り、吸血鬼は掻き消えた。