「御免ね…………って。…………何で? どうして?」

一言。

それだけを告げた義弟を、半ば呆然と見遣って、ナナミは。

又、声を絞り出した。

「どうして? どうしてセツナなの? もっと相応しい人が沢山いるじゃないっ! セツナよりもずっとずっと、盟主に相応しい人がいるじゃない。都市同盟が故郷の人が、盟主になればいいじゃないっ! このままじゃ、セツナとジョウイが戦わなきゃならなくなるのにっ。どうして、セツナじゃなきゃ駄目なのっ? どうして、セツナが何も彼も背負うの? 判らないよ、そんなことっ……」

「…………それはね、ナナミ。僕を必要としてくれる人がいるからだよ」

「……………………何で……? 何で? セツナだってジョウイだって、未だ子供なのに。私達三人共、子供なのに……。明日死んじゃうかも知れないなんて、心配しながら生きて、人を殺めて……っ。お姉ちゃんは、そんなの、もう嫌だよ……。セツナとジョウイが戦う必要なんて、何処にもないよ…………」

「……ナナミ。あのね──

──だから、ね……。…………何処でも、いいよ。何処でもいい。何処か、遠い、うんと遠い所まで逃げようよ……。もう、逃げちゃおうよ……。私達だけなら、どうやったって暮らせるよ。ほとぼりが冷めれば、ジョウイだってきっと呼び戻せるよ。絶対に、何とかなるよ。……ううん、何とかならなくったって、お姉ちゃんが何とかしてみせるよ。……だから、あの頃みたいに。未だじいちゃんが生きてた頃みたいに、三人で暮らそうよ…………」

悲し気な、声を絞って。

瞳に涙を溜めて。

セツナの言葉を遮ってまで、その時ナナミは訴えを続けた。

……けれど。

「…………あのね、ナナミ。僕には、僕を必要としてくれる沢山の人がいて。僕も皆のこと、必要だから。ナナミが、僕やジョウイを必要としてくれるみたいに、僕も皆のことが必要で、大切だから。…………御免ね、ナナミ。そんなこと、僕には出来ない」

ほわ…………っと。

盟主の顔で笑って、逃げるつもりなんてない、と。

セツナはナナミの訴えを、きっぱりと振り切った。

「………………っ……。へ……へへ……。──お、驚いたでしょ? セツナ。嘘だよ、嘘。全部、嘘。冗談なんだから。本気にした?」

すればナナミは、一瞬だけ唇を噛み締め、溢れそうになった涙を素早く拭って。

「……ナナミ?」

「一寸さ、ジェスさん見てて、ふって思い出したんだ。ほら、アレックスさん達に通行証借りて、ミューズに入ろうとしたことあったじゃない? あの時セツナに、私の演技はどうしようもないくらい下手って、そう言われたの、ホントに急に思い出して。それ思い出したら悔しくなっちゃって。セツナのこと驚かしてやろうって思ったの。……どう? お姉ちゃん、演技下手なんかじゃないでしょ? ……ああ、楽しかった、セツナが驚いた顔見られて。…………じゃあね、セツナ。今度こそ、お休み…………」

一転彼女は、それこそが偽り、である台詞を精一杯の演技と共に口にして、もう、セツナの方を見ることもなく、その客間を去った。

「………………あ……」

だが、セツナは。

先程の、ナナミ曰くの『演技』が、演技ではないと知りながらも、彼女を追い掛けることが出来ず。

「…………僕には、もう……っ………………」

彼はぽつり、それだけを呟き、抱え続けていた枕を打ち捨て、ベッドを降りた。

……もう、今だけは何も考えたくなくて。

唯、窓の外でも眺めていよう、そう思って。

セツナは床へと降り立ち、窓辺を振り返ったが、自身の意思に背くように、足はぴくりとも動いてはくれず、故に、そこから動くこと叶わなくなって、彼は部屋の直中で、ぼんやり天井を見上げながら、一人立ち尽くした。

……そうして、彼がその場に佇み続けて、暫し。

「セツナ」

何時の間にやって来たのか、カナタが、そうっとセツナの名を呼んで。

よしよし、と。

常の如く、慰めるように、甘やかすように、優しく彼を抱き締めたので。

セツナは、自分を抱き締めてくれたカナタに縋って。

その胸に、顔をうずめた。

──そんな、夜が明け。

何事もなかったように、ナナミがセツナを起こしに来た時。

もう起き出していたセツナとカナタは、やはり、何事もなかったように振る舞い。

後からやって来たビクトールも交えて、四名となった彼等は、一つとて決められなかった昨夜の話し合いの続きの前に、今日こそは、昨日一日食べ損ねた食事を摂ろう、と、食堂のある方へと、廊下を歩いていた。

だが、たまたまそこを通り掛ったマルロが。

「軍議をしながらでも構わないだろうって、グスタフ様が仰ってたので、執務室の方に、サンドイッチ、お持ちしますね」

……と、そんな風に告げたので。

朝食は、もう少しだけお預け、と彼等は、足先の向きを変え、グスタフの執務室に入った。

行儀は少し悪いけれど、グスタフの言う通り、食べながら軍議を進めよう、と。

…………でも、彼等が執務室に入るや否や、まるで、四人の後を追って来たかのように、市門周辺の警備が任務の、ティント市軍の兵士の一人が、息せき切って飛び込んで来て。

「大変です、グスタフ様っ! ジェス様と、ハウザー様がっ!」

慌てた声の報告を、声高に成したから。

「…………僕の朝御飯……」

「大丈夫、直ぐ食べられるから」

何の騒ぎ? と言いつつ市門目指してギルドホールを飛び出しながらセツナは、ぐずぐずと、恨みがまし気な顔をし。

ベソさえ掻き出しそうな風情のセツナをカナタは慰めたのだが、昨日に引き続きその日も、セツナも、カナタも、食物の神に見捨てられでもしたのか、彼等が向かった市門での騒ぎは、彼等に朝食を摂らせてくれるような、生半可な騒ぎではなかった。

何故ならば。

昨日丸一日掛け、セツナ達がしていた軍議のことも一切無視し、ジェスが独断で、集めて来た五千の兵を引き連れ、ネクロード討伐に出掛けようとしていたから。

故に、グスタフもビクトールも、クラウスもリドリーも、ジェスや、ジェスに従うのが、定められた法に倣う軍人の務めであり定め、と言ったハウザーを、何とか思い留まらせるべく、説得を続けたが。

その全てを振り切ってジェスは、出陣してしまい。

「……盟主殿。私とリドリー将軍が、ジェス殿の後を追います。放っておく訳には参りません。同盟軍がみすみす、ミューズとグリンヒルの兵士を見捨てることは出来ませんし、万が一ジェス殿が破れたら、ネクロード側は新たに、五千の死人を兵力として得ることになりますから」

「そうだな。ハウザー殿を見捨てることは出来ん」

クラウスとリドリーが、その後を追って、出陣することになった。

「……死ぬなよ、クラウス、リドリーのおっさん」

「当たり前です。──ビクトールさん。マクドール殿。盟主殿をお願い致しますね。それと、ティントの守備固めを頼みます」

「……おっさん、などと言うな。嘆かわしい言葉遣いだ。……では、後を頼んだぞ」

ジェス達が去って行ったその場所で、即座の出陣を決め。

ティントのことをセツナ達に任せると、兵を集める為慌ただしく、クラウスとリドリーは散る。

「なら僕達はホールに戻って、この街の警備を固める策を立ててしまおう」

そして。

クラウスとリドリーが行ってしまった為か。それともそうではないのか。

徐にカナタが、その場を取り仕切るように、ホールへ戻ろう、と、坂道の頂上を見上げた。