カナタが、セツナの荷物から取り出した紙は、地図職人の少年、テンプルトンが描いた、水滸図、と云う名の地図だった。

それを携えて、テーブルへと戻った彼は、目線を動かすことのみで、卓上を飾っていた花瓶や小さな置き物を、二人の傭兵に片付けさせ。

パラ……と、紙擦れの音を立てて、水滸図を広げた。

「具体的なことは、何も言わなくていい。これから僕がする話は、そう云う性質の物だし。何処までも、この軍にとっては『部外者』でしかない僕に、二人の口からは聞かせられないそれの筈だから。…………ビクトールもフリックも。僕が云うことの中で、間違っている部分があったら、違う……とだけ、云って欲しい」

彼等の方を、見遣ることなく。

唯、広げた地図のみを見下ろし、淡々と、カナタは告げる。

そして、彼は。

「……近場から行こうか。──グリンヒル市を奪還した後、同盟軍の、ミューズ市への進軍は失敗に終わっているから、未だに、コロネ、ミューズはハイランドの占領下にある。デュナン湖を挟んで、ハイランドと同盟軍が睨み合っている構図に変化はない」

傭兵達の、いらえも反論も待たず、話の先を続けた。

「但し、ラダトの北の傭兵砦は、同盟軍の支配下へと戻されているから、ルルノイエへ攻め入る為の行軍は、ラダト・傭兵砦を経由し、東から、ミューズとハイランドの関所を越えるのが、一番無難だろう。コロネの街に駐屯しているハイランド軍は、タイ・ホーの率いる水軍で牽制すれば、事足りる。あの街の駐屯部隊を牽制しておけば、船を出される恐れもない」

そこで一旦、カナタは話を切って。

軽く視線を流した瞳で、ビクトールとフリックの様子を確かめると、更に、語った。

「グリンヒルまで上がって来ているティント市の市軍、この一ヶ月の間に出兵の準備を整えられただろうマチルダ騎士団、その二部隊をそれぞれ、グリンヒルとミューズの関所、マチルダとミューズの関所、その双方より攻め上らせれば、ミューズとハイランドの関所付近で、同盟軍の総力を結集することが出来る。──今現在、ミューズに駐屯しているのはレオン・シルバーバーグだと聞いた。あの男が、どう云う策を打って来るのかが、若干未知数だが……まあ、それは後回しにするとして」

一息に、そこまでを語り。

カナタは再び、眼前の傭兵達へと、視線を移した。

己の云っていることが、間違っていないのを、確かめる為に。

「ミューズの関所と、ルルノイエとの距離は、直線にして、約四十里。どんなに行軍を急いでも、五日近くは掛かる。だとするならば、一度……そうだな……、奪還したミューズか、関所か……関所、だな……。──関所付近に、同盟軍は本陣を張る予定ではいるだろう。………………間違って、ないね?」

幾度か見遣っても、黙して語らぬ二人の態度に、カナタは納得を見せ。

それまでは厳しかった声のトーンを柔らかくして、最後に一言問い掛けた。

「…………お前の云ったことが間違っているのかいないのか、そんなことは、俺達の態度を見てりゃ判るだろ? だがな、カナタ。……それを知って、どうする?」

すれば漸く、ビクトールが口を開いた。

「決まってるだろう?」

「セツナの為……か?」

「それ以外、僕の頭にはないよ」

「なら………。『知って、どうする』んだ?」

「『トランの英雄』が、ルルノイエ攻めの為の行軍に、紛れる訳はいかない。それは、決して侵せない。だったら、同盟軍の動きを完全に把握して、僕が紛れても見咎められぬ場所で、セツナを捕まえるしか術はない。……だから」

「成程な…………」

この軍の『予定』を、そこまで推測してどうする? とビクトールが云えば。

カナタは肩を竦めて、何時も通りの答えを放った。

「徹底してるよ、お前は……」

「言えてる……」

「嬉しいよ、二人にそう云って貰えると。──多分…………シュウのことだから、グリンヒル方面から攻め上がるだろうティント市軍には……フリック達の騎兵部隊を。マチルダ方面から来る騎士団には、バレリアの義勇軍を、それぞれ付けるだろうから。それが一番、バランス取れるしね。となると……上手くすれば、そちらの二大隊は無傷のまま、関所を越えられる可能性が生まれて……ああ、ひょっとすると僕の計算よりも、ルルノイエを臨むのは、早くなるかも知れないな……。なら問題は、何処でレオンが仕掛けて来るか、だけど…………──

──呆れたように。

二人の傭兵が、カナタの、決して変わらぬ思考の方向性に、溜息を付けば、カナタは僅かにおどけてみせて。

又一人、ぶつぶつと呟き。

「考えられるのは二通り。関所を越える前に仕掛けて来るか、関所を越えた先、自分達のお膝元であるハイランド領内で仕掛けて来るか。………………僕がレオンだったら、己の領内に引き摺り込んでから、仕掛けるけれど……。後ろ取られて、関所を封鎖される恐れもないし……。けど……レオンだからな……。でも、レオンだからこそ。命を懸けるような真似は、しない、か……。なら、後者だな。────と云う訳で。ビクトール、フリック。僕は、同盟軍の本隊と、レオンの部隊がぶつかるだろう辺りに、先回りしてるから。二人だけはそのつもりでいてよ。それまで、セツナのこと、宜しく」

組み立てた『予定』に、頷きながら納得を見せると彼は、にっこりと、二人の男に微笑み掛けた。