投扇興、と云う物が、果たして何なのかを知らなかったセツナへ、カナタが語った処によれば。
投扇興とは、例えるならゲンシュウのような風体の人々が極一般的な、このデュナンの地より海を越えた遠い所にある異国の、遊びの一つなのだそうだ。
小さな台の上に、銀杏の葉に良く似た形の的を置いて、その的を、広げた扇を遠くから投げて落とすことを競う遊び。
「……色んな遊びがあるもんですねー」
「そう? 要は投壺と一緒だよ。投壷は、壷に矢を投げ入れて、その数や形を競う余興だけど、投扇興は矢の代わりに扇を投げるだけ。見た目優雅に、的落とした方が勝ちだけど。ね? 投壷と一緒だろう?」
「見た目優雅に……。……繊細そうですね……………」
「平気だってば。扇投げるだけなんだから。……と云う訳で。やってみようか、投扇興。……台は適当に見繕うとして……。えーと、的……は、割れ物はマズいから……──」
──聴き慣れない遊技の名前に、きょとん、とした表情を拵えながらも、セツナが尻込みをしなかったから、カナタはさっさと話を進める気になって、盟主の室内に視線を走らせ、投扇興遊びに使える道具を物色し始める。
「銀杏の葉っぱみたいな形してる的なんですよね」
「うん、そうだよ。葉に良く似た部分の両端に、鈴とか付いててね」
「あ、なら、どうせ暇なんですし、それ、作りましょうか、僕。布で作っていいんだったら」
投扇興の勝敗判定の基準の一つ、『優雅な形で的を落とした方が勝ち』と云うそれの、優雅、と云う単語に、セツナはほんの少し、眉間に皺を寄せたけれど、示した興味は削がれなかったのか、やるならいっそ本格的に、簡単な的を拵える、と言い出した。
「作る……? 単なる暇潰しなんだから、そこまで凝らずとも……」
やる、と決めた途端、いきなり本腰を入れ出したセツナに、逆にカナタが戸惑いを見せたが。
「え? 簡単ですよ。一寸お裁縫するだけじゃないですか」
ほわほわと笑って、セツナは。
「前、兵舎でヨシノさんとタキおばあちゃんが、繕い物してるの見たこと有りますから。お裁縫箱借り行きましょー」
「…………僕とは又違う意味で、何でも出来るね、セツナって」
「そですか? そんなことないですよ。普通のことです、僕が出来ることって」
「女の子だったら、良いお嫁さんになったろうに…………。勿体無い」
「……何か云いました?」
やり取りの最後、ボソっと呟きを洩らしたカナタを睨みつつ急かし、彼は部屋を横切りながら、兵舎へと向かい始めた。
それを云ってしまえば、料理人のハイ・ヨー自身の弁を借りるなら『不本意ながら』もこの城のレストランで時々行われる料理勝負の助手をセツナが務めている事実はどうなるのだ、と相成るが。
一軍を率いる盟主が、兵舎の片隅にちょこんと座り込んで、チクチクと、何やら手際よく縫い上げて行く姿など、大抵の国でも軍でも、先ず滅多にお目に掛れぬそれだから。
幾ら、親しみ易い『庶民派』なセツナの様と云えども、通り過ぎる戦士達の目に、それは物珍しい光景と映ったのだろう。
そこを通りすがったツァイが、不思議そうな顔をして、
「…………セツナさん? 何をやってるんですか?」
……と声を掛けたり。
入り浸っている図書館に飽きて、自室へ帰ろうとしたのだろうメイザースが、
「何をせせこましいことを」
……と、セツナを横目で眺めたりする一時が、兵舎の一階に生まれたのは、致し方ないことと言える。
が、注目の的と化しているセツナ自身は、衆人の視線を物ともせずに。
「んー? 暇潰しにマクドールさんと、投扇興って云うのをしようと思って。その的作ってるのー」
していることは何だ、と人々に尋ねられる度、手許から目も離さずに答えていた。
「投扇興…………?」
「それは又、随分と懐かしい」
大体、こんな形をしているから、と傍らのカナタに教えられるまま、的を作り上げる手を休めず、彼が裁縫に挑むこと約三十分。
出来上がった、銀杏の葉に良く似た的と、投扇興、と云う耳慣れぬ言葉に、行きずりの足を止め、セツナのすることを見学していたツァイが首を捻れば。
やはり偶然やって来た、ゲンシュウが懐かしそうに目を細めたりなどして。
何時しか、セツナとカナタを取り巻く『見物客』は、片手では足りぬ程に増えていた。
「マクドールさーん。出来ましたよー。…………で? これをどうするんです?」
裁縫箱の中にあった、綺麗な端切れを貰って、綿を詰めて縫い上げ、何処かで見付けて来たのかそれとも、ヨシノ辺りにねだったのか、カナタが云っていた通り、チリチリと涼やかになる鈴までも下げた出来立ての的を、一階兵舎の大テーブルの、何時もはリッチモンドが陣取っている近辺に、ちまっとセツナは乗せる。
「器用だなー…………」
完成したそれを見遣って、しみじみと、カナタが呟いた。
「単に、必要に迫られた結果ですよ? じーちゃん年でしたから、細かいことやるの辛そうでしたし、ナナミにこーゆーこと期待するのは、はっきり云って無駄ですから」
「……セツナってさ。結構辛辣だよね」
「そですか? ──あ、でも……的作ったのはいいですけど。扇……って、ないんじゃ? あったかなあ、そんなの」
懐いて止まない人の感嘆に、ケロっと言葉を返して、的は出来たから、今度は扇、と再度の思案をセツナは始める。
「あ、持ってるから」
が、今度はカナタが、ケロリと言い出して。
「………………持ってる……?」
「あれ? 云ったことなかったっけ? ──ほら」
訝し気な視線を送って寄越したセツナの眼前で彼は、上着の懐に手を突っ込み、一本の扇を取り出してみせた。
セツナと、野次馬達の見詰める中、広げられたそれは、やけにしっかりした骨に、赤一色の、厚めの紙が張られた、大振りの扇で。
「……マクドールさん………………。これ、武術扇って云いませんか…………」
するり、カナタの手の中からそれを取り上げて、重みを確かめたセツナは、嫌そー……な目付きで、カナタを見上げた。
「うん。鉄扇だけど?」
「いえ、だけど? じゃなくって。何でこんな物持ってるんです」
「『一寸したイザコザ』の席で、使う為。やっぱり、棍振り回すには適さない場所ってあるじゃない。あ、でも僕だって、こんな物、年中持ち歩いている訳じゃないよ」
「そりゃまあ、云いたいことは、よーーーーく判りますけど。……でもこれ、唯の鉄扇じゃないじゃないですか。扇の骨の先に、刃、付いてますよ……。最上級者仕様の鉄扇って云いません? 立派な、暗器ですよ、暗器」
「まあね。そんな噂も」
「……物騒ですねえ……。こんなんで、『一寸したイザコザ』、解決ですか?」
「………………便利だから」
一瞬、物の怪か何かを見詰める目をしたセツナに、あれこれと突っ込まれた最後、しらー……とカナタは、視線を泳がせた。
「ま、いいんですけど。……こんなんで、あの的狙ったら、二つに切れちゃうんじゃないかなー……」
薄く笑いながら、目線を逸らしたカナタへ、この人は……と言いたげな目付きを、もう一度だけ送った後。
手の中の扇と、テーブルの上に置いた的とを、セツナは見比べる。
「そんなことないってば。扱い方次第」
でも、カナタは。
彼の持っていた扇の正体を知って、セツナ同様、嫌っそー……な眼差しを注いで来た野次馬達を気にも留めず、『ふわり』とセツナの手の中から鉄扇を取り上げ。
テーブルの片隅に置かれていた裁縫箱の上に的を乗せると、十数歩程下がって、ひょいっと手首を返した。
……………どうやったら、そんな動きを鉄扇にさせることが出来るのか、全く以て謎だが。
カナタの手を離れた、『人間を、昏倒する程殴ることも出来れば、斬り殺すことも出来る、重たい筈の扇』は、綺麗な線を描いて宙を舞い。
チリ……と、下げられた鈴を鳴らしながら的を弾き、最後には、羽のような動きすら見せて、トン……とテーブルの上に降りた。