──勘違い。
その一言をカナタが告げた途端、酒場は、水を打ったように静まり返った。
「シュウは、立て替えた、と言った筈だよ。……そう。文字通り、僕達がしたのは、立て替えだ。当然、きっちり支払って貰う。赤月帝国時代のバナー鉱山ばりのタコ部屋に放り込んで、重労働させるのが手っ取り早いかとも思ったけど、それだと、皆懲りないだろうから? 富に富んだ恩情発揮して、立て替えてあげたんだよ。有り難いだろう?」
その静寂の中、穏やか『には』聞こえるカナタの声は、響き続ける。
「いや、有り難いって言うかな……。てか、自分で言うな。…………只酒って意味じゃないのか……?」
「ビクトール。甘い。僕にもシュウにも、勿論セツナにも、付けを溜めに溜めまくる馬鹿共に、只酒を飲ませてやる義理はない。かと言って、放っておく訳にはいかなかったし、酒場に直接、月賦で支払えと言ってみた処で、支払いが滞るのは目に見えてるし、レオナに迷惑が掛かるだけだから、僕とシュウで立て替えることにしたんだ」
「だから。ここからは、新しい規則の話にもなるが、今までの付けの分は、お前達の給金から天引きさせて貰う。今後の酒場の飲み代も、軍所属者に限り、各人が現金で支払うのではなく、給金よりの天引きにする。飲み代が、給金と同額に達した時点で、その者の注文は受け付けない。……以上だ」
真相は、こういうことだよ、とカナタが言い終えるや否や、再びシュウが口を開いて、新規則を告げれば。
「は?」
「え、一寸待て……?」
「ってことは、飲み過ぎたら一文無しってことか!?」
先程までの歓喜の代わりに、悲鳴が酒場を満たした。
「間違っても、踏み倒そうなんて思わないように。踏み倒せるかも、なんて淡過ぎる希望も持たないように。皆の借金先は、シュウと僕だ。判ってるよね? その意味。鉄拳制裁だけじゃ済まさない、南大陸までも名を馳せた、元・腕利き交易商のシュウのコネ、マクドール家の名、トランの英雄って肩書き、全て使ってでも取り立てに勤しまさせて貰うから、そのつもりで」
けれども、カナタは心底楽しそうに、ふふ、と小さな笑い声を洩らして、一同を、更なる嘆きの底に突き落とし、
「あ、でも! 一応、お助け方法、考えたから!」
待って! 大丈夫! とセツナが声を張り上げた。
「お助け方法……? あ、救済処置か?」
「うん! シュウさんとね、マクドールさんのお家のお金でね、皆の借金立て替えて貰うのは申し訳ないなー、って思ったんだけど、二人が協力してくれるって言うから、今回だけは甘えるけど、でも、二人に損させる訳にはいかないから、僕は、何が何でも! どんな手使っても! 皆が血反吐吐いても! 最後の一ポッチまで取り立てるつもりでいるんだけど!」
「……お、おう…………。……で?」
「マクドールさん、勝負に勝ったら、借金踏み倒してもいいって言ってくれたの! 模擬戦で自分から一本取れれば、チャラでいいよー、って」
「…………出来る訳ねえだろ……。お前さんに言うだけ野暮だが、勝てるかどうかは兎も角、カナタといい勝負が出来るなんざ、ゲオルグの旦那ぐらいだ」
ああ、天の助け! と期待の眼差しを注いだセツナ曰くの『お助け方法』を知り、これっぽっちも助けになってない、と、水軍頭領で、二人組漁師の兄貴分なタイ・ホーは、天を仰ぐ。
「う。それは、まあ……。言ってる僕も、マクドールさん、それはキツいです、虐めです、って思うけどー……。あ、でもでも! シュウさんも、お助け方法出してくれたよ?」
「……どんな?」
「飲み比べして、勝ったらチャラでもいい、って。マクドールさんも、それでもいいって言ってたけど、マクドールさん、お酒の強さも化けも──じゃなかった、えーっと、すんごいから、相手は、シュウさんと、マクドールさんの代わりにルカさん。試してみる? あ、お助け勝負の酒代は、皆が勝てたら僕が払うね。その代わり、負けたら借金上乗せね」
「……シュウの旦那、と──」
「あの、食客さんですかい……」
漁師な彼の言う通り、確かにそれは、お助け方法には成り得ない、とセツナにも判っていたから、彼は、じゃあ、こっち! と、もう一つのお助け方法を提案し、シュウと同じくラダト出身のアマダ、任侠道に生きるリキマルの二人は唸った。
「…………セツナ? 今、僕は、お酒の強さも化け物、って言おうとしなかった?」
「……気の所為です、マクドールさん」
新規則を受け入れたら最後、酒代で首が締まりそうな己の今後を鑑み、勝負に走るかどうか悩み始めた彼等を他所に、カナタは、うっかり口を滑らせたセツナの頬をムギュっと摘まもうとし、セツナは、痛いのは嫌です、とカナタの腕より逃げて、
「でも……、カナタから一本取るより、遥かに分のいい勝負じゃないか? ビクトールさん」
「確かに。シュウだってルカの奴だって、人類だからな……」
シーナとビクトールは、こんなに苦悩してる俺達の前で、気軽にふざけ合いやがって……、と少年達を睨め付けつつ、賭けてみる価値はあるかも? とボソボソ小声で言い合い始めた。
「…………野郎共! 挑んでみるか!」
「オオーーーー!!!」
────その果て。
漢には、戦いに挑まなくてはならぬ時とてあるのだ! と、酒に関しては馬鹿共の筆頭であるビクトールの号令の下、一同は、一縷の望みに全てを賭けるべく、雄叫びを放った。
「ええと……。カナタ、シュウ。俺の付け、幾らだ?」
「七五〇ポッチ。……フリックにしては、溜め過ぎだね」
「半分は、あの熊に拝み倒された分だ。その時、たまたま持ち合わせが足りなかったから、俺に付けて貰ったんだ」
「あ、成程ね。納得」
要は勝てばいいのだ、勝てば、借金もチャラ、飲み比べ勝負の酒代も只! と盛り上がり始めた彼等を尻目に、唯一人、フリックだけが、さっさと『馬鹿共』の括りから脱却すべく、シュウが広げた勘定書きを覗き込みながら、カナタ相手に支払を済ませたのも気付かず。
「シュウ! ルカの奴にも言っとけ、勝負は三日後だ!」
決戦は三日後! 完璧に調子を整えて挑むぜ! ……と、馬鹿共は、声高らかに宣言した。
漢たる者、挑まなくてはならぬ戦いとてある! ……が信条らしい馬鹿共と、シュウと、カナタの代理として選ばれた同盟軍の食客の一人、ルカとの飲み比べ勝負は、男達の宣言通り、それより三日後に行われた。
その正体を知る者は同盟軍内でもほんの一握りで、大抵の者は、カナタが同盟軍本拠地へやって来る途中で偶然拾った、今は亡きルカ・ブライトと、顔もそっくりなら名前も同じ遊歴の剣士、と信じているルカは、「何で、俺がそんな勝負に駆り出されなくてはならんのだ!」と、散々っぱらごねたが、彼がカナタやセツナに勝てる筈はなく、且つ、現在の彼の弱点の一つはシュウなので、勝負は、事前告知通りに進んだ。
勝敗の決し方は、至極単純な脱落方式。
最短で決着を付ける為、レオナの酒場で最も度が高い酒を、参加者全員で同時に飲み始め、最後まで潰れなかった者が勝利者となる。
────と、いう訳で。
主催兼審判なセツナとカナタ、勝負参加者達、話を聞き付けやって来た野次馬達、といった面々で溢れ返ったレオナの酒場で、馬鹿騒ぎは始まったのだが。
セツナ曰くの『お助け方法』ではあるが、馬鹿騒ぎでもあることを、何故、黙ってシュウが許したのかの理由を、勝負が始まっても、馬鹿共は想像しなかった。
尤も、既に勝負の幕は切って落とされていたのだから、縦しんば、そこにビクトール達が疑いを持ったとしても、遅過ぎたのだけれど。