誰の目にも、セツナよりも『恐ろしそう』だと映ったシュウに再び語られ始めた一同は、居住まいを正した。
幾人かは、長机の上に、紙と、携帯用の羽根ペンだったり木炭だったり筆だったりを並べて、覚え書きを取り始める様子さえ見せた。
「では、この軍に於ける規律のことより説明する。──クラウス」
かさかさと、例えるなら、グリンヒル市にあるニューリーフ学園で行われる学生への授業で良く聞かれるような、そんな雑音があちこちで上がる中、シュウは、部屋の壁際に立っていた、副軍師の一人であるクラウス・ウィンダミアを呼ぶ。
「はい、シュウ殿。──ああ、皆さん、私は副軍師のクラウス・ウィンダミアと申します。今後、宜しくお願い致します」
シュウに名を呼ばれた彼は、新顔達へ至極簡単な挨拶を済ませると、脇に控えさせておいた複数名の文官と共に、小さな小冊子を配り始めた。
「今、クラウス達に配って貰っているのは、所謂軍規を纏めた物だ」
「はいはい! 僕が、マクドールさんやマルロ達と一緒に作ったんだよー」
「………………盟主殿、お黙り下さい」
「……えーー……」
小冊子が人々の手に渡りつつあるのを確かめ、それの正体をシュウが教えれば、突然セツナが挙手をして、少しばかり自慢げに言い始め、そしてそれは速攻、シュウに遮られる。
「シュウさんのケチ」
「ケチとか、そういう問題ではありませんっ。ちゃんと、軍規の最終頁に、監修兼編集人の一人として、盟主殿のお名前を載せるようにマルロには言い付けてあるのですから、余計なことは申されませんように。話が進みません。──何をしたら違反になるのか、違反した結果どうなるのか、といった、規律及び罰則の詳細は、その冊子に目を通せば判るようになっている。各々、後程必ず読むように。……そういう訳なので、私の口からは、その中にも書いてあることではあるが、これだけは今日にも覚えて欲しいことを皆に伝える」
どうやら、セツナにとっては一寸した自慢の一つであるらしい小冊子の話を邪魔されて、ケチ! と彼は声高に言ったが、正軍師はもう、それに取り合わなかった。
…………セツナの弁には取り合わなかった代わりに。
「一つ目。そこの、『親しみの溢れ過ぎる』盟主殿と、後程ここにやって来る、トラン共和国建国の英雄と市井では名高いカナタ・マクドール殿が率先して引き起こす馬鹿騒ぎに、極力巻き込まれぬように努力すること。二つ目。従軍者の三度の食事は、家族も含め、月始めに、一月分を纏めて、食券という形で配給するので、その範囲で必ず賄うようにすること。賄えぬ場合は、給金からの自腹だ。本棟一階にある、レオナの酒場等や、商店街で求められる酒等の嗜好品も自腹だ。間違っても、食券その他を、賭博場での賭けの対象とせぬように。……ビクトール。私は、新兵達だけではなく、お前にも言っている。もう一度、良く肝に命じろ。──三つ目。武器や防具、その他、戦闘に必要な備品は、十日後までには各人に辞令にて所属部隊を通達するので、己が属する部隊長に、備品請求書という書類にて、必要な品を請求すること。これらは軍よりの支給品なので、支度金は必要ない。四つ目。給金は、月終わりに、クラウスと、一階倉庫番のバーバラより払い渡されるので、受け取る際には、必ず名簿に署名をすること。五つ目。クスクス等の、近在の歓楽街へ赴く際には、必ず、各々の部隊長へ、外出届けを提出すること。……これを守らなかった場合は、良くて営倉入り、最悪は脱走兵扱いだ。又、歓楽街等へ赴く際には、決して、未成年を伴わぬこと。例え、盟主殿に捕まり、一緒に連れてって、などと乞われたとしても、絶対に拒否すること。何処へ行くのかも口を割るな」
──シュウは、無表情無感情な鉄面皮軍師、の影口に相応しい鉄壁の表情を浮かべて、それはそれは淡々と、しかし怒濤のように、何が遭っても新顔達に守らせたいことを早口で捲し立て始めた。
「…………え、ええと……? 食券や、給金の話なんかは判りますが……、盟主様の馬鹿騒ぎ、とか、歓楽街がどうのって言うのは………………?」
故に、シュウが一息を入れた途端、周囲からはザワザワと、疑問に満ちた声が上がった。
「シュウさーーん! 質問ーーー!」
……と、そんな騒ぎを尻目に、相変らず目をキラキラさせたセツナが、ビシィ! と挙手をする。
「…………………………何ですか、盟主殿」
「あのね、シュウさん。僕、必ずこの研修に参加して、今もあった、シュウさんの何時ものお話も、ちゃんと聞いてるんだけど。何度聞いても、判らないんだよね」
「……何がですか」
「カンラクガイ、って。……何?」
「盟主殿は、そのようなことをお気に為さりませんように」
「むう……。何で、僕には何時も教えてくれないの? シュウさん」
「どうしても、です。……それよりも盟主殿。貴方が、皆に混ざって研修を受ける必要など、何処にもありませんでしょうに。なのにどうして、毎回毎回、ご参加為されるのですか」
「そんなの、決まってるじゃない。楽しいから! ……で、シュウさん。カンラクガイって?」
「…………そのご質問への回答は、拒否させて頂きます」
「…………………………ドケチ」
「お黙り下さい」
それまで湛えていた鉄壁の面を崩して、挙手してきた盟主を嫌っそーー……にシュウが見遣れば、歓楽街とは? との質問が、『小さな』彼より繰り出され、それより暫し、盟主と正軍師の『戦い』は続き。
議場には、大変微妙、な空気が流れた。
「……いいもん。何時か絶対、誰かに教えて貰うもん。マクドールさんも教えてくれないけど、誰かは教えてくれるもん……」
しかしセツナは、辺りに漂う、如何とも例え難い空気を無視し、いじけながらブチブチと零し、席に座り直し。
「ですから、お静かに、盟主殿。──次に、城内の各施設に関してだが、西棟の兵舎脇にある訓練所及び、東棟一階の公衆浴場を使用する際には、『盟主殿制作』の小冊子の中にもあるように、特に注意すること」
シュウは、再びの鉄面皮に戻って、それでも一応、セツナの機嫌を取るようなことを口にしつつ、又、怒濤のような説明を始めた。
「訓練所……と、公衆浴場、ですか……?」
すれば途端、一同よりは疑問の声が上がる。
何故だ、と。
「訓練所には、訓練所は己が開いた道場だと、少々理解不能な思い込みをしている武道家が一人、半ば住み着いている。勿論、我が軍の一員であり、腕の立つ武道家ではあるから、彼に稽古を付けて貰うのは吝かでないだろうと私も思うけれども、言葉は悪いが、如何せん、彼は格闘馬鹿なので、不必要な修行の誘いに引き摺り込まれないとも限らない。又、訓練所前庭付近には、大変気難しいユニコーンがいるので、万一機嫌を損ねた日には、問答無用で蹴られる。そういう意味で、訓練所では注意すること。又、公衆浴場での注意点だが、浴場の管理担当者は、風呂というものに、並々ならぬ情熱を注いでいる人物なので、彼が『良し』と思うまで、風呂に浸かることを強要された者が、逆上せを起こし、時折医務室に担ぎ込まれることがあるし、例の武道家とその弟子が、謎な修行を勝手に繰り広げることもあるし、露天風呂で不埒な行為に及ぼうとする愚か者も時には出るし、脱衣所にて窃盗行為を働こうとする不届き者もいるので、公衆浴場では、節度を持った、万全の体調での入浴を心掛け、身の安全を守り、貴重品の類いは自身で責任を持つようにすること」
しかし、疑問の声を無視し、シュウの怒濤の説明は続く。
「………………風呂に入るのに、万全の体調で、身の安全を守って入る、なんて話、聞いたことありませんよ…………」
ヒソヒソボソボソ湧き上がる、新顔達の、溜息に似た呻きも無視して。