それより、約半刻に亘って、シュウの説明は続いた。
「城内の雑務を担当してくれている女性達に、『都合の悪い物』を見られたくなければ、衣類の汚れ物は、朝食前に、洗濯場の汚れ物置き場に出すこと」
……とか。
「戦闘時以外の主だった職務は、訓練その他になるのは言わずもがなだが、農園の収穫、雪掻き、薪割り、雑草等の駆除、治水工事等の土木作業、ドブ浚い、湖の藻浚い、犬の散歩や猫の世話、と言ったことに代表されるその他雑事も、訓練の一環と考え、サボらずに従事すること」
……とか。
そんな説明ばかりが、延々、延々、と。
その為、壇上中央にて、姿勢正しく立ち続けたまま、セツナに茶々を入れられた時以外は微動だにせず半刻喋り続けたシュウの口が、本当の意味で閉じられ、数分間の休憩、の声が掛かった時には、一日掛かりの研修は未だ始まったばかりだと言うのに、長机に座っていた者達は、セツナを除き、皆ぐったりとしていた。
「……なあ。俺達って、この城に何しに来たんだっけ……?」
「…………ハイランドと戦う為。戦争を終わらせる為。俺達の町や村を守る為。……だったと思った」
「だよなあ…………」
「そうは思えなくなって来たけどな……」
だらしなく机に上半身を張り付かせ、皆は口々に、そんなことを言う。
最初の内は熱心に覚え書きを取っていた一部の者達も、手を動かすことを疾っくに止めていて、中には、虚ろな目をして、書き殴り途中の紙を丸めて捨てる者さえいた。
「皆、大丈夫だよ」
しかし。ぬるま湯をぶち掛けられてグズグズに溶けて行く砂糖の塊のような、どうしようもなくグダグダな雰囲気を打ち払う風に、突然、セツナの声が上がった。
「盟主様……?」
「難しいことなんか、考えなくても平気。シュウさんってああだし、このお城に来てそんなに経ってないのに、いきなりこんなことさせられて、疲れちゃってるんだとは思うけど。この後は、もっと楽しいから!」
突然ガタリと立ち上がり、声高に言い出した彼を、何事、と一同が見上げれば、セツナはほんわりと笑いながら、けれど何処か興奮しているように言い出して。
……ああ、盟主様は、俺達のことを気遣ってくれてるのかな、と、新顔達は、ちょっぴり胸を熱くした。
「あ、それはそうと」
「はい、何です?」
「疲れちゃったのは判るけど、勿体ないから、その、覚え書き取り掛けの紙、勢いに任せて捨てるのは駄目。切って裏返して綴じとけば、大福帳の代わりくらいにはなるでしょ?」
「大福……帳、です、か……?」
「盟主殿は、『勿体ないお化け』を信じておられるんです」
なのに、胸を熱くしたのも束の間、無駄など以ての他! との熱い迸りが握り拳を固めたセツナより飛んで、目を丸くした一同に、クラウスがそっと、セツナの本性の一部を告げた。
「はあ……」
「って、そうだ! さっき、シュウさん言い忘れてたみたいだから、今言うね。この棟の一階にあるお墓なんだけど。お墓にお供え物した時は、その場で食べちゃってね? 蟻が集るから。蟻集ったら、お掃除大変でしょ?」
何処となく女性的な面立ちの副軍師が囁くように言った、『勿体ないお化け』の単語に、気遣いじゃないのか? と、人々は肩を落としたけれど、お構いなしの調子でセツナは、「さっきは、この説明がなかった!」……と。
益々の握り拳を固めつつ、声だけは静かに、眼差しだけは異様に燃やした。
「えーーー…………と……」
「…………さ、休憩は終わりです。皆さん、席へ戻って下さい。盟主殿も」
故に、仕方なしにクラウスは、この城のノリにも、セツナのノリにも未だ未だ付いて行けない新顔達の為に救いの手を差し伸べ、予定よりも少しばかり早い、休憩時間の終わりを告げた。
ぐったりとする疲れを引き摺った一同が、席に着き直した頃。
再び扉が開いて、今度は、三名の者達が入室して来た。
「同盟軍大将軍の一人、ハウザーだ」
「同じく、同盟軍大将軍の一人、キバ・ウィンダミアと申す。以後、宜しく頼む」
「バレリアだ。トラン共和国より、義勇軍大将として派遣されている」
入室するや否や壇上に昇った三名──日に焼けた、褐色の肌の大柄の男、年配の、がっしりした体躯の男、すらりとした、鋭い美貌の女性は、それぞれ、一同を見下ろしながら自己紹介をする。
「わーーーいっ! ハウザーさん、キバさん、バレリアさん、今日も宜しくお願いしまーすっ」
居並んだ者達を前に、「ああ、やっと、軍隊らしい『研修』が始まるのか」と、人々が何処か、ほっとした息を零せば、それを呆気なくぶち破る、セツナの嬉しそうな声が飛び。
「…………盟主殿、お静かに」
続けざま、若干の怒気を孕んだシュウの声が飛んだ。
「これよりは暫く、彼等に『講師』を務めて貰い、軍の統率のされ方や軍隊形式、命令系統の在り方、戦場に於ける布陣の特徴その他を、各々より簡単に説明して貰うから、そのつもりで聞いて欲しい。又、彼等の説明は、ジョウストン都市同盟式、ハイランド式、トラン式、それぞれに則って行われるので、混同しないように」
「……軍師殿。質問しても宜しいですか?」
「何だ」
「…………あの、どうして、そんなことを? 同盟軍には、同盟軍のやり方があるのでは?」
きっちりセツナを嗜めてから、壇上脇で語り始めたシュウに、一同の中から、そんな質問がされる。
「勿論、我々には我々のやり方がある。──綺麗な言い方ではないが、未だにこの軍は、『雑多』だ。かつてのジョウストン都市同盟の各市軍にて従軍した者、ハイランド軍出身者、トラン共和国義勇軍、それに傭兵。……大まかに分けても四つ、各人が培って来た、軍隊での『経験』が違う。軍が違えばやり方も自ずと違って来るから、生き死にの懸かる戦場では、咄嗟の内に、慣れ親しんだやり方が顔を覗かせることもあるだろう。その咄嗟の際に、戸惑わぬようにする為だ。具体的に言うなら、傭兵部隊に、マチルダ騎士団方式は今一つ理解出来ぬだろうし、マチルダ騎士団出身者に、傭兵部隊のやり方は今一つ理解出来ぬだろう。だが、他所のやり方を知らなかったので、有事の際の行動が遅れました、では、命取りになる。そういう、万が一の為の予備知識、と思って貰えれば問題ない」
その質問へ返された滔々としたシュウの答えは、新顔達にも充分納得のいくもので、盟主殿とやり取りしている時だけは威厳も崩れがちだけど、この人はやっぱり、とても優秀な軍師なんだろうな、と。
一同は、改めてシュウへと畏怖の眼差しを送って、或る者は膝上に揃えた両の拳を固く握り直し、或る者は挫折し掛けた覚え書きへと向き直り、又或る者は、じっと耳を峙てた。
「では……──」
「──やあ、遅れてすまなかったね」
だが、本日幾度目かの緊張が新顔達の間で高まり、ピン、と張り詰めたような空気が議場を覆ったが為、このまま、盟主殿が大人しい内に、と。
シュウが、壇上の三人へと視線と言葉を投げ掛けようとした直後、全てを断ち切る風に、かたりと軽く、議場の扉が開き。
一人の『少年』が姿を見せた。