「……マクドール殿」

軽い身のこなしで入室して来た彼を、シュウ少々、憤慨しつつ呼んだ。

「あっ、マクドールさーん、こっちです、こっちーー!」

彼の姿を見るや否や、セツナは席より立ち上がって、ぶんぶんと、それはそれは嬉しそうに手を振った。

「遅くなって御免ね、セツナ。外せない用事があって」

…………シュウもセツナも、マクドール、と呼んだ『少年』。

すらりとした体躯で、若草色のバンダナで髪を覆い、赤を基調とした衣装を纏っている、恐らくは、涼やかな『美少年』との表現が相応しいだろう彼は、満場の視線も、何処となく不機嫌そうにその名を呼んだシュウのトーンも、何も彼も物ともせず、真っ直ぐ壇上前を通り過ぎて、セツナの隣に腰掛けた。

「大丈夫です。今日の研修も、とっても楽しいです! ……マクドールさんこそ、用事の方は?」

「うん、もう平気。何事もなく終わったし」

「何事もなく……? 何事かがあったら、何事かになっちゃう用事だったんですか?」

「…………セツナ、言ってること、一寸滅茶苦茶だよ。言わんとしてることは判るけど。──言った通り。何事もなく、だよ」

「そうなんですか? なら良かったですけど……」

「本当に、大したことじゃないって。何度注意しても、性懲りもなくセツナに碌でもないことを吹き込もうとするシーナと、じっくり、膝と拳を交えた話し合いをして来ただけだから」

「あ、何だ、そんなことですか」

「そう、そんなこと。…………ああ、話の腰を折って悪かったね、皆。──研修の方、続けて」

悪鬼でも滅殺出来そうなくらい、それはそれは恐ろしいとしか言い様のない眼光を、ギィィィィィ……! とシュウが向けているのを、綺麗さっぱり無視し。

唯でさえキラキラとしていた瞳を、傍らの彼がやって来た時より、一層キラキラと輝かせ始めたセツナと、言葉の端々に、少々首を傾げたくなるような単語を織り交ぜつつ会話していた、マクドールと呼ばれる少年は、セツナが納得の表情を見せると同時に、漸く、同盟軍上層部の面々へと向き直った。

「…………………………このようなことを、申し上げたくはありませんが。盟主殿。マクドール殿も。少し、口を噤んで下さい。……放り出しますよ」

「はーーーい。大丈夫、ちゃんと、大人しく皆のお話聞くから!」

「……はいはい。仰せの通りにするよ」

その、余りにしれっとした態度に、新顔達ですら既に、鉄面皮、との噂を耳にしている程、表情が変わらぬと有名な正軍師殿は、切れ長の瞳を、これでもか! と吊り上げつつ二人を嗜めたが、叱られた二人は何処までも、何処吹く風で。

「……………………で、では、改めて。ハウザー殿、キバ殿、バレリア殿より、講義を頂く」

この程度のことでめげていては、到底、この軍の正軍師など務まらぬのか、無意識だろう仕草で胃の腑辺りを摩りつつ、強引に、シュウは話を戻した。

「…………これより、かつてのジョウストン都市同盟の、ミューズ市軍方式則って、講義を始める」

そんな彼へ、ちらり、僅かに同情が滲んだ眼差しを送って、ゴホン、とわざとらしい咳払いをハウザーがしたのを切っ掛けに、以降、滔々と、三名の将軍による講義は続いた。

各々が良く知る、同盟軍以外の軍隊の、所謂やり方や、簡単な構成その他に関する講義は、新顔達が想像していたよりも長時間に亘り、が、或る意味では意外に、とでも言おうか、その『長時間』、セツナもカナタも、誠に行儀良く大人しく、茶々も挟まず、三名の話に聞き入っている風だったのだが。

──……マクドールさん」

「何? セツナ」

────長くてお堅い講義も、そろそろ終わりを見る、という頃合い、とうとう我慢が出来なくなったのか、ぼしょぼしょっと、セツナは小声でカナタを呼び、カナタも又、小声で応えた。

「ハウザーさんのお話も、キバさんのお話も、バレリアさんのお話も、何度聞いても面白いですよねー」

「……そう?」

「…………マクドールさんは、面白くないんですか? あ、そか、マクドールさんにしてみれば、今更ー、なお話ですもんね」

「まあね。正直、そんな処かな。確かに、新兵達に聞かせるには必要な事柄だろうとは思うけれど。僕にはね」

「そですよねー。僕は、皆のお話を聞いてると、何時でも、軍隊って良く出来てるんだな、って思えるんで、そーゆー意味で、面白くって楽しくって、何時もこれ、参加するんですけど。…………ん? あれ? じゃあ、マクドールさんは何で、マクドールさんにとっては今更なお話ばかりなこれに、付き合ってくれるんですか?」

「え? 僕が君に付き合う理由?」

「はい」

「それは、君が付き合って欲しいと言うから、が理由の一つで。もう一つは、『確認の為』、かな」

………………故に。

始まってしまった二人の『小声の会話』は、当たり前のように止まらなくなり。

「確認、ですか? 何の確認です?」

「絶妙とも言える均衡が取れていないと、戦には勝てないよね、ということに、改めて感じ入る為の『確認』」

「………………? えーと…………」

「言ってる意味、解らない? ……じゃあ、セツナに質問。──何で、ジョウストン都市同盟は、ハイランドに負けたのでしょうか。何で、ハイランドは、今、あんなことになっているのでしょうか。何で、赤月帝国は、解放軍に負けたのでしょうか」

「んっと……えっと………………。……結局は、実力の差と、一寸した運、という奴なんじゃ……?」

「まあ、それもあるけどね。──ジョウストン都市同盟がハイランドに勝てなかった理由は、大声で駄目出しをしたくなるくらい、組織の統率が全くと言って良い程取れていなかったから。ハイランドが、今あんなことになっている理由は、上の人間に、優秀な部下や軍師達の進言を聞く耳がなかったから。赤月帝国が解放軍に負けた理由は、民衆を舐めて掛かったから。──要するに、そういう手合いのことをね、各々の軍のやり方だったり組織系統だったりの話を聞く度、改めて、しみじみー……と噛み締められるから、僕は毎回、『今更な話』に付き合っているんだよ、セツナ。人間、本当の意味の馬鹿になっちゃいけないな、とね」

「………………あああ、成程! あれですね、『ハンメンキョーシ』って奴ですね!」

「ハンメ……? ……あ、反面教師、か。……うん、そうだね、そんな感じ」

そして、止まらなくなった二人の話は、段々と、辺りも状況も憚らぬ声のトーンとなって。

「……………………………………盟主殿。マクドール殿……」

セツナが、あ、と思った時には、地の底から這い上がって来るような、低くて不気味な怒りの滲む声を絞ったシュウに、彼等は仲良く名を呼ばれた。