ゲオルグが注文した、酒の肴でも運んで来たのか。

彼の名を呼んだ女将を人々が振り返れば、ぬっ……と。

その大きさに相応しいまでに割った炭が入れられた、小さな七輪が差し出された。

「おお、すまんな。手間を掛けさせた」

すれば、差し出された、と言うよりは、突き出された、と言った方が相応しいそれを、ゲオルグはやたらと嬉しそうに受け取り、丁重に、円卓の上に乗せ。

「…………七輪……?」

「お魚でも焼くつもりなんですかね、ゲオルグさん」

「さあ……」

「でも、葡萄酒のつまみに、焼き魚、か……?」

ビクトールもセツナもカナタもフリックも、不思議そうに、それを見詰めた。

──七輪を持って来させた、ということは、網で何かを焼くのだろうが。

個人の趣味の問題ではあるだろうけれど、例えば、葡萄酒のつまみに焼き魚、というのは、余り相応しいとは言えない。

しかしゲオルグは、己を注視する視線なぞ何処吹く風で、鉄箸にて、慎重に慎重に、赤く燃える炭を弄り、繊細な手付きで、計っているかの如く精密に、きっちり網を乗せた。

「……すまんな、話が途中になった。──という訳でな。俺とフェリドが親友と言い合ったのには、理由があるんだ。…………知り合って暫くが経った、互い、気心が知れるようになった頃。丁度、今夜のように、良い酒が手に入った夜だった。尤も、このカナカン産の酒程上等ではなかったが、それでも、その頃の俺達にしてみたら、過ぎた酒だった」

そうして、そんな作業を続けながらも彼は、中断された、想い出語りを再開し。

語りながら、葡萄酒の瓶が入れられていた木箱の中から、笹の葉で出来た包みを取り出し、紐を解き出した。

「そのお酒の席で、何か遭ったんですか? 自分達は親友だー! って、確信出来るようなこととか?」

…………あれ、この包みって……? と、僅か小首を傾げながら、取り敢えず、セツナが先を促せば。

「あったぞ。劇的なことがな」

「劇的なこと?」

「ああ。…………これだ」

重々しく。恭しく。

そして酷く嬉しそうに。

想い出を噛み締める風に、幾度となく深く頷きながらゲオルグは、口を噤まぬまま、ひょいっと、鉄箸を、笹の葉の包みの中に突っ込んで。

取り出した『それ』を、そおおおおお……っと、いい感じに、炭で熱せられた網の上に乗せた。

「………………………………えっ……?」

「どうだ、美味そうだろう?」

「……………………えっと……。それ、が、劇的、ですか……?」

「そうだ。……あの瞬間は、酷く劇的だった。それはそれは、劇的だったんだ」

────網に乗せられた、『劇的なそれ』は。

噴く程の量、上新粉が叩かれている所為で、酒場の燭台の灯りを眩しく弾いてみせる、つやっつやの、てっかてかな、大振りの菓子だった。

その照りも美しい、純白の粉雪を纏った如くの、見事な曲線を描く。

即ち大福。

「…………えーーーと………………?」

「……いいから、まあ聴け。あの、劇的な夜のことを。──戦のことや、剣のことや、あれやこれやを、酒を挟んでフェリドと語り合っている内にな、酒の肴の話になった」

「……はあ…………」

「その夜より以前に俺は。フェリドが、美味そうにチーズケーキを喰らっている姿を見掛けたことがあって。だから、もしかしたら、この男なら解ってくれるのではと、意を決して主張したんだ。酒の肴には、こうして、七輪で自ら炙った大福が、一番だと思う、とな。そうしたらあいつは急に立ち上がって、ガッ! と俺の手を両手で掴み、酷く興奮した様子で、『解る、解るぞ、その気持ち!』と叫びながら、俺同様、酒の肴には、炙った大福が一番だというのが信念だ、と語ってくれてな。……それから俺達は、夜が明けるまで、大福について語り合った。……ああ、今思い返してもあれは、劇的な出来事だ。後にも先にも、この信念を共感出来たのは、あいつ以外にいない。俺の今までの生涯の中で、炙り大福と共に酒を囲めたのは、フェリドだけだ。恐らく、フェリドの生涯の中でも、炙り大福と共に酒を囲んだ相手は、俺だけだったろう。…………だから、あの夜。俺達は、本当の意味で互いを認め合い、唯一無二の親友同士になった。……カナタの父のテオですら、この想いを共感してはくれなかったんだ。俺とフェリドの、炙り大福を通じての友情がどれ程深かったか、お前達にも判るだろう?」

──くわっ! ……と、両目を見開かんばかりの真剣な顔付きで大福を炙りつつ、ゲオルグが語った話は、そんなことで。

「判るようなー、判らないようなー……」

「………………父上は、大福、得意じゃなかったから……」

「大福は好きですけど、僕はお酒飲めませんから、お酒飲みながら炙り大福って感覚は、判りませんし……」

「…………大福が食べられない訳じゃないし。お酒が飲めない訳でもないけど。……御免、僕はそれ、判らないんじゃなくって、判りたくない……」

セツナは、そういうものですかー? と、カナタとゲオルグを見比べ。

カナタは、その視界より、七輪の上で炙られつつある、純白の大福を追い出した。

「試してみるか? 美味いぞ?」

「いや、そうじゃなくてね……」

「あっ! お酒は駄目ですけど、炙った大福は食べてみたいです!」

だが、カナタの努力虚しく、セツナはそれを食べたがり、一等最初に出来上がった炙り大福を、ゲオルグが、セツナの手の上に乗せてしまったので、彼の、漆黒色した瞳の中には、仄かに焦げた、見るからに、たっっっっ……ぷり餡子が詰まっているのが判る、重量級の、もちもちした大福が、再び帰った。

「わーーー。熱々で、美味しいですねー。大福って、こういう食べ方もあるんですね、勉強になりました、ゲオルグさん!」

「そうだろう? 本当に軽く炙った大福は、殊の外美味いんだ。酒にも良く合う。この、カナカン産のワインのような、上等の酒なら尚更だ。この上ない取り合わせだ。…………セツナ、俺は今、痛烈に悔やんでいる。炙り大福の味が判るお前が、下戸であることを。返す返すも、惜しい……」

「…………僕は今、心底嬉しく思うよ。炙り大福の味が判るセツナが、下戸であることを……」

──右手に、複雑な色合いの渋い赤味を湛える、芳醇な香り漂う上等の葡萄酒で満たされたグラスを掲げ。

左手に、焦げの香りも香ばしい、ぷくぷくの大福を掲げ。

同じく、大福を頬張るセツナと、その美味さ加減を語らいながら、腹の底より、セツナが下戸であることを嘆くゲオルグに、至極嫌そうな顔付きで、カナタはぼそっと洩らした。

「……………………判らねえ……。酒と炙り大福の取り合わせって、その感覚が判らねえ……」

「……安心しろ、ビクトール。俺にも理解出来ない」

そんな彼よりも尚あからさまに、ビクトールとフリックは、そそくさ、甘味大魔王な二人に背を向ける。

だが、周囲の反応に気を配ることが出来なくなっているのか、それとも、端から歯牙にも掛けるつもりはないのか。

「フェリド。惜しい男を亡くした……。俺はもう一度、あいつと共に、炙り大福を摘みながら、酒を酌み交わしたかった…………。あいつが今でも生きていれば、俺は万難排してでも、再び、ファレナの地を踏むんだがな……。……ファレナ、あそこは良い国だった。甘味が美味かった……」

ゲオルグは、しみじみとした過去語りを続けた。