その場に仁王立ちしたまま、「全く、もう……」と口の中でブツブツ零し出したカナタを、まあまあ……、と何とか宥めたビクトールとフリックは、引き摺るように彼を座らせた。
セツナと知り合ったばかりの頃は、
「望まれる限り傍にいてあげたいけれど、セツナにはセツナの立場があるから」
とか何とか言いながら、殊勝にも、生家のあるトランの首都グレッグミンスターに帰ることも少なくなかったのに、徐々に、浸食するかのように、用が無くともセツナに呼ばれずとも本拠地に居座る時間を長くし、人々が気付いた時には、以前とは逆に、用が無ければ生家にも戻らず、半ば本拠地に住まっているとしか言えない状態にまで持ち込んだ、本気で『セツナ溺愛馬鹿』なカナタの臍が、これ以上に曲がってしまったら厄介この上ないので、腐れ縁達は、注文した自分達と同じ酒を彼へ勧め始める。
「そんなに荒れるな。セツナにだって、色々な都合があるかも知れないんだから」
「色々な都合って、どんな」
「どんな、って……」
「セツナが、僕に一言の断りも入れずにしなくちゃならない都合が、あるとでも?」
「カナタ……。頼むから俺達に当たるな。フリック、お前も余計なこと言うんじゃねえ」
愛想良く、暖かい酒のグラスをカナタの目の前に突き出してやって、フリックは、何とか彼を落ち着かせようと頑張ったが、全く以て歯が立たず、ビクトールは、「何処行っちまったんだ、セツナ……」と黄昏れ、
「レオナさん。あちらは、もう直ぐ片付きそうですよ」
「セツナさんも、こっちに来て下さるみたい」
そこへ、終ぞ酒場で見掛けたことなどない、フリード・Yの妻で、城内の洗濯物を殆ど一手に引き受けてくれているヨシノと、道具屋のアレックスの妻で、酒場の上階で宿屋を営んでいるヒルダの二人が、連れ立ってやって来た。
「ん? ヨシノ、ヒルダ。もしかして、今までセツナと一緒にいた?」
酒場に姿見せるなり、二名のご夫人は、カウンターの向こう側で酒の肴を拵えていたレオナへ話し掛け、彼女達の会話を耳にしたカナタは、くるん、と振り返る。
「……あ、マクドール様。はい。セツナ様とご一緒でした」
「セツナさん、私達と一緒に、ハイ・ヨーさんのレストランのお掃除を手伝って下さってたんです」
「レストランの掃除? この間、年末の大掃除を終えたばかりなのに?」
「ええ。昨日、冬至祭用のお膳を沢山拵えたら、厨房が酷く汚れてしまったから、とセツナ様が」
「こちらの酒場のお掃除も、買って出て下さったんですよ、セツナさん。冬至祭の所為で、お酒好きな人達が汚しちゃったみたいだから、大掃除をやり直すんだって」
セツナと? と問うてきた彼に、ヨシノとヒルダは代わる代わる事情を語って、
「……成程」
「大掃除ね……」
「大掃除か……」
漸く、捜していたセツナの行方が掴めたと、一人頷いたカナタの横で、一緒に話を聞いていたビクトールとフリックは、若干顔を蒼褪めさせた。
「ビクトール? フリック? どうかした? 様子、変だけど。──……そう言えば、先日の大掃除の時も、二人して何処となくおかしかったね。口答え一つせず、セツナの厳命に従ってたのは良いことだけど、らしくはなかった。……何か、理由でも?」
「……………………知りたいか?」
「おい、ビクトール……」
傭兵達の顔色の変化に、カナタは目敏く気付き、ふん? と首傾げ、だから、重々しい雰囲気を纏いながら、理由がある、と打ち明け出したビクトールを、フリックは、やはり重々しく留める。
「……余程、深刻な理由?」
「そういう訳じゃない」
「ああ。深刻とか、そういうんじゃない」
が、結局、真顔になったカナタから漂い出した気配に押された風に、傭兵達は、重い口を開いた。
「セツナの奴が、家事──特に、料理と掃除と家計費管理に、目の色さえ変えて異様な情熱迸らせるのは、カナタ、お前だって身に沁みてるだろう?」
「……それは、まあ。確かに僕も思い知らされてる」
「その所為でな、俺達は一度、偉い目に遭ったことがあるんだ」
────そんな風に、カナタだけでなく、ヨシノやヒルダや、その時酒場に居合わせた大抵の者達が、固唾を飲んで耳峙てたビクトールとフリックの話は、以下のようなものだった。
……半年以上も前の、未だ、季節が初夏だった頃。
今はもうこの世にいない、かつてハイランド皇国軍の第四軍団を率いていたソロン・ジーによって、サウスウィンドゥ市が陥落し、陥落直前に同市よりの依頼を受けていたビクトールやセツナ達が、廃村になって久しかったノースウィンドゥの古城──そう、現在の同盟軍本拠地に調査に訪れ、人々の知らぬ間に古城を占拠していた吸血鬼のネクロードを何とか追い払った直後。
まさか、宿敵でもあるネクロード退治に奔走している内に、サウスウィンドゥが陥落するとは思ってもいなかったビクトールや、仲間達を引き連れつつハイランド軍の目を掠めてサウスウィンドゥから脱出し、ビクトールやセツナの後を追ったフリックは、ノースウィンドゥの崩れ掛けの門前で合流を果たして後、ネクロードから奪還したばかりの古城に籠って、逃げ延びた仲間達と共に、どうしようか、と頭を抱えていた。
ジョウストン都市同盟の盟主市ミューズの統治下にあったトトやリューベの村を焼き討ちし、ミューズを陥落させ、ミューズとはデュナン湖を挟んだ対岸に位置するサウスウィンドゥをも陥とした、直ぐそこに迫ったハイランド軍から、女子供まで含めても二十人前後しかいない自分達が逃れられる術が見当たらなくて。
尤も、その絶体絶命の事態は、現在の同盟軍の者達には周知の通り、そこまで追い込まれても挫けなかったセツナの、
「皆で一生懸命考えれば何とかなるよ。きっと、何か方法がある筈だよ」
との前向きな発言と、大人達を励ます姿勢に改めて知恵と記憶を絞り直した副軍師のアップルが、兄弟子のシュウが水門の街ラダトに住まっているのを思い出した為、打開の道が拓けたが……──。
「その辺の話は、セツナから直接聞いてるし、当時を知らない僕でも今更な逸話だけど……、それが?」
「……それがな。サウスウィンドゥを抜け出した俺達と、ここへの探索に出てたビクトール達とが、今の城門辺りで合流出来たのは、夕刻だったんだ」
「だから、アップルやセツナやナナミ達が、シュウを仲間に引き入れる為にラダトへ発つのも、俺やフリック達が人手を掻き集めに出るのも、翌日に、ってことになったんだよ。俺達は兎も角、セツナ達に夜道を行かせる訳にゃいかなかったし、ハイランドの連中がウヨウヨしてたからな」
────傭兵達の話がそこまで進んだ時、カナタは、本当に今更な、一々語るまでもないことを、何で敢えて、との顔になったが、フリックもビクトールも彼を制し、本題はここから、と話を続ける。
「まあ……、そうだね。夜が明けてから、と判断したのは納得出来るよ。……で?」
「ほんで。当たり前以前の話で、何年も放ったらかしにされてた廃墟同然のこの城で、一晩遣り過ごすことになった訳だ。そしたら……、な? フリック」
「ああ……。途端に、セツナの目付きが変わったんだ……」
「は? どうして?」
「『一晩だけで済むなら見なかった振りも出来るけど、もしかしたら僕達、このお城で篭城とかしなきゃ駄目かもだし、ビクトールさんとフリックさんの傭兵砦みたいになるかもだし、ってことは、僕達の家も同然になるでしょ? だったら、今の内にお掃除しないと! 修繕は時間掛かるから今日は我慢するけど、せめて、お掃除は! お掃除はしないと! 僕、明日にはラダトに発たなきゃだから、今の内に!』……ってのが、あいつが目の色変えた理由で、その時の主張の内容だ。……正直、俺はあの時、顎が外れるかと思った」
「…………え?」
「それに。ビクトールだけじゃなく、俺も他の連中も唖然としたのに、『大丈夫! 僕が徹夜してでも頑張るから! お掃除嫌いじゃないし! 道具なんか何とでもなるし! あ、でも、ちょびっと手伝ってくれたら嬉しい!』ともセツナは言い出して、比喩じゃなく、本当に風みたいに何処かに消えて、と思ったら、ボロ切れだの壊れ掛けの帚だの樽だの見付けてきて、物凄い情熱迸らせながら、凄まじい勢いで掃除を始めて、挙げ句。その内に見境を失ったのか、或る意味ルカ・ブライトよりも恐ろしく感じた『暴君』に豹変して、俺達全員こき使い出してもくれて……。…………衝撃だった……。純真で素直で、可愛らしい奴だと思ってたセツナが、狂皇子よりも怖くなるなんて……」
そして、曰く『本題』を語り始めたビクトールは、遠い目をして肩を落とし、フリックは、何やらを思い出したのか涙目になった。