カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『とある日の出来事』
──我等が愛しきデュナンのお城 真相編──

レオナの酒場の年末二度目の大掃除が想像以上に手早く済ませられて、しかも、床や壁や天井の隅に至るまで、輝かんばかりに磨き上げられた為、以降、その日の就寝時間を迎えるまで、セツナはご満悦そうに過ごしていた。

すっごく満足ーーーー!! ……と、ほわほわ幸せそうな笑みを浮かべ、元気一杯に本拠地内を飛び回ってもいた。

「納得出来るまでお掃除したんで、お腹空いちゃいました」

と、何時も以上にモリモリと夕飯を食べ、デザートも食し、次いで向かった公衆浴場にて体もピカピカにして、カナタと二人、本棟最上階の自室に戻ったセツナは、ご機嫌状態を保ったまま、自身の為の大きな寝台に潜ろうとしていた。

一方、カナタはと言えば、セツナの、掃除に対する並々ならぬ情熱に晒された挙げ句、慣れぬことに挑んでしまった為、精神的な疲れは覚えていたが、体力の方は有り余っていたので、酒場にての清掃騒ぎをやり過ごしてのち、ご機嫌なセツナに半日以上付き合った現在もケロリとしており、

「ねえ、セツナ」

冬用の、生地の厚い寝間着をしっかり着込んだ、眠りの為の準備は万端、なセツナに続き、やはり寝支度は整え終えて寝台に近付くも、横たわりはせず枕辺に腰掛け、『溺愛』中の彼の面を覗き込む。

……昼間、酒場にてビクトールとフリックの『恐怖の思い出話』を聞いていた時、彼は秘かに、セツナに対する疑問を抱えたから。

疑問──否、違和感、と称するのがより正しいものを。

「何ですか? マクドールさん」

「大したことじゃないんだけれど。昼間、セツナ達がネクロードからこの城を取り返した日の話を、ビクトールやフリックから聞かされてね」

「それが、どうかしました?」

「うん。セツナはどうして、その時に、この城の掃除なんか始めたのかな、と思って」

故に。

何か特別なお話でもあるのかな、との顔をして、毛布の中に突っ込み掛けていた左足を引き抜き、チョン、と自身に寄り添う風に腰下ろしたセツナへ、カナタは、そんな問いをした。

────有り体に言って、セツナは学がない。

ハイランド皇国の正規機関で教育を受けた経験がない、という意味で。

同盟軍の盟主となってからは主にシュウが、現在ではカナタも、色々を彼に教え込んでいるので、今はもう、学がなかった、と言うべきなのだろうが、初めてこの古城に足踏み入れた当時の彼は、読み書き算盤は出来るけれど、という程度の子供だった。

但し、その頃も現在も、彼は決して無学なだけの子供ではない。

人の心も解せるし、己の置かれた状況や事態も能く読む。

意志も強く、滅多には挫けぬし、明るく前向きな性格でもある。

カナタとすら化かし合いをしようとするような、強かと言うか、喰えない狸に似た性分をも持ち合わせているが、それは、ご愛嬌という奴だ。

……そう、一言で言えば、セツナは『馬鹿』ではない。

それを、カナタは能く能く解っている。

なのに、そんな彼が、腕前も経験も確か以上に確かなビクトールやフリックでさえも頭を抱えたまでにハイランド軍に追い詰められていた状況下で、何故、傭兵達が、あの時のことは思い出すのも嫌だ、と項垂れるくらい鬼気迫る風に掃除に勤しんだのかが、カナタには疑問だった。

……所詮は疾っくに過ぎ去った出来事、今更目くじらを立てるつもりはなく、他ならぬセツナが為したことでもあるから、少なくともカナタには、「セツナが本心から、そうしたいと思ったのなら」の一言で片付けられる。

ビクトールやフリックの証言では、その際のセツナは人が変わってしまっていたようだったし、幼い頃から共に育ってきたナナミでも、そうなってしまったセツナは止められないとのことだから、本当に、全ての見境を失くしてしまっていたのかも知れない。

だが、何となく、この話には違和感を覚える。

起死回生の一手を打つ為の支度を早急に整えなくてはならぬ最中、『馬鹿』ではないセツナが、何故、掃除、などと言い出したのだろう。

…………そう思わされたから、カナタは。

「え? 単に、お掃除がしたかったからですよ?」

──すればセツナは、きょとん、とした顔になって、小首を傾げつつ答えた。

「本当に?」

「はい。本当に」

「ミューズの陥落から間を置かず、サウスウィンドゥまで陥落したばかりか、侵略してきたハイランドの軍勢が直ぐそこに迫っていて。そんな中、一刻も早く、敵占領下を通り抜けてまでラダトへ向かわなくてはならなかったのに? なのにセツナは、掃除を優先したの? ──もしも、僕がその時のビクトールの立場でその場に居合わせていたら、叱責では済まさない。……そうなってもおかしくないと、君にも判っていただろうに」

その答えからも、答えを告げたセツナからも、嘘の気配は感じられなかったが、カナタは、より『深く』追求する。

嘘ではない。但し、言葉が足りない。そんな気がする、と感じて。

「……嘘じゃないです。嘘じゃないですけど。本当に、お掃除がしたかったからなんですけど。…………どうしたって、マクドールさんだけは、誤摩化されてくれないんですね」

と、途端にセツナは、カナタから視線を逸らせ、床に目を落とした。

「何か、魂胆があった?」

その様より、ああ、やはりな、とカナタは、俯いてしまった彼のこうべを撫でた。

「魂胆……って言う程のことじゃないんです。…………嫌だったんです。その日までネクロードに乗っ取られてた、廃墟同然だったこのお城を、僕達の砦にしなくちゃならないかも知れなかったのが。……ここ以外、逃げる先なんか無かったですし、逃げても逃げなくても、ハイランドは追って来たでしょうし。実際、追って来ましたし。追い詰められちゃった僕達皆で、このお城で踏ん張って何とかしなきゃならないって、僕にだって解ってました。でも、本音では嫌だったんです。……あ、踏ん張るのが嫌だったとか、本当は逃げ出したかったとかじゃないです。廃墟同然の所に、っていうのが嫌だったんでもないんですよ。正直、戦争の為の砦なんて、廃墟だろうが汚かろうが、屋根と壁が有りさえすれば上等だよね、って僕は思います」

「…………なら、セツナは、何が嫌だったの?」

「……このお城、そのものが、です。…………仕方なかったのは判ってます。他に、どうしようもなかった、って。でも、その日に僕は知っちゃったんです。ここは、ビクトールさんの故郷で、ビクトールさんの故郷なのにネクロードが惨いことをした所で、ここ、そのものが、ビクトールさんの大切だった人達のお墓でもあるって。……なのに、今度は僕達が、そんな場所を乗っ取るみたいにして立て篭らなきゃならないのが、何て言うか、凄く申し訳なく思えたんです。本当は、ビクトールさんは辛いんじゃないかな、とか、思うこと、一杯あるんだろうな、とか。きっと、ここがどんな場所なのかとか、ビクトールさんの過去とか、知ってるんだろうフリックさんも、辛いのかも知れない、とか。色々思っちゃって……」

「………………そっか」

「……はい。…………で、僕、考えたんです。そんなことしてる場合じゃないのも判ってましたけど、お城の中だけでも綺麗にして、一寸でも、惨くて悲しくて辛かった昔のこととか、その思い出とかの影みたいなものを隠したら、少しは、ビクトールさんもフリックさんも、気持ちが楽になるかな、って。皆をお掃除に駆り立てて騒げば、皆、ここは本当は踏み込んじゃいけないお墓なんだって、思い出さないで済むかな、とかも。……だから、お掃除始めたんです。その方が、あの時の僕にとっては、ラダトに向かうよりも先にしなきゃならないことに思えたから」

髪を梳くように撫でてくれるカナタの手に、心地良さそうに甘んじながらも、セツナは、床だけを見詰め続けて『本当』を打ち明け、

「成程。……だから、か。…………本当に、もう……。何で、そんなことしちゃったの、セツナは」

真相を知ったカナタは、微かな苦笑を浮かべ、おいで、とセツナを抱き締めた。