故に。
『小さな』盟主殿の思惑通り、その日夕刻、同盟軍本拠地本棟二階の議場では、満載の茶菓子を供に、同盟軍幹部達の茶会が開かれることになり、議場には暫し、歓喜と悲哀が入り交じった、斑模様の空気が漂った。
けれども、セツナ以外の者には、『平等に』容赦の欠片もないカナタとは違い、己を取り巻いてくれる仲間達全てが大好きで、恩情も持ち合わせているセツナが、『甘い物が苦手な人用お菓子』も、ちゃんと作っておいたので、議場を隅々まで満たした斑模様の空気は、やがて、穏やかなそれに変わった。
季節と時期が悪い所為とは言え、ハイランドとの戦に進展はなく、だが、デュナン湖を挟んで睨み合い続けている皇国の手より、本拠地を筆頭とする同盟軍勢力下の各市や各地域の守備は固め続けなくてはならず、表立ったぶつかり合いがないだけで、やらなくてはならぬことや、果たさなくてはならぬことを山のように抱えている一同は、疲れを覚えてはおり。
疲れた体と頭に、甘い物は手っ取り早く効くので、誰もが、ほっとひと心地付けたような気分を得ていた。
但、どうしても、かなりの速度で、ひょいひょい、大福からチーズケーキから、飲む如くに食らうゲオルグと、それに、顔色一つ変えずに付き合えるセツナの姿を視界に入れたが最後、辟易は覚えてしまっていたが。
「お前は、本当にいい腕をしているな。菓子職人としても生きていける。俺が保証してやる」
だがしかし、人々の辟易を他所に、レアチーズケーキをワンホールと、炙り大福の殆どを平らげ、小休止、とばかりに茶のカップを取り上げたゲオルグは、本当に満足そうに、よしよし、とセツナの頭を撫でながら、彼を褒め称える。
「えへー……。喜んで貰えたなら嬉しいです!」
ゲオルグの、桁外れな強さに、偉大な武人としての背中に、亡き養祖父ゲンカク老師の面影をも重ねているセツナは、彼の大きな手でワンコのように撫でられたのが嬉しかったのか、幸せそうに目を細めた。
二人のやり取りを、セツナの傍らにて目撃したカナタは、若干複雑そうな顔になったが、ゲオルグは、同盟軍内で唯一、カナタの機嫌を頓着しない人物なので、彼の細やかな不興は流され、
「僕はセツナに、菓子職人の道だけは歩ませたくないよ……」
相手がゲオルグじゃ仕方ない、いっそ、話に混ざった方が、とカナタは嘴を突っ込む。
「菓子職人の何が悪い?」
「……いや、そういう意味じゃなくて……。貴方の基準って、もしかして、全て甘味……? ──セツナは、菓子職人の才能だけに恵まれてる訳じゃない、って意味」
「ああ、まあ、それは言えている。何より、こいつには、『それなりに』素直という美徳がある。性格も、『そんなには』ひん曲がっていない。これは、素晴らしいことだ。しみじみ言える。ああ、素晴らしい」
「…………それなりに、は余計だし、セツナの性格は、ひん曲がってもいないけど?」
「いいから、揚げ足を取らずに話を聞け、カナタ。……今だから言えることだが、正直、俺は、セツナに助成を乞われた際、色々とな、疑って掛かっていたんだ」
「え? 何を?」
「疑うって……、何がですか? ゲオルグさん」
黙って彼等の話に聞き耳を立てていた一同が、カナタが本当に機嫌を損ねたらどうしよう……、と胃を痛めるようなやり取りは進み、やがて、盟主自ら給仕に勤しむ、という、有り得ない、が、この軍では毎度の様相な茶会の最中、伝説の剣士の打ち明け話が始まって、ゲオルグが、セツナの何を疑っていたと……? と、カナタも、セツナ当人も、きょとん、となり、他の者達は、事と次第によっては聞き捨てならない、と固唾を飲んだ。
「もう、十年……、いや、十一年は前のことになるか。俺が、ファレナで女王騎士なんぞをやっていた頃、あそこで内乱が起こったろう?」
「あ、この間、レオナさんの酒場でも出た話ですよね」
「そう、それだ。あの反乱の際、俺が厄介になっていた側──ファレナの現女王の実兄で、あそこの王子だった奴が率いてた側は、トラン解放軍や、この同盟軍のように、宿星の集まりだったんだ」
「…………え、そうなんですか? へー、それは知らなかったぁ……。それで? それで?」
だが、何故か、ゲオルグの話は昔語りとなり、セツナは、キラキラと瞳を輝かせる。
「今のお前や、三年前のカナタが、それぞれの戦いの天魁星だったように、ファレナの王子──シュユ、あいつも、あの戦いの天魁星だった」
「シュユ、ね。その辺のことまでは、僕も知ってる。確か、内乱勃発当時は十五、六の若さで、あそこの王家一族の身体的特徴を全て兼ね備えた、女性に生まれてさえいれば、誰にも文句を言わせず玉座に着いただろう、やたらと眉目秀麗な王子、と市井には伝わってる人物だったね。…………あれ、でも彼って、あの内乱後──」
「──前ファレナ女王国女王、アルシュタート・ファレナスの第一子、シュユ王子殿下は、内乱が終結した数年後、行方不明になった筈かと」
一方、カナタとシュウは、記憶の中で歴史書を辿り、口々に言った。
「……………………その、シュユがなあ……」
「シュユ殿下が、何か? 内乱後は、当時は未だ幼かった現女王が婿を取るまで、女王騎士長代理を是非に、と乞われた、若いながら秀でた、王族の鏡のような王子だったと──」
「──……違う」
そのまま、正軍師殿が滔々と、歴史書が伝えるシュユ王子の人となりを引用したら、一切れのチーズケーキを片手で掴み上げつつも、ゲオルグは、酷く遠い目をした。
「違う?」
「見て呉れは、無駄なまでに良かった。顔立ちも体躯も、女と見紛う程だったが、武芸は達者だった。年の割には秀でていた、という部分も否定はしない。だが、あいつは、難癖の塊だった」
「難癖……? 塊……?」
好物を、口の中に放り込むのも忘れ、本当に本当に遠い何処かを見遣る彼の一言に、茶会中の一同は、んー? と首を傾げ、思わず、カナタとセツナを見比べる。
「皆の、その視線はどういう意味かな?」
「僕達には、変な癖なんかないですよねえ、マクドールさん?」
「ねえ? セツナ」
「……ああ。あいつ──シュユに比べれば。セツナは当然、カナタとて、よくぞここまで真っ直ぐ育った、と言えるぞ。テオも、ゲンカク殿も、人の親としても優れていた証だろう。とは言え、あれの父のフェリドとて、良き父だったんだが…………」
じ……っ、と注がれた一同の視線に、カナタはムッとし、セツナは笑い、ゲオルグは、二人に突っ込みもせず、しみじみ……、と。
「えーと……、な。ゲオルグ。セツナは兎も角、カナタですら、真っ直ぐって言えちまうくらいの、シュユって王子の難癖ってな、何だ?」
そのまま、一人、何らかの回想を始めた彼に、そろっと、ビクトールが問うた。
「……ビクトール。後で話し合おうか」
「…………言葉の綾だ。気にすんな、カナタ」
その際、傭兵な彼はうっかり口を滑らせてしまい、にっっ……こり、が、空恐ろしくカナタに微笑まれたが、
「一言で言えば、猫被りだったんだ、シュユは」
二人の、静かな争いなど気にも止めずに、ゲオルグは、思い出を語り続けた。