クスクスの街に住まう者の大多数が、デュナン湖での漁と、湖を取り囲む幾つかの街や村へと人々を渡す、渡し船の賃金にて日々の糧を得ている。
要するに、皆、朝の早い生業。
だから、ビッキーに転移魔法で送って貰った、セツナ達三人が降り立った日没後のクスクスの街で、盛り場を見付けるのは容易だった。
どの街の盛り場にも、滅多に近付かないセツナでさえ、目星が付けられる程に。
「あっちの方、一杯灯籠が出てますね。きっと、あそこですね、盛り場」
クスクスに到着するや否や、ショーカンがあるっていう盛り場はどっちだろう? と、セツナは首を傾げながらキョロキョロとして、さあ、何処だろうねえ……と、カナタもシュウも、一応は空っ恍けてみたのだけれど、煌々と照る盛り場の灯りは、二人の虚しい努力を嘲笑って。
「そうみたい、だね……」
「そう、ですね…………。……盟主殿、盟主殿には執務があります。ビクトール達は、私とマクドール殿で……──」
「──絶対、嫌! ショーカンが何なのか、僕だって知りたいもん」
うきうきわくわく、とした足取りで、盛り場の灯り目指して急ぐセツナの後に、渋々、カナタとシュウは従った。
トトトトトト……と駆けて行くセツナの足は軽快で、この後の展開が目に浮かぶから、叶うことなら行きたくない、が本音のカナタやシュウの足は、セツナとは対照的なまでに重く、『そういう部分』が絶望的に幼い盟主殿と彼等の距離は、開く一方だったが。
「すいません! あの、ショーカ──」
「──すまない、何でもないんだ」
勢い良く駆けていたセツナが、急に立ち止まって、道端に屯っていた、数名の、所謂『花売り』が生業の女性達に、無垢過ぎる笑顔全開で、娼館は何処かと尋ねそうになったので、それを見ていたシュウが、見事、と言いたくなる程の素早さを発揮しセツナに近付き、バンっっ! とその口をカナタは塞いで。
それより彼等は、こんな所にどうして子供連れで? と、道行く人々の注目を浴びながらも、セツナに暴挙を犯させない為に、今宵ばかりは小憎たらしい、『小さな』盟主殿を間に挟んで、仲良しこよし、としながら、盛り場を歩くのを余儀なくされた。
「……絶対、許さない。ビクトールもフリックも、他の連中も……」
「…………同感です」
「何で? ビクトールさん達、そんなに悪いことしてるの? ……そうなんですか? マクドールさん」
「……うん。たった今、ビクトール達は、物凄く悪いことをしているって、僕とシュウは悟った。どれだけ非難されても文句の言えないことを、あの連中はしてる。今、この瞬間も。……そうだね? シュウ」
「そうなの? シュウさん」
「ええ。そうですよ。マクドール殿の、仰る通りです」
デュナン湖畔の古城に住まう、幼児達以外の恐らくは全てが、「僕は一五歳! ……多分」との彼自身の主張を、「……多分」の部分まできっちり含めても、尚信じられぬ程に幼く見える、セツナを伴い。
手前味噌と言われてしまえばそれまでだが、良くも悪くも、平均をかなり上回り目立つ姿形の、男二人連れで。
如何わしい、としか言えない店ばかりが並ぶ盛り場の通りを行かなければならない、カナタやシュウにしてみたら、晒し者になっている以外の何物でもないこの瞬間の恨みを、絶対に晴らしてやる! ……そう心に固く誓い。
黙々と通りを進んだ彼等は、『安心・格安・待遇一番!』が謳い文句の、最高に胡散臭い娼館の入口前で、ぴたっと足を止めた。
「ここかな?」
「恐らく。……ここがクスクスでは、一番名を馳せた館ですし」
「だよね。じゃあ、乗り込むとしようか。……それにしても、シュウ。貴方も、どうでも良いことまで、よく知ってる」
「私は、それが仕事です。そう言うマクドール殿も、色々と、不相応なことまでご存知のようで」
そうしてカナタとシュウは、互いに突っ込みを入れつつ。
「セツナ。あの連中引き摺り出して来るから、君は物陰にでも隠れて待っていて。いい? 直ぐ戻って来るから。その辺に立ってる『お姉さん』や『お兄さん』に、間違っても声なんて掛けちゃ駄目だよ。話し掛けられても、無視すること。いいね? この言い付けを破ったら、お説教」
ここが、噂の所なのかなー、と、挙動不審になり始めたセツナにしっかり釘を刺して後、如何わしく不健全な店の中へと、踏み込んだ。
だらしないを通り越し、或る意味男の鏡、と言わざるを得ないまでに鼻の下を伸ばしながら、へべれけに酔い始めた仲間達を横目で見遣り。
「……なあ、そろそろ帰らないか……?」
茶碗の如く両手で掴んだグラスの中の酒を、ちびりちびりと舐めながら、居心地悪そうに、フリックは相方の服の袖を引っ張った。
「お前、まーーーだ、そんなこと言ってんのか? 酒飲んだだけじゃねえか。夜はこれからだぞー?」
しかし、帰ろうと促されたビクトールは、フリックの倍は嚥下しただろう酒を、更に、それも豪快に飲み干し、馬鹿言ってんじゃねえと、生真面目な相方の背を、バシンと叩いた。
「あら、こちらの色男さんは、もうお見限り? つれないわねえ。何か不満でもあったのかしら。お酒? それとも私達? ……いいじゃなーい、もっとゆっくりしてって下さいな。貴方達、兵隊さんなんでしょ?」
すれば、二人のやり取りを端で聞き付けた商売女らしい者が、フリックにしなだれ掛かって。
「あ、ああ……。そうだが……。一応……」
「いやぁねえ。兵隊なんて商売は、女日照りが相場でしょ? だったらたまにはいいじゃないですか、こういう遊びも。……ねー? ほら、こちらの兄さん方みたいに、貴方も飲んで飲んで」
椅子の上で身を竦めたフリックの飲み掛けのグラスに、彼女は強引に酒を注ぎ足した。
「だろー? そう思うだろう? あんたも。年がら年中男臭いばっかりってのもなー。気楽は気楽だが、味気ねえんだよ」
そんな彼女の商売文句に、酔っ払いと化したビクトールは、深く同意を見せる。
「だからっ! 俺は、別に…………」
だがフリックは、べったりと身を寄せてくる彼女から放たれる、白粉や香のきつい香りに顔を顰め、直ぐさま、遠い目をした。
「……どーした、フリック。不景気なツラして」
「…………いや、な。……こんな香り、オデッサから感じたことはなかったなあ、と思って……」
「お前……。又それか……?」
「仕方ないだろうっっ! 俺にだってな、誰にも踏み込まれたくない想い出の一つや二つ、あるんだよっ! この、無神経熊っ! …………オデッサ……。オデッサは……。オデッサはなあああっ……」
「………………フリック。お前、悪酔いしたろ」
「お前に言われたくないっ!」
所在な気に小さく身を縮ませて、黄昏れた雰囲気を漂わせ始めたフリックの顔を、あん? と覗き込んだら、耳にタコが出来るくらい聞かされ続けた名が、又もや飛び出し。
あーー、酔ってんなー……、と、己も同じ酔いどれなのを棚に上げ、ビクトールはしみじみ、或る意味での感心を窺わせた。
「オデッサって? この色男さんの、好い女?」
「ん? ……いいじゃねえか、そんな話。そんなことより……──」
そこへ、フリックに誘いを掛けていた彼女が、次は、とばかりに、ビクトールへ身を近付け。
仔猫宜しく、ビクトールは彼女を抱き寄せ。
「あら。好い男ねえ、お兄さん」
名も知らぬ商売女から開放されたばかりのフリックは、別の商売女に捕まり。
シーナやタイ・ホーと言った、他の酔っ払い達も、それぞれ、そろそろ『宜しく』、と相成るかという頃合いになった瞬間。
「…………はい、そこまで」
パン! と、芝居の終わりを知らせるかのように上がった、手を打ち鳴らす高い音と共に。
見事、以外の何と例えろと、という程、凶悪に極上の笑みを湛えて立つカナタの声が、その娼館の一階を占める、酒場に響いた。