──楽園か、はたまた桃源郷か、と。
心から信じられそうなくらい素晴らしい、『偽りの世界』で遊び呆けていた男達は。
手を打ち鳴らす音と、カナタの声を聞き付けたその刹那、正しく、夢から醒めた。
「カ……カナ、タ……?」
「へぇ。酒と女性に狂った頭でも、僕の声の区別は付くんだ」
盛大にいちゃついていた女からすら、揃って手を離し、ばっと振り返ってきた仲間達全員に、一通り眼差しをくれて、カナタはにこにこと笑いながら言う。
そんな彼の斜め後ろでは、何事かとやって来た娼館の女将らしき年嵩の女に、かつて、商売上の付き合いでもあったのか、知らぬ仲でもなさそうに、シュウが話を付け始めていて。
女将に呼ばれ、わらわらと、女達全員が酒場の隅へと避難してより、カナタは。
「同盟軍正軍師殿との、話は付いてる。今夜のこの不始末に関しての処分も処遇も、僕が一任しても良い、と。…………判った? ……理解出来たなら、全員、起立」
携えて来た棍を片手で弄びつつ、世間話をしている風な調子で、けれど一切有無を言わせず、一遍に酔いを吹き飛ばし、見る見る顔色を悪くしていく彼等を立たせた。
「…………僕も、男なのでね。気持ちは、判らなくはないけど」
………………そして。
彼が、並び立たせた『出来の悪い仲間達』を前に、説教めいたことを言い始めた、その途端。
バシャン! と、酒場の、脇道に面した側の窓が、盛大に開き。
「マクドールさーん、未だですかーー? マクドールさんとシュウさんの言い付け守ろうとしてるんですけど、さっきから、知らない『おにーさん』とか『おねーさん』とかが、凄くしつこく話し掛けて来て…………って、あれ?」
開かれた窓の向こうから、ぴょん、と飛び上がったセツナが窓枠に乗り掛りながら、酒場の中へと、半身を入れてきた。
「セツナ…………」
「皆、何してるの? ここ、レオナさんの所みたいな酒場じゃないの? 酒場で、一列に並んで立って、楽しい? 何の遊び? 酒場で出来ることって、お酒飲むだけじゃないの? ……あ、判った! ショーカンって、今皆がしてるみたいな、変な遊びするトコ? レオナさんの所じゃ出来ないような。……あれ? でも、あっちの隅の方にいるお姉さん達は? お酒とかお料理の、お運びさんじゃないの? 何で、お運びのお姉さん達、お仕事してないの? ……何だか、僕には良く判らないし、楽しいとも思えないけど…………ここって、そーゆーことするトコ? ────マクドールさん、ショーカンって、こんな、変なことしながらお酒飲む所なんですか? 皆が今してしることの、何が悪いことなんですか? 僕、全然判んないです」
乗り掛ったそこに腰掛けんばかりにして、上半身を覗かせた酒場を見渡し、ふん? と首を傾げてセツナは、男達やカナタに、矢継ぎ早に質問をくれた。
故に、それを黙って聞いていた男達は、今夜のカナタの機嫌がねじ曲がりきっているのは、十中八九この所為だ、何処から洩れたのかは知らないが、セツナが、『ショーカン』に盛大な興味を示したからだ、と悟り。
「……………………………………セツナ。……うん、そうだよ。ここはね、そういう、変な遊びをする為の、盛り場。何が楽しいのか理解出来ないよね。不健全な大人の考えることは、僕にも良く判らない。嫌だね、大人って、訳が判らなくて。……でもね。君にはピンと来ないかも知れないけれど。軍で与えられた日々の任務を放り出して、こういう、訳の判らない遊び場に内緒で繰り出すっていうのは、悪いことだと思うよ」
「でも僕も、しょっちゅう何処かにお出掛けに行きますよ?」
「セツナはいいの。そういう意味での大人ではないし、何より君は盟主だし。『上』の者と『下』の者では、置かれる立場が違う。それにセツナは、一応だったとしても、何処に行くかくらいは誰かに告げるだろう? けれど、ここにいる皆は、そうじゃない」
カナタは。
遠い遠い、遠い。
ほんっとーーーーーーーーー………………に遠い、何処かの別世界を、ぼんやりと眺めている風な目付きになった後、何かを取り戻したように、セツナへと笑い掛け、聞いていた者全員の顎が外れそうな程の大ボラを、きっぱり、自信たっぷりに言い切った。
「そういうものですか?」
「そういうもの。……セツナだって、ほら、以前の、『北』の方の、『ユニコーン』な所にいた時は、好き勝手に出歩いたりは出来なかっただろう?」
「…………あ、そうですね。そう言えばそうでした。勝手に出歩いたら怒られました」
「だろう? だからね、皆がしたことは、『悪いこと』。判った? ……という訳で、セツナ。これから皆連れて、船着き場に行こうね。ここで皆に、自分達がどれだけ悪いことをしたのか僕やシュウが言って聞かせてると、危険な所で、君を長々待たせることになっちゃうし」
「危険な所……? どの辺がですか? ……でも、まあいいや。はーーーい。じゃあ、船着き場にー」
すればカナタの大ボラを、セツナは素直に信じて、ひょいっと窓枠から飛び降り。
右手の棍を、革の手袋がギリギリと音を立てる程強く握り締め、並び立たせた男達を、キッと睨み付けたカナタは。
「…………今直ぐ、船着き場に向うこと。逃走しよう、なんて不届きなこと考えたら……判ってるよね」
地を這う声で言い置いて、セツナの後を追い、窓枠を越え、外へと出て行った。
だから、それより少々の後。
行くのも怖いが逃げるのも怖いと、それでも雁首揃えて、すごすご、シュウに引き連れられる形で船着き場へやって来た男達の前に、仁王の如くカナタは立った。
「……シュウ」
「へ? 何々? シュウさん。何で?」
名を呼ばれただけで、カナタの望むことを理解し、セツナの、きょとん、とした態度も無視したシュウが、己の傍らの彼の耳を、ぎゅーーーー……と両手で塞いだのを確かめてから。
「…………どいつもこいつも……。……僕だってシュウだってセツナだって、これっぽっちの息抜きもするな、なんて言って歩いた憶えはないよ? たまにの『悪さ』に、こんな目くじらなんか、立てたくないってのが本音だよ。遊郭で、女の一人や二人抱いたって、っていうのが、そちらの言い分だろうとも思うよ。…………でもね」
悪戯盛りの子供達が、団子のように身を寄せ合って、縮まっているかの如くの仲間達へ、カナタは、冷たーーい声で、前置きを与え。
「この程度の悪巧みすら、セツナの耳に入らないようには立ち回れないのか、この大馬鹿者共っ!! 僕に怒鳴られて悔しいのなら、自分達が、わざわざ本拠地抜け出してまで、あの店で、何をやろうとしてたのか、『この』セツナにも理解出来るように、一から十まで説明してみせろっっ。遊郭が何で、娼館がどういう所で、女を買うってことがどういうことで、どういう行いなのかっっ。何から何まで、この子にも解るようにっっ!! ……あー、もーーーっ! 判るだろうっっ。想像付くだろうっっ! 皆が行った先が娼館だって知った後の、セツナの反応っっ! この子に面と向って、『ショーカンってどういう所なのか、僕見てみたいですっ!』……とか何とかせがまれた、僕とシュウの苦悩っ! 判らないとは言わせないっっ。挙げ句、ここまで皆をお迎えに行きますー、とか言われちゃって、もう…………。あんな盛り場を、この子連れてシュウと二人、お手々繋いで仲良く歩かなくちゃならなかった僕達の遣る瀬なさを、少しは察しろっっ。何をどう説明しろって言うんだ、この子にっっ!」
……それより、彼は。
渾身の、在らん限りの声を振り絞って、仲間達を怒鳴り飛ばした。