「お説教は終わったの? それとも、逃げて来た?」

誠、ひょっこり、と言った風情で登場したセツナを振り返って、空いていた傍らの椅子を、ポンポンと叩いて促し腰掛けさせて、にっこり、カナタが微笑めば。

「逃げて来ました!」

到底威張れぬ告白を、胸を張ってセツナはした。

「シュウさん、くどいんですもん。だから、もうそろそろ良いかな、って逃げて来ました」

「成程。でも、逃げて来たのに、ここに来て平気?」

「だいじょぶだと思いますよ。シュウさん、諦め顔して、僕のこと追い掛けようともしませんでしたし」

「そう。なら、彼のことは放っておいていいね」

「はいっ!」

「…………お前等……」

けれど、シュウより逃走した事実など、どうということない風に、カナタとセツナは何時も通りのやり取りを始め、放っておいたら、先程のカナタの世知辛い主張とは別の意味で延々続きそうなそれを、どうしてこの二人はこうなんだろうと、誰かが遮った。

「流石に同情するよ、シュウの旦那に……」

遮った誰か──隣の円卓で何とはなしカナタ達の話に耳傾けていた、元・灯竜山の山賊ギジムは呟き。

「へーき。だってシュウさんにはちゃんと、今日になったら帰るからねーって、出掛ける時言ったし。ちょーっと、グレッグミンターで遊んで来る、って部分は端折ったけど、駄目って言わなかったもん」

僕は悪くないもーん、とセツナは彼へ、笑みを向け。

「……遊んで来た?」

「遊んで来たって言うか。前にマクドールさんが、今度僕がグレッグミンスター行ったら、お芝居観に連れてってくれるー、って約束してくれたから、お芝居見物して来ただけだよ」

は? との表情を拵えたビクトールには、『遊びの内容』を語った。

「芝居? 芝居って、あの芝居か? 舞台の上でやる……」

「そう。──チャップマン、覚えてるだろう? トランの城で防具屋営んでたくれてた彼。……彼、今は商売替えしてね。グレッグミンスターにある芝居小屋の、小屋主なんだよ。そこに、セツナと一緒に行って来た。芝居を観たことがないから一度行きたいって、前々からセツナにねだられてたし。何時もあの街まで、僕のこと迎えに来てくれるお礼兼ねて」

「へぇ……。チャップマンの奴がねえ……。あのツラで、芝居小屋の小家主なあ……」

「別に彼は役者じゃないんだから、顔は関係ないと思うけど」

だから、あの戦争が終わって程なくトランを離れてしまった解放戦争経験者達は、セツナに続けてカナタが語った話より、あのチャップマンがねえ、とかつての仲間の今に、しみじみと腕を組んで。

「でも、チャップマンさんって結構、精悍な顔してますよね」

「精悍な顔付き……と言うか、曲者な顔付きと言うか……。まあ、逞しい商売人の顔ではあるよね」

『昔』に引き戻され始めた仲間達を他所に、セツナとカナタは又、ああでもないの、こうでもないの、言い合い始めた。

「処で、何の芝居を観たんだ?」

────思い掛けず出た昔の仲間の名前から、三年数ヶ月前に終わった戦争のことを思い出して想い出に浸り掛けていたのに、自分達が引き寄せた感傷のようなものをそっちのけにして、きゃいきゃい、年下の二人組が話を続けるから、懐かしむ、という行為が少しばかり馬鹿馬鹿しくなって、そうだ、と。

フリックが、芝居そのもののことへと話を戻した。

「……………あー……」

……すると、何故か。

何とも言えぬ声を洩らしてカナタは、それまで確かに見詰め合っていたセツナより、僅か視線をずらした。

「……まあ、一言で言えば、何処にでも転がってそうな恋愛ものがた──

──んとね。とっても悲しいお話だったよ。ずーっとずーっと、凄く長い旅をしてた男の人が、たまたま辿り着いたエルフの村で、知り合った綺麗な女の人のこと好きになって、エルフの女の人も男の人のこと好きになって、結婚しようねって約束するんだけど、寿命の違う人間とエルフが結婚しても幸せにはなれないからって周りの人達に反対されて。……えーっと……、逃走? あれ? トンズラ?」

「……駆け落ち」

「あ、そうでした。──その、今マクドールさんが言った、駆け落ちって言うのをして。でもね、自分達の寿命が違うって言うの、二人共ちゃんと判ってたから、逃げてる間もずーっと、男の人は、自分が先に死んじゃうってこと悩んでて、女の人は、男の人に先に死なれちゃうって悲しんでたんだけど、ここなら一緒に住めるって場所が見つかった途端、女の人の方が病気になって、結婚もしない内に死んじゃって、残された男の人は、自分が残されるなんて考えたこともなかったから、死んじゃった女の人を抱いて、湖に飛び込んで……っていうお話」

────だが、観て来た芝居の話には余り触れたくなさそうにしたカナタの至極適当な説明を遮り、ああでこうでこう、とセツナは、『駆け落ち』という言葉をカナタに思い出させて貰いながら、芝居の粗筋を語った。

「…………何だ? その救いのねえ話は……。いっくら芝居の筋書きだって言っても、程ってのがあんだろう? 悲劇だろうが喜劇だろうが、程度問題だぞ?」

聞かされた物語の粗筋に、うへ……とビクトールは、至極嫌そうな顔をし。

「……観て、楽しいのか? そんな芝居」

フリックも又、顔を顰めて。

「でも、ご婦人方には人気らしいよ。この物語の主人公の男女は、物凄く奥手で奥ゆかしくて、兎に角、僕に言わせれば禁欲的の一言に尽きる二人で、何処か見知らぬ土地に落ち着いて、結婚して、共に生活して行けるまではって、接吻くちづけの一つもしないんだ。駆け落ちする時に手を繋いだのと、女性の病が判明した時に、男の方が彼女の肩抱き寄せる程度しか、そういう意味での場面はなくてね。その遣る瀬なさが、一層の涙を誘って良いんだって話。……僕には余り、理解出来ないけど」

さも、『ご婦人方』の嗜好は謎だと言う風に、カナタは肩を竦めた。

「けど、綺麗なことは綺麗なお話でしたよ。僕、そう思いました。可哀想過ぎて泣けるー、とも思いましたし。ああいうの、純愛って言うんですよね、マクドールさん!」

「…………純愛の意味、判ってる? セツナ」

が、セツナはほえほえと、僕は好きでした! との意思表示をして、何処まで理解しているのやらと、カナタの視線は遠くなり。

「フリック。お前、十四、五の頃、『ここ』まで純真だったか?」

「……いいや。少なくともセツナよりは、色々諸々、『興味』持ってたと思うぞ?」

家のリーダーは、男…………だよな……、と。

ヒソヒソ、傭兵達は言い合い始めた。

「マクドールさん。ビクトールさんとフリックさん、何喋ってるんですか?」

「セツナ。世の中にはね、知らなくていいことも、沢山あるんだよ」

と、大人達のヒソヒソを微かに拾い、ふん? と首を傾げたセツナに、傭兵達の語る言葉の意味を説明すること放棄したようにカナタが重々しく言ってみせた丁度その時。

「盟主殿、いらっしゃいますか?」

普段通りの控え目な態度でクラウスが酒場を訪れた為、傭兵達のヒソヒソも、セツナの素朴な疑問も、その疑問を誤摩化してしまおうとしたカナタの言葉も、ピタリと止まった。

酒精を嗜めない訳ではない筈だが、滅多なことでは酒場になど降りて来ない、どちらかと言えば目立たぬ雰囲気を持ち合わせている副軍師の出現に、酒場にいた者達は、皆一瞬、ん? と首を傾げ掛けたが。

クラウスの口にした名と、その視線が見詰める先と、視線の先にいる『彼』が、あー……と言った感じの渋い顔になったのを鑑みて、一様に、ポン、と手を叩き、恐らくはそういうことだろうと、勝手な納得を見せた。

「なぁに? クラウスさん」

「その……。シュウ殿が『荒れて』いるので。申し訳ありませんが、もう暫くの間だけでも、シュウ殿のお小言に付き合っては頂けませんか?」

確かに、酒場に居合わせた者達のそれは、何処までも勝手な納得でしかなかったけれと、確実に的を射ており。

「えーーー。シュウさん、今日は絶対諦めたと思ったのにーーーっ」

皆が想像した通りのことを言い始めたクラウスに、ぷうっとセツナは膨れてみせて。

が、それでも立ち上がった。

「どうして、シュウさんっておおらかになれないのかなー、もう……っ。──仕方ないから、後少しだけ、シュウさんに付き合って来まーす。そしたら、お夕飯食べに行きましょうね、マクドールさん」

そして彼は、己のことを棚に上げ、正軍師殿の性格に関する嘆きを零しながら、行って来ます、とカナタに手を振り。

「ん。行ってらっしゃい」

にこっと手を振り返したカナタは、クラウスと共にセツナが酒場を出て行くまでそうして、小柄な体の背中が消えてやっと。

疲れを覚えたかのように、微か肩を落とした。