ウィンディに与えられてしまったブラックルーンの所為で。
もう、己が体に、己が意志が通用しないと、テッドは云った。
三百年間宿し続けたソウルイーターを通して。
彼は僕に、そう語り掛けて来た。
でも、僕にとって、その事実は計算出来ていたことだったから、あの時僕は、大丈夫……と、そうテッドに云おうとしたのだけれど……。
聞いてくれ、カナタ、と。
彼は静かに、僕を遮った。
今のままでは、自分は意志をも失うこと。
そうしてやがては、ウィンディの操り人形に成り下がるだろうこと。
それを、僕に告げて。
だから、その前に。
彼女に操られるまま、生きるくらいなら……と。
────許して欲しい。
これから俺のすることを、カナタ、許して欲しい。
…………本当に、心底すまなそうに……彼は、そう云って。
魂喰らいの名を呼んだ。
生と死を司る紋章。
呪われた紋章、ソウルイーター。
宿した者の、近しい者の魂、大切な者の魂、そればかりを好んで盗み、喰らう紋章。
『極上』の魂ばかりを盗んで……喰らって……その、力を増して。
その代償に、宿した者へ、力を貸し与え。
力を貸し与える代わりに……更なる魂を求める、限り無く貪欲な紋章…………。
それらを、テッドは、魂喰らいへと叫びながら。
オデッサ、グレミオ、父上。
僕の、真実大切だった人々、真実、愛した人々、その魂をも、ソウルイーターが盗んで喰らったのだと、紋章を『断罪』しながら。
テッドは己が意志で、魂喰らいに自らを捧げ。
三百年の生涯に、幕を閉じた。
──今際の際に、テッドが言い残した言葉。
カナタ、俺の分も、生きろよ。
……そう、呟かれた、言葉。
その言葉が、脳裏に響いた時。
僕は、一体何を受け止めたらいいのか、判らなくなり掛けた。
彼が教えてくれたことが、余りにも『馬鹿馬鹿し』過ぎて。
彼が呟いた言葉が、余りにも重た過ぎて。
死に逝く彼が、余りにも安らかそうで……澄んでいて……。
目の前で起こりゆく出来事の、何をどう受け止めたらいいのか、判らなくなりそうだった。
……僕の、最後の希望だった存在が、薄れ逝く様。
あんなに求めたのに、これ程求めたのに、存在に、手が届かなかった事実。
『この瞬間』を、幸福に終わらせる為に、駆け抜けた日々が、水泡に帰したこと。
……この……僕の、この手の中から……何も彼もが零れ落ちた、現実。
その、全てを。
立ち止まる暇さえも与えず、僕は、受け止めなければならなかったのに。
瞬きの間だけ、僕には、それが出来なかった。
光のような、霧のような、何れとも取れる、薄い『何か』の向こうに、消えて行くテッドの姿を、数回の瞬きの間だけ、瞳に収め。
何時しかウィンディも消え、不気味とも言える静寂が戻ったシークの谷の直中で。
僕は歩み、薬草を手にし、そして、踵を返した。
…………あの時一緒だった、フリックやハンフリー達が、表現し難い、憐れみとも、悲しみとも、痛みとも取れる眼差しを、僕へと注ぎ続けていたのに、気付かなかった訳じゃない。
だから、本来ならば僕はあの場で、仲間達を安堵させる言葉を、吐かなければならなかったんだろう。
でも、そんな言葉、僕には見付けられなかった。
僕自身、何を受け止めたら、どう飲み込んだらいいのか、判っていなかったのだから。
──テッドが教えてくれた魂喰らいの真実、それは、余りにも『馬鹿馬鹿し』かった。
ああ、そうか、だから……と。
オデッサが逝った時、グレミオが逝った時、父上が逝った時。
何故、その都度、魂喰らいが、僕へと貸し与える力を強めて行ったのか、漸く、納得出来たけれど。
その事実はどうしようもなく、馬鹿馬鹿し過ぎた。
……紋章を宿した者にとっての、大切な存在、愛しい存在、それを奪って力を与えて。
それが一体、何になる。
この結果は、僕が誰かを愛した所為か?
僕が誰かを愛したことが、僕の罪だとでも、魂喰らいは云いたいのか?
僕が誰かを愛さなければ、盗む魂さえ、見定められぬ癖に。
高が紋章が、何を呪うと云う。
人に寄生しなければ、『生きて』さえぬけぬ、唯の紋章の癖に。
強大な力を持とうが、神の如き存在であろうが、所詮は、紋章の癖に。
ちっぽけな人間でしかない僕みたいな存在を、『呪わなければ』生きてゆけぬ、虚しい、カタマリの、癖に…………。
余りにも、馬鹿馬鹿しい。
…………そう…………。
ソウルイーターが示し、テッドが教えてくれた、魂喰らいの真実は、余りも、馬鹿馬鹿しくて。
僕はそれを、どう受け止めたら良いのか、判らなかった。
そして。
余りにも馬鹿馬鹿しい存在の抱えた、余りにも下らない事実の所為で。
テッドがこの世界から消えてしまった現実、それを、どう扱ったらいいのかも。
……判らなかった。
彼をこの瞳の中に取り戻す為、それだけの為に、戦いの日々を駆け抜けていたのに。
彼は、消えてしまったから。
────消えてしまった彼が、最後に残した一言。
それは、余りにも重たかった。
…………僕は、盲目的に、テッドを信じていた。
あの彼が、死ぬ筈なんてない、と。
それが、僕の彼に対する、信頼、だった。
でも……あの時テッドが、僕へと示してくれた信頼は、それ以上に大きかった。
『馬鹿馬鹿しくて下らない』存在である魂喰らい、その真実を知って、それを宿して……なのに、それでも僕は生きていける、と。
そう、信じている、と。
あのテッドの一言は、そう語っているに、他ならなかった。
──あの時の僕に。
魂喰らいの存在なんて、関係なかった。
紋章が、大切な人々を喰らった事実、それだって、どうだって良かった。
テッドとの邂逅の為に駆け抜けた戦いの日々、それにすら、大した意味なんて、なかった。
たった、一つ。
僕の、『希望』だったモノ、それが、僕の目の前で、消えてしまった、それだけが、意味あることだったのに。
それだけが、『それだけ』であるにも拘らず、これでもかと僕を打ちのめしていたのに。
握り締めた何も彼もを失ってしまった、その水際に立ち尽くしても、尚、生きろ、と。
お前なら生きられる、そう信じている、と。
そう云ったテッドの想いが重過ぎて、僕には、受け止め切れそうに、なかった。
──────あの時の、僕には。
もしかしたら何も彼も、感じ取れていなかったのかも知れない。
唯……シークの谷を後にしながらの僕が、唯一自身で理解出来ていたこと、それは、悔しい……と云う感情だけだった。
足掻いて、藻掻いて、急いて。
焦り、急き、何も彼も駆け抜け。
希望の存在を取り戻そうとしたのに……、それが僕には、叶わなかった。
願いをこの手に掴む為の『強さ』。
戦場で勝つ為だけに必要とされるのではない、『強さ』。
それが。
あれだけ足掻いたのに……あれだけ急いたのに……僕には、何一つとして、足りていなかったのだ……と。
そう思ったら、悔しくて堪らなかった。
……あの時のことを、何度振り返ろうとも、同じ数だけ、僕は思うだろう。
紋章なんて、関係ない。
魂喰らいの真実なんて、関係ない。
ウィンディの為したこと、テッドの為したこと、それすら。
シークの谷でのあの出来事に、関わりなど、ない。
何も彼も越えて、全てを越えて、怯むことない高みに、僕が立っていられたならば。
僕は希望を失わずに済んだ、それだけが、僕にとって、意味を持つ、『悔恨』だった……と。